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明治維新は一種の革命であった
っていう人もいたりします

実際のところ、革命であったのでしょうか?
また、海外では どういう評価をされているのでしょうか?

A 回答 (6件)

革命というものをどういうふうに捉えるかで異なるでしょうが、旧支配層も温存されていますので一般的な意味での革命とは違います。

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#1さんの仰るように、革命の定義にもよります。


例えば儒教流で考えれば、支配者が交代したので革命、と考えることもできます。もっともその場合徳川政権が「天命を受けた支配者であった」という前提が必要ですが・・・・
天皇の存在も問題になるでしょう。江戸時代における天皇というのはではまったく支配権力には無関係だったのか、ということも。

また経済社会体制の変化を見る場合、土地制度の改革が不徹底でした。農地改革は第二次大戦後になります。このことを以て、不完全な革命、中途半端な革命、という説もあります。少なくとも封建的な制度・支配者のある部分は温存されました。
ですから、「一種の革命」という言い方自体が「ちょっと特殊だよ」という意味合いを含んでいるわけで、そこから先は政治用語としての革命の定義によります。

この回答への補足

なるほど、定義によって解釈が変わるんですね
ありがとうございます

海外からは どのような評価を受けてるのでしょうか?

補足日時:2005/11/29 06:34
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革命とは階級闘争です。


フランス革命やロシア革命など、平民が貴族階級を
倒し、平民中心の政治体制になりました。
それに反して、明治維新は天皇制は維持され、武士の間の権力闘争でした。
江戸時代将軍家が権力者でしたが、将軍と名乗っている限り、あくまでも天皇の臣下でした。
徳川幕府(=武士)を倒したのが、薩・長・土・肥(=武士)。
と言う事で、クーデターに該当すると思います。
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明治維新前後での政治・社会・文化を比較してみると、革命であったと理解する方が分かり易いと思います。

無理にプロレテリア革命観や土地解放に限定して革命を定義する必要はないでしょう。

まず明治維新によって、封建体制という小国家群の集合体から明確な中央集権体制に移行しています。
それに伴い、国民皆兵制や国民への義務教育、税の金納制、貨幣制度の整理統合、流通インフラや通信インフラの整備などが成され、律令制が機能していた時代以来、1000年振りに「国家」が成立しました。
また、国家の総力を動員できる体制を目指した為に、士農工商の階級制度も制度上なくしています。

これだけ大規模な変革ですが、実際に企画し実行したのは薩摩藩や長州藩などの上京組の一握りの人々でした。そして官僚組織は江戸幕府や諸般の実務系の武士が引き続き担っています(キャリアとノンキャリアみたいなもの)。

こうしてみると、明治維新は江戸時代の諸機能を継承しながら、一部の知識人の主導によって近代国家樹立という革命をなしとげたと見ることができます(一種の白色革命でしょうね、プロレタリア革命観からすると)。

こうした明治維新はトルコ革命に多大な影響を与えています(トルコ革命もプロレタリア革命観や土地解放の面で見ると、革命ではない、となってしまいますが・・・)。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!
東洋の革命(見方はイロイロみたいですが)が他の国にも影響を及ぼしているんですね!!

お礼日時:2005/12/01 00:04

実態、革命的大変革と言えましょう。


名目上の天皇制国家から、実質的天皇制国家に移行した訳ですから。

海外からは内乱と見られた事は、フランスは徳川幕府にテコ入れがあり、イギリスは薩長に味方するなど分かれた対応で、アメリカは実利優先の中立的立場でした。

しかしその後の推移は開国、欧米化が急速に進み近代国家の仲間入りを果たしたので、新参の台頭と見ていたとおもいます。  しかし十分な理解には至らなかったのは条約改正などに時間がかかった事でも伺えます。
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「革命」の定義自体が曖昧なのですが、一般的にはいわゆるヨーロッパの市民革命が民衆レベルの下からの革命なのに対して、日本の場合は上からの押し付けられた革命であると説明されます。

ただし、これはどちらかというとリベラル左派の見方であり、これとは違う意見を唱える方も数多くいらっしゃいます。

代表的な意見としては、明治維新では一滴の血も流さずに為しえた無血革命であるというものです。フランス・ロシア・中国などに代表される革命は、確かに民衆の蜂起によって起こったのもですが、同時に為政者の強力な弾圧によって多くの死者が発生しています。日本でも戊辰戦争などで犠牲者は出ていますが、あくまで武士(軍人)同士の戦いであり、民衆を巻き込むことがなかったというのが、決定的な違いです。

国内でさえ、現在でも意見は真っ二つです。ましてや海外でもその評価はさまざまで未だに一定したものはありませんし、恐らく今後もそれはないでしょう。また、そもそも「明治維新」自体がドコからドコまでを指しているのかも諸説あり、この問題はその辺の根本的なところからキッチリと押さえていかなくては、なかなか一つの結論を導き出すのは難しいと思います。
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