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「万世一系」の意味を教えてください。

高校日本史の授業では、推古帝など女性が天皇に就いた例や、本来の皇位継承者をさしおいて別の人間が即位した例もあった、と習いました。ぱっと見た感じ、「万世一系」とは違う気がします。どうなんでしょうか?

A 回答 (15件中1~10件)

現在問題になっているのは「女系天皇」であって、女性天皇ではないことをまずご理解ください。


愛子さまが即位された場合、父親は現皇太子さまですから「男系の女帝」になり、これは過去に数人みえます。
しかしながら父親が皇族ではない天皇は前例が無く、愛子さまが皇族の血を引かない一般庶民と結婚され、その子供が次代の天皇になられた場合、男女に関わらず史上初の「女系天皇」となり、遺伝子学者や伝統を重んじる方々から反対を受けています。
系図上は初代の神武天皇以来男系の子孫が皇位を継承してきましたが、全てが直系という訳ではありません。
例えば26代の継体天皇は近江に生まれ、越前で育った豪族ですが、前代の武烈天皇が子孫が無く亡くなった為に応神天皇の5世の孫という血統をかわれ、武烈天皇の姉の手白香皇女と結婚し皇統を継ぎました。
この場合も継体天皇自身は応神天皇の血を受けてますから男系になります。
ただ一説では天皇家とは無関係の他人で、武力クーデターで皇位を簒奪したのではないかとも言われています。
これは天武天皇もそういった説があることを付け加えておきます。
この説では中大兄皇子(天智天皇)は大海皇子(天武天皇)は実の兄弟とされているが、実は異父兄弟(或いは他人)で、正当な皇太子の大友皇子(弘文天皇)を殺して皇位を簒奪したのではないか・・・、という説も。
いずれにせよ「万世一系」というロマンがある以上、今の時代にそれを壊すことが正しいことかどうか、私は疑問をもっております。
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「万世一系」と言う言葉は水戸学の流れを汲む尊皇思想の用語で、江戸末期の攘夷思想家や明治政府による「思想的なフィクション」です。

ややもすると欧米に劣等感をいだきがちになる国民を鼓舞する意味合いが強かったと思います(野蛮な洋夷にはない、「二千数百年連綿と続く皇室を戴く歴史があるのだ」と言う「誇り」を作り出すための)。

実際に、「万世一系」の根拠となっているのは「日本書記」やそれ以降の史書ですが、現在の「日本書紀」研究では「万世一系」は学問的に成立しにくくなっています。

「万世一系」と言う語句の持つ意味自体は、伊藤博文が「皇室典範義解」において皇位継承における万世不変の原則として、
 1.皇祚を践むは皇胤に限る
 2.皇祚を践むは男系に限る
 3.皇祚は一系にして分裂すべからざる
と挙げており、こちらが分かり易いでしょう。
上記の3.についてなどは、南北両朝の位置付けで当時から紛糾しており、玉虫色の解釈で流した経緯もあります。

ややもすると何百年も前からの伝統のように言う論者が多いですが、伝統なんて時代時代の要請に応じて変わっていくものです。大正天皇はそれまで側室を置くのが伝統であった天皇家に一夫一婦制を取り入れました。これは制定された当時の民法に合わせた行動です。

わたし自身は明治天皇や大正天皇、昭和天皇と言う方々が激動の時代にあって常に良心的に節度をもって天皇としての責務をはたしてこられたことに敬意を持っています。今後、皇室が健全に継承されていくには、戦前の価値観に拘束されずに将来の皇室のあり方を見据えて、時代の要請を取り入れていくべきでしょうね。
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#7です。

ヨーロッパの場合はさておくとして、日本の場合、例えば天皇の5世の孫が天皇になったとされる(継体)、また一度臣籍におりたが改めて天皇になった(宇多)などの例があり、事実としては同族ではあっても「別の家」の人が天皇になった例は何度もあります。
継体の場合、本当に5世の孫だったのか、という点も問題になりますが、いずれにせよ「万世一系」というのは歴史学の問題ではありません。
あくまで、父親が、あるいは父親の父親、父親の父親の・・・・(中略)・・・父親が男性天皇であった、という思想です。
つまり、古代日本の氏族社会において、同族というのが父系で考えられたため、まあ一定の説得力をもった思想であったわけです。
さらに中世において実質的な権力者が形式的には天皇から任命される形式をとったため、こういう思想が温存されてきた、ということです。
つまるところ、日本では「万世一系」という思想によって、王朝の断絶がないものと考えてきた、といった方が真実に近いわけです。例えば桓武天皇は封禅を行っています。つまり実質自分の代になって新しい王朝が安定した、と考えています。少なくともそれまでの天武系の王朝とは別王朝であると天皇自身が考えていた形跡があります。しかし、後の皇国史観などではこれは不都合で、天照大神→神武天皇→・・・→現在の天皇、とい流れを強調します。ところが実際は天皇の子孫なんてものは諸源氏や諸平氏をはじめ、さらに皇女の嫁入り先までいれると膨大なものになります。ですから特定の流れが尊いのだ、という事をいうためには(継体の例があるので)5世以内の男系で連続してきた、という思想をもって他と区別する必要があったということです。
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11番の方が、おかしな事を言っています。



フランスのブルボン家を、カペー家と言う学者がいるでしょうか?
ルイ14世を、カペー家と言うと、笑われますよ。
それを王朝が代わったと言うのです。

平清盛の後、源頼朝が政権をとっても、どちらも天皇家の男系でつながっていてるので、一系だと主張するのと同じです。
11番氏の考え方だと、源頼朝が、天皇を廃して、自分が天皇になっても、万世一系であると言っているのと同じです。
そんなものは、万世一系とは呼びませんし、価値も有りません。さっさと捨て去るべきです。

また、男系のみが家系の継承ができるのであれば、現在のオランダ王家はどうなるのでしょうか?
オランダでは、女王が3代続いていますが、オラニエ=ナッソウ家です。

今後、スエーデンやデンマークなどでも、女王の子が王家を継承しても、家名は変わらないでしょう。
現在では、男系・女系などといったくだらない考えは、時代遅れで、過去の遺物以外の何者でも有りません。
ここで、男系男子にこだわれば、日本は世界の笑いものになるだけです。
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父系に関して,立花隆氏のこんな主張もあります.


なかなか,難しいものです.

http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/med …

参考URL:http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/med …
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ルイ16世のお名前はルイ・オーギュスト・ブルボンなのでしょうか?違うと思いますよ。

あの人はルイ・オーギュスト・カペーであり、カペー家です。アンリ4世がカペー家に復名したのです。ただ、ヨーロッパはそのケースが多いからブルボン王家と通称で呼んでいるだけで、あれはカペーなんです。バロアも同様でカペー家に復名しています。あくまでもカペー系譜でありブルボン系譜ではありません。
 それに対して英国のPOWはチャールズ・アーサー・フィリップ・ジョージ・マントバッテン=ウィンザーと言い、ウィンザー男系断絶により王家の名称が変わるのです。ちなみにハプスブルクもハプスブルク=ロートリンゲンで本家断絶になっています。
 ヨーク・ランカスター問題はどちらの名前にしてもトラブルになるからチューダーにしたのじゃありませんか?ザクセン=コブルク=ゴーダもトラブルになるから苗字を変更しただけじゃないのでは?

 **朝というのは要注意した方が良いですよ。学者や作家が都合上そのように呼んでいるだけで、本当は男系相続による苗字の復名している場合がありますから。
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9番の方に間違いが有ります。



ヨーロッパの王家に関して、家系が変わるのは、男系が絶えた時とは限りません。

フランスのカペー家が絶え、バロア家に代わりましたが、バロア家の当主フィリップ6世は、カペー家のフィリップ3世の男系の孫です。
日本の天皇家の万世一系であれば、バロア家でなく、カペー家のままであるはずです。
ここで、王朝が代わったとされるのは、フィリップ6世が、バロア伯と、カペー家の臣下となっていたからです。
これは、後のブルボン家も同じで、ブルボン家のアンリ4世は、かなり血縁が遠くなっていますが、カペー家の男系につながります。

イギリスにおいても、ヨーク家もランカスター家も、プランタジネット家の男系でつながっています。
これも、ヨーク公、ランカスター公と、臣下になっているために起こった事です。

スペイン(レオン・カスティジャ王国)のブルゴーニュ家の場合、兄ペドロ1世の死後、兄を殺した弟エンリケ・デ・トラスタマラが、トラスタマラ朝を起こしています。
ここでは、兄弟であっても、家名が異なるため、別の王朝として認識されています。

ヨーロッパにおいて、家系が代わるのは、男系が絶えた場合だけではないのです。
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No.8は嘘ですので信じないようにしてください。



ヨーロッパの国王で父系が絶えた場合、原則別の王朝に変わります。例として英国王室を挙げますが、

現王朝であるウィンザー家を辿るとザクセン家(現王室は1915年までザクセン・コブルク・ゴーダという苗字でした)に辿りつきます。これはヴィトトリア女王がザクセン・コブルク・ゴーダ家に嫁いだため王朝名がハノーヴァー家から変わりました。エリザベス2世が逝去しますとマウントバッテン・ウィンザー王朝になります。(チャールズ王大使の苗字です)

 狂王ルートヴィヒで有名なバイエルンのヴィッテルスバッハ家は、1777年に本家が絶えますが、まずズルツバッハという分家が継ぎ、そこが一代で絶えたためツヴァイブリュッケン家という分家が後を継いでます。両家とも父系で初代のオットー・ヴィッテルスバッハにたどり着く家系で、現在も続いています。(1000年以上)
 この相続で、王朝がヴィッテルスバッハからズルツバッハになったりツヴァイブリュッケンになったりはしていません。ちなみにこの3家は分かれてから500年位経っています。
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日本では、万世一系と称していますが、西洋史の考え方からしますと、王朝は、あきらかに代わっています。



古代王朝において、王朝の交代の考え方を排除して、記紀の記録以後においても、西洋的価値観では、王朝が交代したと考えられるケースがあります。

1.武列天皇から継体天皇にかけて
武列天皇と継体天皇は、10親等はなれています。
100年以上前にさかのぼって、天皇の系統を主張している。
武列天皇の姉(妹?)と結婚することにより、天皇と認められています。継体天皇の次の天皇は、武列天皇の姉の子ではありません。

2.称徳天皇から光仁天皇にかけて
ここも、150年ほどさかのぼっています。
称徳天皇の妹と光仁天皇の結婚により、天皇となっています。
光仁天皇は、即位前大納言の地位にあり、臣下となっています。
このような場合、西洋では、臣下(王族ではない)が王朝を継いだとして、別王朝とみなします。
光仁天皇の次の桓武天皇は、称徳天皇の妹の子ではありません。

3.南北朝時代
説明の必要は無いと思います。
イギリスのプランタジネット家、ヨーク家、ランカスター家、チューダー家の関係と同じです。

4.後桃園天皇から光格天皇にかけて
ここも7親等離れています。
後桃園天皇の子と結婚してます。
次の仁孝天皇は、後桃園天皇の孫ではありません。

こうしてみると、天皇家が、単純に男系男子でつながっていない事が分かります。
女系になりそうな場合、別の男系の男子と女系になりそうな女子とを結婚させ、形を作ってきたのがわかります。

その場合、西洋の概念では、別王朝となります。
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万世一系というのは事実かどうかは問題ではないので、要するに思想です。


男系、つまり父親の父親の(以下父親の、が続く)父親が天皇である、という意味合いです。
どうしてそういうことを気にするかというと、本来は姓の問題です。
つまり、天皇家の姓がかわる、ということです。少なくとも天皇という名称が使われるのは7世紀あたりからですが、既に男性中心社会です。従って氏族・姓などの制度も男系中心に施行されていたので、姓が変わることは別の氏族に属することを意味するわけです。女性天皇自身はともかく、その子供は他の氏族の子供、ということになります。これは都合悪いというのです。
実際「神皇正統記」あたりでは、何代天皇、というのと並べて何世、というのが記述されています。つまり何番目の天皇というのが代というのに対して、神武天皇まで父親の父親の・・・が何人いるか、というのが世。
まあ実態は一種の信仰ですから事実かどうかは今更確かめようもありません。
なお現代の問題については確かに「万世一系」神話はくずれますが、そもそも天皇制の存在意義が変わっているため、国粋主義的な流れの人を除いては「別に女王様でもいいじゃん」というのと大差ないわけです。
つまり天皇家を特別視する思想はもはや一般的ではなく、むしろ「日本の王様」でしかないようにとらえられているからです。
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