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僕はウルトラマンや他のヒーローが、何の見返りもなしに
命を賭けてまで人類を救う理由がわかりませんでした。
しかしながら、彼らは人間と価値観が違うということで
今は納得しています。

ところで、一円の得にもならないのに、自分の命を賭けてまで
赤の他人を救う人がごく稀にいますが、いったい何のためですか?
その人の心境とはいったいどのようなものなのでしょうか?

ちなみにゴルゴ13にでてくるラウル・ワレンバーグという人は、
命を賭けてユダヤ人を救ったため、「これはあやしい、アメリカの
スパイではないか」と疑われ、ソ連軍に連行されてしましました。

A 回答 (29件中1~10件)

NO.28ですが、ご質問への直接の回答にはならない面もあるかもしれませんが、案外共通する点があるようにも思えたことを、追記します。



●ソクラテス、ガリレオ、ルター、イエス、吉田松陰、のように、死のうがどうされようが、自分の信ずる真理・信念を曲げることはできない、という心境はあると思います。

●ジャンヌダルク、ナイチンゲール、マザーテレサ、のように、困っている人々を救済せよとの神の声を聞き、その趣旨に共鳴しひたすらその使命に生き抜く、という心境もあると思います。

●上杉謙信は、たしか、味方が敵陣内に捕われたのを、大勢の敵陣の中、単騎、真一文字に救出に駆け抜けた、そうです。義心等々の塊と化す、というような心境もあると思います。

●明治維新の志士、ガンジー、のように、国民(くにたみ)の幸福実現を遂げたい、ということこそが自らの念願、という心境もあると思います。

以上事例とNO.28と共通する点を挙げるとすれば、
自らの信義信念に生きる、という点である面もあるかもしれません。
それが愛であったり真理であったりする、ということなのかもしれません。
他からどう扱われるか、ということよりも、自身はどう生きるか、というあり方であった、ということであるかもしれません。

この回答への補足

みなさん、どうもありがとうございました。
ここでお礼とさせていただきます。
またよろしくお願いいたします。

補足日時:2010/04/10 09:28
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この回答へのお礼

はい。
ルフィーがいいました。
「俺は海賊王になる。そのためなら死んでもかまわない」

おそらく、そういった感じで他人の命を助ける人も
いるのでしょうね。
これは曲げる事のない信念でなせる業。だと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/04/09 18:14

●何かで苦しんだ経験があったりすると(または他者の苦痛が想像できると)、他者が苦しんでいるのを見たら、その苦痛が実感されると同時に、それを解消してあげなくては居ても立ってもいられない、とても放っておけない、という気持ちが湧き、その思いが先行し、行動している、というようなことは実際にあると思います。



●宗教者の殉教事例のように、神仏から常に愛されていること、死後も生命は存続すること、神仏の願いは人々の苦を無くすこと、自他は実は一体であること(同悲同苦)、を実感できているような心境境地である、という事例もあると思います。
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命を賭けて人の命を救うことが


その人にとっては命よりも大切だったのではないでしょうか。

逆に自殺というのも、
命より大切な価値があると考える人だけが
出来ることですよね。
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誤字訂正:



 そのような人が、命にかかわらず「損をする」と解っていても他者を助ける行為振る舞いをするとするなら~

⇒そのような人が、命に限らず「損をする」と解っていても他者を助ける行為振る舞いをするとするなら~
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「精神」という言葉の意味も説明できないのに



「精神的」という言葉を使う「ロボット物理唯物論者」がいます。

人助けで金をもらうのは当然という共産主義者が、
各地を飛び回って仲間内だけで全てをわかったような振りをする。

そういう史的唯物論者の精神的満足は、

1. 公共の場でいいたいほうだいアジテーションをする
という欲求不満解消策



2. お前がどう せのびをしても俺の物理学講義の内容は、判らない、と 他人を小ばかにした態度で振舞う偽善
(じぶんが物理学者ではないのは内緒にして、本物に会うと怖気づく臆病者)

そして

3. どうしても他人から認められたいという自己顕示欲にほかなりません。

正論として精神ということについて説明するべきでしょう?
(能力的に無理でしょうけど・・・)

また、そんな唯物論者の人には、

議論参加の権利すらないというのも、大事なことです。

更に直接回答として
人をすくうときに、もし・・・ならば、というのは考えないものです。
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1.人が生きるのは、「X円の得」のためではなく、精神的な充足感のためです。



2.人は必ず死ぬのであり、「命を守る」のが目的なら、必ず敗北に終わります。

3.生きる目的は「人生を通算した精神的充足量の最大化」であり、そこに於て、
  最善の生とは、最善の死と等しくなる。

4.社会生命としての自覚化(愛)による生は、その助け合いによる快適性だけで
  なく、自律的な意思の達成&深い認識による幸福感において、最大化に寄与する。

5.逆に自己中心的な意識による短絡的欲求に基づく生は、いかに生き長らえても、
  苦痛から逃げ、争い、縛られるだけの、負のモチベーションに留まる。
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#16の者です。



そっかあ。。。
>一円の得にもならないのに、
でしたね。
「得」が皆無な条件なら、命は賭けないですね。
先の回答で、何やら寝惚けて崇高な?事?を書いておりますが、
子どもって親にとっては、(親自身の為の)時間とお金と健康の塊、みたいなもんです。
勿論、気の遠くなる程の手間と労力をかけて、その結果としての執着であり愛情です。
だから「かけがえの無い」存在。
命を削って向き合って来たから「命に賭けても」と思える。

そんな一面もあります。

更に、私は結構自我境界がぼやけ易い、と昔から自覚気味であり、
更には、自分の事などどうでも良い、が意識の大半を占めています。
殺人犯が通りすがりに私を殺して行っても、まあ、いいかなーーと。
でも、こどもたちや夫や、ご近所様等に負担が掛かるのは嫌だから安全には気を付ける。

自分の為に自分を大切にする、と言う習慣が無い人間です、私は。
何らかの「誰かの為に」がくっ付かないと自分のメンテナンスもする気にならない。

だから、「赤の他人の為に」と言う理由で、面倒くさい自分の命を無くせる言い訳が出来ると言う利己的な思いもある。
他人の負担を目減りさせて、自分の命を消す方法として、です。
存在ごと抹消出来るなら望む所ですけれど、生まれてしまったからそれは不可能。

そっかーーーー、私が昔から自衛隊とか国境なき医師団とか戦場特派員とか、憧れていたのはそう言う理由だったのですね。。。
気付かせて頂き、ありがとうございます。

私の回答は、特殊事例或は参考症例と言う事でお願いします。^^
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この回答へのお礼

前の回答もたいへん参考にさせていただきました。
自衛隊は私(個人)よりも公(国)を優先しなくてはいけない
場合もありますよね。
これは仕事とはいえ、他人のために命をかける。ということに
近い存在と、いえるとは思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/04/04 16:17

本当の意味で『欲が深い』人といえます。

有限のこの世で、しかも何にもならないこの世で、お金を残したり名誉を残したとしても何にもならない事が分かっているからだと思います。

お金にも、地位や名誉にも意味が無い事が分かる人とは、本当の意味で欲が深い人と思います。

人生の本当の意味が『お金や、地位や名誉』ではないことは、よく考えた場合には分かる気がします。自分の存在の意味をとことん突き詰めた場合は『博愛』になる筈です。自分は何のために生きているのかと言う意味です。
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>円の得にもならないのに、自分の命を賭けてまで


>赤の他人を救う人がごく稀にいますが

聞いたことありません。
自分の年下の血縁者を助けることはありますが、自分の命を投げ出し赤の他人を助けたという話は聞いたことがありません。

以前 湖に落ちた人が上から究明浮き輪が自分の近くに落ちたのに、他の赤の他人の子供に渡しまずその子を上に引き上げてもらったあと、次も、次も他の子供に浮き輪を渡し、力つきて湖に沈んだ人のことがテレビで放映されていた。

これは、、、まだ自分は体力があると思い、子供は体力がなく泳ぎ続けられないと思って、自分の体力を過信していたわけで、急に体温が冷えて体が動かなくなるときが来るとは、まだ気づいていないときだったので、浮き輪を他の子に渡し続けたわけです。

一定の時間がたつと体温が下がり、体が動かなくなるという人体のメカニズムを知っていたら「限界がもうすぐ来るから」と、ひきあげてもらったでしょう。

「お前は一番最後  まだ生きている子供に浮き輪をくくりつけろ そのためにお前に浮き輪を渡したのだ。」と何度目かであがってきた人に暴言を吐くレスキュー隊はいない。


人にすばらい人だと認めてもらいたくても、生きているからこそ可能で、死んでしまったらもともこもないじゃないですか。
だから 人間は自分の孫とか自分の遺伝子を持っている若い世代を助けることで、自分の遺伝子を永遠に運ぼうとしますが、赤の他人を生存させるために死ぬということはありません。
これは人間に限らず、他の動物も昆虫もそう。


以前 ユダヤ人が世界的に迫害されていたとき、中国のどこかに追い込まれたがけっぷちになったユダヤ人を助けたということがあった。
こっそりやったわけで、バレたら命の危険がある。
なのにどうして助けたのか?
その人達は、自分たちの祖先はユダヤ人だと思っていたから。
だから、祖先が同じだと思う異国で追い込まれて絶体絶命のユダヤ人を危険を冒しながら助けたのだそうです。

イスラエルと日本って友好な関係ですが、どうしてかというとある外交官がユダヤ人にビザを発行して、日本に避難させてやったことがあったから。
助かった人は日本にいったん出国して、その後世界に散らばっていった。
その人達やその子孫が日本の外交官がやったことを他の人に伝えたので、日本は感謝されているんです。
だけど、その外交官はギリギリまで発行をし続けたけど、命と引き換えにしてまで発行したわけじゃあない。

ゴルゴ13のその人はどういう立場だったのかわかりませんが、日本政府の官僚だった場合、捉えられなかったのではないかと。
そして疑惑をかけられても、日本大使館の門をくぐりさせすればセーフ。
だって異国にある日本大使館は、日本の領土だから。
その大使館に押し入って拘束するということは、日本本土にミサイルを撃ち込むようなもの。


内乱が続くイラクで日本の大使館員が射殺された事件がありました。
テロリストがやったというのは表向きでアメリカ政府が殺したのではないかと思えます。
アメリカ政府の欺瞞を調査している二人だったみたいなので。
二人とも、イラクに平和を、世界に平和をと強い意志の元任務を遂行していたそうですが、アメリカ政府に殺されるとは思っていなかったと思うし、日本政府もそうされるとは予想していなかったので、「危険だ 撤退しろ」と命令を出さなかったのではないかと。

アメリカ政府のことを配慮し、波風を立てないために、異例の葬儀になったし公式発表もお粗末なものだった。
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利他的行動


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E4%BB%96% …
利他的行動(りたてきこうどう、英: Altruism)は、進化生物学、動物行動学、生態学などで用いられる用語で、ヒトを含む動物が他の個体などに対しておこなう、自己の損失を顧みずに他者の利益を図るような行動のこと。

自己犠牲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1% …
自己犠牲は、一般に高貴な行動であると見なされやすい。動物一般に、まず自己の生命が大事であるから、基本的に利己的なものと考えられる。自己犠牲は、何かをそれに優先させるのものだから、それが動物よりも優れた何かによるものだと考えられるからである。

とあります。
本能よりも、人として生まれた自分の信念を優先するからだと思われます。
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