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・日中戦争の原因は何ですか?昭和40~50年代の歴史の授業では、盧溝橋の一発の発砲が発端を教えられました。
・アメリカは偶然にも日本の真珠湾攻撃の信号を傍受して、攻撃されるのを待って参戦のきっかけを得たそうすね。真珠湾は浅かったので沈没した艦艇は全て修理して使用可能になったとか、、、

A 回答 (4件)

ドイツ相手に苦戦中のチャーチルにとって、アメリカを戦争に引きずりこむことは、英国が敗北を免れる唯一ともいえることでした。

ルーズベルトにとっても、議会の戦争反対の声を封じ込め参戦を果たすには、「敵からの一撃」がどうしても必要でした。

1940年、アメリカ海軍情報部極東課長、A・H・マッカラムなる人物は、ルーズベルトの側近宛にA~H8項目からなる覚書を送ります。その中には
F 現在ハワイ諸島にいる米艦隊主力を維持すること
G 石油に対する要求をオランダが拒否するように主張すること
H (英国と協力して)日本との全面的な通商禁止
をあげ、
「これらの手段により、日本に明白な戦争行為に訴えさせることができるだろう。そうなれば、益々結構なことだ」と記しています。
アメリカの一研究者は、これを「戦争挑発行動計画」と呼んでいますが、その後の展開は、FDRがこの政策に沿って対日政策を展開したことをうかがわせます。

ハワイのホノルルでは、日本外交官森村正(本名は吉川猛夫海軍少尉)がアメリカ軍基地、艦艇の状況など細かな情報を収集します。しかし、彼の正体に気づいていた海軍情報部は、FBIから捜査権を奪い、行動は監視するが制約しない=「泳がせる」手段をとります。(もちろん電話の盗聴、電報傍受など通信はすべて掌握します)

また、アメリカが日本の外交暗号(紫暗号)や海軍の五桁暗号の少なくとも4種は解読していました。したがって、12月2日の「新高山ノボレ」(一部には平文であった、との証言もありますが)の意味するところについても、当然知っていました。しかし、この間の暗号解読や電文、その他の記録については、今なお米海軍の極秘扱いです。(ちなみに、真珠湾攻撃後、米海軍は暗号解読にかかわる全ての文書を回収し極秘扱いとし、そのほかの文書もすべて焼却するように、解読関係者に命令しています。)

ただ一人、事態を(部下の情報将校からも)知らされていなかったのが、H・E・キンメルアメリカ太平洋艦隊司令長官でした。「奇襲」による被害の全責任は彼に押し付けられます。一方、フィリピンなどでは、開戦前に艦隊をオランダ軍基地に移動させるなど、いち早い対応策が講じられています。

チャーチルは、真珠湾攻撃の報告を聞いた日の日記に「これでやっとぐっすり眠れる」と記したそうです。

真実は、暗号解読の実態などが今なお極秘事項のため闇の中です。しかし、多くの状況(証拠)から、アメリカの政治・軍事指導者の一部にとって、日本の真珠湾攻撃は「アメリカの参戦・対枢軸国戦争プログラム」にはプロローグとして折込済みであったことは間違いないといえるでしょう。
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この回答へのお礼

情報ありがとうございます。

お礼日時:2005/12/10 22:05

No.2ですが失礼しました。

真珠湾攻撃は12月7日でしたね、ごめんなさい。
ところで日中戦争ですが、原因を考えれば日本軍駐留のきっかけとなった第一次世界大戦や日清・日露戦争、そのころの世界情勢にまでさかのぼると思いますよ。
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この回答へのお礼

日本軍駐留のきっかけとなった第一次世界大戦や日清・日露戦争、そのころの世界情勢ですか、、なかなか日中戦争のきっかけが見えなくて、、助かります。

お礼日時:2005/12/10 22:06

 ルーズベルトが真珠湾攻撃を知っていたかどうか、諸説分かれるところだと思いますが、面白い話をご紹介します。


 アメリカは真珠湾攻撃もまさに前日という12月3日、商船を擬装したいわゆる“一寸法師艦隊”を南シナ海に走らせ、日本軍に『最初の』一撃を加えさせようと企てたらしいのですが、日本軍哨戒機がこれを無視したため、空振りに終わったのだそうです。
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日中戦争の原因は盧溝橋での一発が原因です。

ただ、こういう事件はこれまでも何度もあり、このどこの誰が発砲したか不明の一発が泥沼の戦争の発端になろうとはそのときは誰も考えてはいませんでした。
それが、どちらも譲らずどんどんエスカレートしてゆきとうとうああいう泥沼の戦争となったものです。
真珠湾攻撃についてはルーズベルト大統領や一部の政権幹部は知っていたようですが、現地の太平洋艦隊司令官や他の指揮官には知らされていませんでした。
これはドイツと戦争をしたがっていたものの理由がなく、日本を徴発して戦争が起これば三国同盟によりドイツがアメリカに宣戦布告をすることになっていましたので、アメリカのほうから戦争をはじめたことにはならないし、真珠湾をだまし討ちにされたということでアメリカ国民の怒りを戦争への積極的参加に持ってゆこうとしたものだと考えられます。
真珠湾については、そのとき湾内に残っていたのは旧式戦艦が多く空母などは訓練のため出港していていませんでしたので犠牲にしても対して影響はないと考えたのかもわかりません。(ただ、まだその頃それほど空母の価値を認めていたかどうかは疑問ですが。)
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この回答へのお礼

あらー、一発が発端ですか、、同じ時期に上海などでもイザコザが有ったようなブログも見ましたが、、

お礼日時:2005/12/10 20:24

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