【お題】引っかけ問題(締め切り10月27日(日)23時)

札幌オリンピックのスキージャンプで、日本はメダルを独占したそうです。
これはどうしてでしょうか?
地元有利ということが大きく働いたのでしょうか。
それとも、元々日本チームは強かったのでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

 札幌オリンピックで日本代表チームが表彰台を独占したのは宮の森シャンツェで行なわれた70m級ジャンプです。

70m級ジャンプとは現在のノーマルヒルにあたり、この他に大倉山シャンツェで行なわれた90m級ジャンプがあります。

以下は伝聞と資料からの受け売りになりますので、しつこい位に「~なのだそうです」と書いていますがご容赦を。

なぜ札幌オリンピックで日本ジャンプチームは表彰台を独占できたのか。それには様々な状況が組み合わさった結果だったのではないかと思います。札幌オリンピックの前、映画「白い恋人」で有名なフランスのグルノーブルオリンピックで日本代表団はメダル0と惨敗しました。入賞すら一人も出なかったという状況の中で、次の札幌オリンピックに向けて競技毎に選手の強化が行なわれたのです。そんな中でジャンプチームも新しい練習方法、新しい技術を研究したのだそうです。

当時のスポーツ界では、まだ根性論が幅を利かせていました。根性さえあれば、とにかく練習さえ数をこなせば競技で勝てるという前近代的なもので、欧米に比べてコーチングの面でも練習方法も技術も立ち遅れていたようです。そんなグルノーブルでの反省を基に、日本ジャンプチームは様々な試みをしたのだそうです。

そして4年後の札幌オリンピックの直前、ヨーロッパで開催されていたジャンプ週間の4連戦で笠谷選手が3連勝を成し遂げます。本来であれば最終戦のオーストリア戦にも参加するはずだったのですが、その好調を維持したまま札幌オリンピック本番に参加したいと最終戦を欠場し、札幌で猛練習をしたのだそうです。

スキージャンプ競技は踏み切りと飛行中の体勢の維持が最も重要とされています。もちろん風の方向や強さなど、他に重要なファクターはいくつもあるのですが、選手自身の努力によって向上するのは踏み切りと飛行中の姿勢なのだそうです。競技会で地元の選手が強い、といわれるのはホームグランドとなる競技会場で地元選手が最も練習を積めるからで、そのの会場に慣れ会場のクセを掴んでおく事が自分の力を存分に発揮する下地となるのです。ヨーロッパでの競技大会を欠場してまで札幌に戻って練習したのは、100分の1秒単位といわれる踏み切りの猛練習をするためなのだったそうです。

オリンピック本番では、日本チームの中で最初に飛んだ金野選手がいきなり大ジャンプをしました。後に、「あのジャンプのお陰で気持ちが楽になった」と後に回想した方がいらっしゃいます。(どの方の回想か失念してしまいました)結局、金野選手のジャンプで勢いに乗った日本チームは1回目のジャンプで大きくリードします。2回目のジャンプでは力みすぎて距離が落ちたものの、他国のトップ選手の不調もあって日本チーム3選手が表彰台に上る事ができたのだそうです。

札幌オリンピックの70m級ジャンプで日本チームが表彰台に上れたのは、彼等が選手として年齢的にもピークだった、ジャンプのスタート順位が現在と違って1本目・2本目とも同じ順番だったため、最初に日本が大ジャンプをして後の順番の他国の選手にプレッシャーをかけられたなど、いろいろな状況はあったと思いますが、個人的には「より高く、より遠く」を目指した選手と関係者達の努力とチームワークの賜物だと思いますよ。

【参考URL】
 http://news.kyodo.co.jp/kikaku/sports21/flashbac …
 http://www2.asahi.com/torino2006/history/TKY2005 …
 http://www.nhk.or.jp/spotai/onair/57/report.html
 http://www.nhk.or.jp/spotai/onair/57/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>ヨーロッパでの競技大会を欠場してまで札幌に戻って練習したのは、100分の1秒単位といわれる踏み切りの猛練習をするためなのだったそうです。

こういう練習ができるのも地元の利ですね。
90メートル級でもメダルをとっていたば、すごかったんですが。

お礼日時:2006/02/14 17:26

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