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江戸時代の庄屋・名主って平均してどれ位の地主ですか?まあ村の大きさも関係するでしょうけど、10反位かな。またどれ位のお金を土蔵に持ちどれ位のお金を動かせるものなんでしょう?まあこれも個人差がある話なんですけど。

A 回答 (2件)

いちがいに庄屋・名主といっても、その身代も村の規模というよりも立地条件などによって大きく異なります。


庄屋・名主は代々世襲のところもあれば、一代限り、あるいは何年かごとに交代という場合もあり、就任も領主から任命される場合も、村の構成員の選挙で選ばれる場合もあり、選挙で選ばれる場合などは、村人の代表で必ずしも財産が多いものが選ばれるわけでもありませんし、世襲の場合はその家系でなければいくら大地主でも庄屋・名主にはなれませんでした。
そういうことで、平均どれくらいの田畑をもっているかとか、資産がどれくらいかというのはなんともいえません。
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この回答へのお礼

庄屋・名主の生い立ちはそれぞれでホント身代を推し量るのは難しいのですね、ありがとうございます。

お礼日時:2006/01/01 14:28

厳密に何反以上の者が資格者であるといった決まりはありません。



庄屋(関東で名主)とは職名で、今でいう『村長』のことです。江戸時代の農村には、村方三役と呼ばれる役職が存在しましたが、庄屋・名主はその1つです。

多くは草分百姓と呼ばれる、自ら自墾して田地を開拓してきた一族が世襲してきました。

ので、そのときどれだけ開墾したかがその広さとなります。もちろん人によって違いますが反単位ではなく、
町(1町=10反)単位で土地を所有していたのではないのでしょうか。
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この回答へのお礼

強いて言えば町単位になるのではと言う事ですね、どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/01/01 14:31

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