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言語に優劣ってあるんでしょうか??

もちろん、基準はたくさんあると思うのですが、例えば表現の多さや、同じ寮で伝達できる情報の量などの観点から見るとそれぞれ適した言語とそうでない言語があるように思います。

例えば、日本語には自分自身を指す言葉がたくさんあります。私だったり、僕だったり、自分だったり、私とかうちとか朕とかおいらとか。それぞれが異なった印象を読者や聞いてる人に与えると思います。
しかし、英語にはIの一つしかありません。そういった点で僕は日本語はとても表現が豊かだと思うのですが、みなさんのご意見聞かせてください。

A 回答 (6件)

判断基準をはっきり設けて、その中において優劣をつけることは可能かもしれません。

しかし、総合的に判断することはできないと思うし、してはいけないと思いますね。
貴方のご質問の内容では、判断基準において2つの例を挙げていらっしゃるようですね。(私からはこの2つの例について知っていることを書かせていただこうと思います。)
1.少ない語数(または文字数)で多くの情報を伝えられること=つまり、いかに合理的で、明示的であるか
2.ひとつの事象に対して同じものを指す語彙の豊富さ

1.についていえば、簡単に知る方法として、ひとつの著作の各国語訳を並べて見れば一目瞭然です。例えばフランス語訳とロシア語訳ではフランス語訳の方が1.5倍近く本が厚いです。(もちろん紙質の差もあるのでしょうが…)
2.について、ご質問の中で「私」と「I」について挙げていらっしゃいますが、逆パターンもあるのですよ。例えば牛の肉は日本語では「牛肉」、「牛」と「肉」を合わせただけの言葉ですが、英語ではどうでしょう。牝牛はcow、雄牛はox、子牛はcalf、そして牛肉はbeef。以上のような例を一つ一つ挙げていったら、2.の観点だけで異なる言語いずれかに軍配を上げることは不可能でしょう。
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思いつくままに各言語の特徴を書いてみます。

文字についても思うところを。

英語は一音節の情報量が多いです。子音・母音ともに数が多いので。
音節末に来られる子音が英語ほど多い言語は他に知りません。(大抵の言語で音節末には有声子音が来ない)
また、文字はたったの26文字で出来ているので覚えるのも書くのも楽です。(その代わり視認性に欠ける面もありますが…)
中国語も一音節の情報量が多いです。これは声調によるところが大きいですね。
漢字は画数が多くて書くのに時間がかかります。最近略字を作りましたが、今度は字の成り立ちが分からず字を覚えられないという弊害が出てきました。
ロシア語は文字の幅が広いです。英語と同じ内容を書いているのに幅が1割増しになることもしばしばです。юとиとшあたりの幅が広いのが原因ですね。ただしそれを除けば文字の出来は良く、英語やドイツ語のように一音素2文字などはありません。
日本語は高速に読めます。文中で重要な意味を持つ漢字を平仮名の助詞でつなぐ構造が内容をすばやく理解するのに最適だとか。日本語以外では本のタイトルを目で追って探すことはできません。
その代わり日本語の音節の種類の少なさは世界有数(太平洋の島国にもっと少ない言語があるらしいが)。合成語でもないのに3音節の単語がざらにあるというのは欧米では考えられません。
カナ文字は大抵の外国語の発音を"それなりに"表現できるので、中国語のように当て字に苦労したり、欧米のように外国語の文字は発音が分からなかったりすることはありません。
韓国語のハングルは、世界で唯一の"作られた"文字です。そのためひじょうにシステマチックで、20個程度のパーツを組み合わせて数千の文字が作られます。
ただし書きやすさ・読みやすさは非常に悪い。似た文字が多いため変に崩せば違う字になってしまいます。コンピュータ上に表示しにくいのも問題。
外国語の音訳は日本語と同程度に可能。ただし日本語ではカナ/かなの使い分けで微妙な音を区別したり拗音や濁音を拡張して(例:ヴ、カ゜、フュ)特殊音を表現できるのに対してハングルは拡張性に欠けます。
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私は言語に優劣をつけるのは好きでありませんが、言語ごと分野ごとに得手不得手はあるようですね。


日本語に関しては#1さんの仰るように 言語的柔軟さに富んでいて非常に豊かな言語だと思います。でも、日本語の欠点は 文字だとはっきり識別できるのに 音声だと曖昧になるなる語が多いことですね。これは
漢語に多いんですが、いわゆる同音異義語です。近代では夥しい外国語の流入に難色を示している人がおりますが、明治時代までは 西洋の言語で日本語の観念にない語の訳語を一生懸命に考案していました。でも、今では こんなことは殆ど行われず、カタカナ語が溢れています。・・・中国語だと殆どの言葉は漢字で意訳されるんですよね。ここで疑問に思うのは 漢字だって元は日本の固有のものではなく、中国から借りたものです。ですから、江戸時代末期から昭和時代全般にかけて西洋語の訳語を考案するのだって、つきあいの浅い外国語を付き合いの古い外国語に置き換えているだけなんです。しかも、その作業だって 現在では中国語よりも英語の方がはるかに多くの人に学習されているわけですし、わざわざ訳語を作るのも面倒だし、仮に訳語を作っても 中国語のように幾通りも訳語が出来るし、おまけに 中国語では声調で発音の区別ができたものが、日本に漢字が導入されたら消えてしまったので 同音異義語がますます増える結果を招きます。では カタカナ語はどうかといいますと今度はLとRの区別は出来ないし、母音も5つしかない、sやtなどの子音だけ表すことが出来ないなど不便な面はあります。ですから、日本語は進歩しているのか彷徨っているのか分からない面を感じますね。

中国語は 漢字しかないでしょ。ですから、外来語を表すのが難しいんです。幾通りも表記法が出来てしまい、統一されるまで時間がかかります。

英語は世界で最も通用度が高いし、言語自体の性質からいっても最も便利な言語だと思います。他のヨーロッパの言語よりも文法が単純化されていますし、フランス語やドイツ語で見られるような字上符などを使いませんから 客観的に考えれば最も扱いやすい言語です。でも、英語のスペルと発音の不一致は大きいし、
アメリカ英語、イギリス英語のどちらを標準にするのかなど問題が残ります。

フランス語は英語以上に論理的で美しい言語です。そして英語やドイツ語と並んでどんなにアカデミックなことも表現できますが、洗練され過ぎて言語としても豊かさに欠けるような気がします。

ロシア語はフランス語、スペイン語、ドイツ語の良いところをあわせ持った持った言語とも言われます。
確かにフランス語やイタリア語の軽快さとは違って
力強くて美しく、そしてドイツ語よりも流麗な響きがあります。また、特にdiminutiveと呼ばれるものが非常に発達しています。でも、複雑に語尾変化して扱いにくい言語でもあります。
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外国語を勉強すると母国語(日本語)の美しさに気付くことが多いです。


英語は表現が日本語に比べて少ないですね、英語での会話ではストレスを
多く感じることがあります。
自分はトルコ語を専門にしてますが、例えばトルコ語には母方と父方の兄弟姉妹で名称が違います。
日本には漢字の違いはありますが表現は叔父(伯父)と伯母(叔母)になりますね。
トルコ語は母親の姉妹をTeyze(テイゼ)、兄弟をDayi(ダユ)と言い
父親の姉妹をHala(ハラ)、兄弟をAmca(アムジャ)と言います。
これに血のつながりのない伯父や伯母の表現もあります。

言葉は文化のひとつと感じています。
食べ物や宗教や土地、気候の違いでさえ言語に反映されていることが
多いですね。これはその国の言葉を勉強する上で非常に大きな要因に
なると感じます。
日本人の繊細さは漢字も含め、感覚的な表現が多いこと、ですね。
日本人に生まれてよかった、と思いますよ(笑)
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同じ容量で伝達できる情報の量という観点から見ると、日本語は世界でも劣っている部類に入るでしょうね。


例えば、クリスマスも近いのでこんな例を挙げてみます。
「赤鼻のトナカイ」の歌い出し。

日本語"♪真っ赤なお鼻の"
英語"♪Rudolf the red nose reindeer"

英語の歌詞は"ルドルフという名の赤い鼻のトナカイは"という意味で、
日本語と同じ容量内で、伝えられる情報量が断然多いです。
これは、音節が単純で、ひとつの単語が長くなりがちな日本語では、避けられない欠点ですね。

質問者さんの挙げられた代名詞の件も、表現が豊かだという反面、ややこしい、気を使う言語だということも言えます。

こうしてみると日本語の旗色は、あまりよくありませんね。
ただし私は言語に優劣があるとは思ってません。
それぞれの言語には個性があり、それは長い年月の間に培われた、
その民族固有の宝だと思うからです。
どの国の言葉にもいい点、悪い点はありますよ。
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言葉は環境と必要性から発達するものだと思います。


人間に子供が一人しか生まれなければ「兄弟」という単語はなかったでしょう。親から生まれた子供はすべて平等であれば「兄」「妹」という区別も必要ではないでしょう。最初に生まれた男の子が他の子供に対して優越権を持たなければ「長男」という言葉も必要ありません。欧米語では今日でも「兄弟姉妹」の序列意識がないため「兄が」「妹が」という表現はありません。男女の差はありますが上下は関係ありません。

日本人は何を食べても「ワーおいしい」「すごくおいしい」「とてもおいしい」だけです。「おいしい」を
言い換えるには方言を使うしかありません(日常語として)

日本人にとって雪は白いものですが、エスキモーは雪の色をいろいろと言い分けるそうです。海洋民族にとっては「波が荒い」だけでは不十分で様子を正確に伝えるためには「どのように荒いのか、航海に耐えるのか、泳げる程度なのか、魚は釣れる程度なのか」という情報を伝える言葉が必要になります。でも日本人は
「今日は波が荒い」ですべてを理解します。

言葉とはこのようにその民族にとって必要な単語が発達しています。従って単純比較には意味がありません。日本語は豊かだと思いますが、どの民族でも彼らなりにその感情を伝える言葉を持っています。民族が異なれば同じように理解できないだけです。生まれたときから体験で知っている言葉のバックグラウンドが異なるのです。「暑い」がどの程度の暑さを示すかは民族によってことなります。辞書に書いてあるのは最大公約数に過ぎません。従って本当の翻訳は難しいのですが、体験していないことは実感できないのでいくら正確に訳しても限界があります。結論としてA民族の「暑い」とB民族の「暑い」には10度の差があるかも知れませんが、それぞれの民族にとっての暑さを表していれば一応役割を果たしたことになります。

日本語の特徴は大和言葉に漢語、西欧語を自由に取り込める言語的柔軟さにあるでしょう。これは日本語が近代語として完成する前に漢語の洗礼を受けたためだと説明する人もいます。漢語のお陰で日本語は造語能力が優れているので、近代用語にもうまく適応してきたと言えるでしょう。「突撃」「発射」「前進」などと二語で表せる言葉をやまと言葉で表せば時間が
2~3倍必要かも知れません。

もうひとつ例を。
「生暖かい風が吹いてきた」この風は暑くも寒くもない風ですが日本人にとっては気持ちの悪い風(嵐の前兆、幽霊が現れる前など)です。しかし、民族によっては中間温度の風に過ぎないので「気持ちの良い風が吹いてきた」と理解しそのように翻訳する人が現れるかも知れません。言葉は一人歩きできないのです。
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