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明智光秀が本能寺の変を起こした理由は諸説あるようですが(↓)、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%99%BA% …

「戦国豆知識」(↓)というサイトの中の「光秀の連歌に込められた野心」には、こうありました。

http://pikkee7.hp.infoseek.co.jp/MAME.htm

「ときは今 天(あめ)が下しる五月哉(かな)」。これは普通に解釈すると「季節は今、雨が降る5月であるよ」となりますが、実はこれには光秀の野望が隠されているといいます。実は「とき」とは自分の出身である「土岐」の事で(明智氏は美濃土岐氏の一族)、「今こそ土岐氏が天下を取る時だ」という意味だというのです。

ところで明智光秀が、本能寺の変を起こす前に茶人と連歌を詠んだそうですが、それはどういう歌だったのでしょうか?

また、その連歌によって、茶人(堺の町衆?)は既に本能寺の変の前に明智光秀が本能寺の変を起こすことを知っていた、というのは本当でしょうか?

A 回答 (3件)

ときは今天が下しる五月かな    光秀


水上まさる庭の夏山         西坊(西坊行祐)
花落つる流れの末をせきとめて   紹巴(里村紹巴)

史料によっては後に続く歌が少しずつ違うようで、
二句目の「夏山」が「まつ山」だったり、
三句目は「流れの末を」が「池の流れを」だったりしています。

本能寺の変直後の里村紹巴の行動から、
紹巴は事前に知っていたのでは?と言われてもいますが、
当然ながら確たる証拠も見つかっておらず真相は闇の中ですね。

この回答への補足

ご回答有難うございます。私もご回答を頂いてから自分で後に続く句の意味を調べてみたのですが、愛宕西之坊威徳院住職・行祐の詠んだ「水上まさる庭の夏山」と、連歌師・里村紹巴の詠んだ「花落つる池の流れをせきとめて」の意味が分かりませんでした。

私が調べた範囲では、行祐の詠んだ句についてはこれ(↓)が、
http://www.nobunaga-lab.com/labo/12_honnouji/ata …

そして里村紹巴が詠んだ句についてはこれ(↓)が、
http://www.nobunaga-lab.com/labo/12_honnouji/ata …

ネット上で様々に公開されているサイトの中では内容的に最もよく調べられていると思いました。

里村紹巴の句の方は上記サイトに記載されている内容から意味が分かりました。しかし、特に難解なのは行祐の句で、一体「水上まさる」とはどういう意味なのでしょうか?

補足日時:2005/11/09 22:14
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この回答へのお礼

この質問、実は父から訊かれたものです。で、回答者さんのご回答をプリントアウトして見せた所、大変喜んでいました。また質問したいそうですから(ただパソコン使えませんので代わりに私がしますが)、その節はどうぞよろしくお願い申し上げます。

お礼日時:2005/11/14 01:18

連歌とは和歌を合作で完成する事で、歌人の技を競う催しでした。


主人が前句(5,7,5)をつけると客人がその次の(7,7)を即席でつけて完成することを順番に繰り返していくものです。

従って
光秀が「ときは今、天がしたしる、五月かな」と前句を出し西坊が「水上まさる、庭の夏山」と下の句をつけて1句完成させたので紹巴が次の前句をつないでいったのですがその句の意味の解釈に諸説がうまれたのです。

「花落つる流れの末をせきとめて」の中に謀反をいさめる趣意が込められているとする説が生まれて、紹巴は光秀の叛意を覚ったとされたのです。
真偽は不明ですがもし覚ったとしても口外すれば命の危険が生じますから口をつぐんだとおもいます。

この回答への補足

ご回答有難うございます。私もご回答を頂いてから自分で後に続く句の意味を調べてみたのですが、愛宕西之坊威徳院住職・行祐の詠んだ「水上まさる庭の夏山」と、連歌師・里村紹巴の詠んだ「花落つる池の流れをせきとめて」の意味が分かりませんでした。

私が調べた範囲では、行祐の詠んだ句についてはこれ(↓)が、
http://www.nobunaga-lab.com/labo/12_honnouji/ata …

そして里村紹巴が詠んだ句についてはこれ(↓)が、
http://www.nobunaga-lab.com/labo/12_honnouji/ata …

ネット上で様々に公開されているサイトの中では内容的に最もよく調べられていると思いました。

里村紹巴の句の方は上記サイトに記載されている内容から意味が分かりました。しかし、特に難解なのは行祐の句で、一体「水上まさる」とはどういう意味なのでしょうか?

補足日時:2005/11/09 22:15
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この回答へのお礼

この質問、実は父から訊かれたものです。で、回答者さんのご回答をプリントアウトして見せた所、大変喜んでいました。また質問したいそうですから(ただパソコン使えませんので代わりに私がしますが)、その節はどうぞよろしくお願い申し上げます。

お礼日時:2005/11/14 01:19

「ときは今 天(あめ)が下しる五月哉(かな)」が明智光秀が本能寺の変の直前に催し、後に「愛宕百韻」と呼ばれる連歌会で読まれた句です。



連歌会に出席していた人々のうち連歌師・里村紹巴が光秀の謀反に気づいたと言われています。
しかし連歌会は5月29日に催され、本能寺の変は6月2日の未明、太陰暦ですから5月30・31日は存在しないので連歌の会から変までは1日ちょっとしかありませんし、里村紹巴はこのことを自分の胸の内にしまったと言われているので堺の町衆や茶人が事前に知っていたかどうかは微妙なところでしょう。

この回答への補足

この質問、実は父から訊かれたものです。で、回答者さんのご回答をプリントアウトして見せた所、大変喜んでいました。また質問したいそうですから(ただパソコン使えませんので代わりに私がしますが)、その節はどうぞよろしくお願い申し上げます。

補足日時:2005/11/14 01:18
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

私が調べた範囲では、里村紹巴が詠んだ句に関する解説(↓)
http://www.nobunaga-lab.com/labo/12_honnouji/ata …

を読むと、彼自身も日記の内容を変えるなど、苦労した様子が伺えました。

お礼日時:2005/11/09 22:22

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