プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

現在の護衛艦などはミサイル化されていて、砲は1連がほとんどようですが、
第2次大戦時に建造された戦闘艦の主砲って、3連装がほとんどのようですよね。
この「3連装」に何か意味があるのでしょうか?

A 回答 (8件)

 下記URLの、各戦艦の解説部分に若干の説明があるようです。



参考URL:http://ha5.seikyou.ne.jp/home/hiro-h/rf/jpn_bb.htm
    • good
    • 0

軍艦に求められるのは攻撃力とスピード、そして防御力です。

攻撃には大砲の数が多いほど有利となりますが、それだけ船体が重くなりスピードが落ちます。エンジン出力の小さかった時代の戦艦は小さな大砲(単装砲)をたくさん積んでいました。しかし、小さな大砲では距離と破壊力に問題があります。そこで大砲を段々大きくして距離と破壊力を高めて来た訳ですが、幅の狭い軍艦に大型の大砲はたくさん並べられません。連装式の登場です。近代の軍艦は連装が中心で三連装は第二次世界大戦末期の大和や武蔵のような巨大艦で初めて実現できたことです。巨大な大砲を三連で搭載すれば船体の幅が大きくなり、スピードが落ちる、この矛盾を解決するためには更なるエンジンの出力アップが必要でした。結果は・・・何の役にも立ちませんでした。戦艦の時代は終わっていたからです。航空母艦こそ求められていたのです。

現在の軍艦は軍艦同士の直接戦闘は考えない設計になって、海に浮かぶ軍事基地、作戦基地、輸送船、諜報基地と変わったので、全く違う船と考えるべきでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

えーと、砲の数を増やし、大口径化すれば艦幅が大きくなる。
こうした無理をしてまで3本も砲身を並べたのはなぜか…ということです。
ただ単に1本より2本より3本!ということなのでしょうか。

お礼日時:2002/01/16 16:48

第2次大戦当時の大砲は、現在に比べ命中精度だけでなく発射速度もかなり低いもので、(具体的な時間は調べてみないと良くわかりませんが)大口径の大砲ほど、砲弾の装填や砲身の冷却のために、次弾の発射までかなりの待ち時間が必要でした。

そのため、単位時間当たりにより多くの砲弾を発射するのに、多くの砲身が必要で、戦闘艦は総じてハリネズミのようなスタイルをしていたと言えます。
一方で現代では(戦闘における主砲の位置付けが低くなったことがまずあるとは思いますが)大砲の発射性能が格段に向上し連続速射が可能になったため、単装でも十分(連続発射をすると、おそらくけっこう短時間で砲弾を打ち尽くしてしまうことになると思います。)になったと言えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

えーと、砲の数を増やし、大口径化すれば艦幅が大きくなる。
こうした無理をしてまで3本も砲身を並べたのはなぜか…ということです。
ただ単に「1本より2本より3本!」とか、「相手が2本ならこっちは3本」ということなのでしょうか。

お礼日時:2002/01/16 16:53

何故二本、三本か。


説明したつもりですがね・・
砲は数が多く大きいい方が有利です。では何故40センチクラスでとどまったか?
条約で取り決めがあったからですが、技術的にも大砲の数を増やせば艦の幅が広くなりスピードが落ちる・・当時の技術で見出した答えが2~3本どまりだったということでしょう。現在の旅客機でも何故千人乗りを作らないか?考えてみてください。

私は何故、いつごろ船腹の横並び大砲(ガレオン船など)が船体中央に縦並びに変わったかに興味があります。横並びなら数を増やせますね。段々増やしていくと転覆するから?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

出来るならもっと増やしたいけど、条約や技術的な制限で3本に落ち着いたということですね。

お礼日時:2002/01/16 21:41

こんにちは。

やり取りを見ててもしかして砲塔の事をお聞きになってるのかな?と思いまして。

沢山の砲をを装備した日露戦争以前頃までの戦艦では、一門づつバラバラだったようですが、大口径砲をいくつか装備するようになると、横腹からにょきっと出したのでは安定が悪くなり甲板に装備するようになりました。
しかし甲板上では直撃弾を受けやすいのでどうしても防御装甲をする必要が出て来ます。そうすると同じ10門の大砲でも単装10基だと装甲に必要な重量がとんでもなく大きくなり、船の重心が上がってしまい転覆しやすくなってしまいます。
ですから、装甲を節約する為に考えられたのが連装砲塔です。
そして第一次大戦頃には、各大砲がてんでんに狙って沢山の弾を打つのから、船の高い所から方角、角度を全部の砲塔に指示してある程度の範囲に弾を落して、ある確率で相手の船に当てる確率射撃という方法に変わっていきました。
第二次大戦初期には大国の海軍では戦艦の中距離射撃は、ほぼ10発を打つとまず間違いなく相手の船に1発は当てる事ができる位の射撃精度になったそうです。
それで戦艦は10門に近い主砲を装備することが求められました。

ですから確か日本ではありませんが5連装砲塔を2基装備した戦艦もいたはずです。

というわけで装甲重量の節約というのがお答えではないかと思いますが。転覆してしまっては元も子もないですから。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

装甲重量、散布界、射撃速度等々の要素で、3本砲身に落ち着いたということですね。

お礼日時:2002/01/16 21:45

大昔にどこかで聞いた話ですので、自信無しです。



1)なぜ砲身数を増やしたいか?

連装砲から発射される砲弾は、同じ所を狙うわけではないそうです。
ちょっとずつ違うところを狙うことで、どれか一発が当たればよし、ということだそうです。
たとえば、中央の砲塔は狙い通り、右の砲塔はちょっと手前を狙う、左の砲塔はちょっと奥を狙うということで、目測が多少狂っていても、どれかが当たると言うことです。
すると、2連装より3連装の方がいいような気がしますよね。

2)2×4より3×3

当時の米軍では、2連装を4砲塔積んだ艦が多かったと聞いています。これは、パナマ運河を通らなければならないため、戦艦の幅を広くできないからだそうです(今も同じですけど)。
しかし、2連装×4砲塔=8発より、3連装×3砲塔=9発の方が、一度に発射できる弾数が多いですよね。
また、砲身の数が多い割に、砲塔の数が少なくて済みますよね。
そうなると、4連装、5連装・・・ときりがなくなりますが、そこまで建造することは当時の技術ではできなかったのでしょう。
    • good
    • 0

一門の砲の発射速度に限界があるわけですから、限られた戦闘時間により多くの砲弾を敵に打ち込むためには、少しでも多くの砲を搭載する必要があります。

このことと艦船の船体の能力との兼ね合いで、砲の数が決まっていたと思います。
それではなぜ、単装砲塔6基ではなく連装3基あるいは3連装2基なのか。まず考えられるのはmartinbuhoさんが言っておられるように、船体の幅と長さの兼ね合いがあるでしょう。実際当時の日本の戦艦では、3連装主砲を装備していたのは船幅の広い大和級だけだったと思います。
さらにもう一つ考えられるのが、装甲の効率です。当時の戦闘艦は大砲の打ち合いを想定していましたので、側面は敵の砲撃に耐えられるように分厚く装甲されていました。特に主砲の砲塔は、その内側に砲弾や発射用の火薬があり、これに誘発してしまうと船は一巻の終わりですので最も重装甲であったでしょう。
ここで、艦体については装甲が厚くなることにそれほど大きな問題は無かったと思われますが、砲塔は少し事情が異なります。これは船の最も高い部分に設置されています。こんな場所に重装甲の重い鉄の塊があったらどうなるか。当然バランスが悪くなります。戦闘で艦体が損傷を受けた場合など、最悪の場合ひっくり返ってしまうとも考えられます。
できるだけ砲塔の重量を増やさずに装甲するには、砲を2連、3連と集中させる方が、効率的だったということではないでしょうか?
    • good
    • 0

砲を増やす理由には様々な物がありますが、バクッと


話しますね。

敵に弾が当たるか否かは「一回の発射弾数×命中率」で
求められますよね?
ここで、命中率ってのも当然ながら向上させるように
考えられたんですが、それだけでは限界が見えますから
命中させるには発射弾数も向上させなくちゃいけません。

すると、方法としては
 1.砲の単位時間当たりの発射弾数を増やす
 2.同時に発射する弾数を増やす
の二つでして、この内の2の考えで、搭載砲数を増やし
たいって要求が出てきたようです。

 ※発射速度を上げる方法も採られたようですが
  当時の技術ではこれにも限界があった様です。


ところが、砲塔の数に比例して問題がでます。

1.砲塔および砲下(旋回機能や揚弾機能)の問題
  砲塔は、箱を横から見て貰えば解るんですが、上面
  と裏面は、手前側の面積に比例して変わりますから
  三連装でも単装でも砲1門当たりの量は一定です。
  (つまり、単装9基でも三連装3基でも同じ)
  ところが、横板は、砲塔1基辺り2枚必要です
  から、これは砲を多連装にすればするほど重量の
  節約になります。
  他方、揚弾機能ってのは、多連装になればなるほど
  一基あたりの重量は若干増加するのですが、主とし
  て砲塔の数によって増減します。
  ですから、同じ数の砲なら、砲塔を減らすとここら
  の機構の重量が節約できます。
2.バイタルパートの増大
  弾薬庫や機関に弾を喰らうと、一発で戦闘力が落ちる
  だけでなく、下手すれば轟沈しますよね。
  ですから、こいつらが存在する場所はバイタルパート
  と呼んで、特別分厚い装甲で覆うわけです。
  ところが、単装9基の砲塔を置くと、これが長く
  なりすぎて、装甲重量が増大します。
  他方、多連装にすると、確かに艦幅は増大しますが
  砲塔の数が少ないために、バイタルパートの長さ
  が節約でき、結果として装甲すべき表面積が減少
  します。


じゃ、極論すれば、前向きに6門、後ろ向きに3門搭載
する艦艇の場合なら、前を6連装1基にしたら...って
考えも出るんですが、ここでも問題があります。

1.主として天板鋼材の製造技術
  天板ってのは、極論すれば1枚の鍛造鋼で作りたい
  ものです。(砲塔の表面積の鋼材を作れるなら
  他の部分はそれと同じ物を繋ぎ合わせて貼り付け
  ればOK)
  じゃないと、つなぎ目部分は、当時の鋲止め技術
  ではどうしても弱くなって、砲塔の弱点になりかね
  ないんですね。(砲塔装甲ほどの厚板を溶接する
  技術は、当時は未完成でした)
  ところが、実際には均質で表面積の大きな鋼材を
  鍛造で作るのには製造技術の面で限界がありました。
  もちろん、鋳造ならより大きな物も作れたりします
  けれども、強度が鍛造鋼より劣るんですね。

   ※:ちなみに、鋼材製造技術に優れていた
     ドイツやイギリス・イタリア等は多連装
     砲塔の開発を進めたって記録もあります。

2.回転機構の問題
  砲塔を回転させるためには水圧もしくは電圧が
  用いられますが、余りに砲塔重量が大きくなると
  力不足で回せなくなったり、旋回速度が恐ろしく
  落ちちゃって戦闘できなくなったり、砲塔1門あ
  たりの旋回機構重量が大きくなりすぎて、重量面
  で不利になります。
  (1回転するのに10分もかかる砲塔じゃ、戦闘
   なんてできませんよね....(^^;))
  また、艦体と砲塔の接触部分の摩擦を解消する
  為の機構、そこら辺りの大型鋼材の製造技術にも
  限界がありますし、横幅が大きすぎると、鋼材の
  ゆがみ等で回転に支障が出る可能性があります。

3.反動吸収の問題
  合計した反動は艦体全部で吸収するんですが、局所
  だけ見ると、砲が密集して存在する部分は大きな
  反動がかかりますが、これを受け止めるための材料
  がこれまた問題。

で、ここらを総合すると3連装あたりが一つの技術的
限界だったんでしょうね。
(解っていても作れないんだよ~ってこと)


また、砲ってのは8門あれば、必ずしも8門同時に
発射されるわけじゃ無いんですね。
指揮所からの指示メータに砲塔側で常に合わせていれば
指揮所で引き金を引いた時に各砲が一斉に発砲されるん
ですが、この砲塔側での追従が遅れると、その砲は発砲
されない機構になっていた様です。
ちなみに、これは旧日本海軍でも演習の時に重視して
いた項目らしいですが、例えば戦艦でも90%半ば。
ある演習で金剛が100%を達成して表彰されている
くらいです。
ですから、この面からも搭載砲数の増大は意味があったと
思いますね。

ちなみに、現在の砲が命中率と1門あたりの発射速度が
が上がったことで、搭載砲数が減らされています。
また恐らく、砲塔回転速度維持と、同時発砲時の反動の
増大による艦体強度の増加の必要性(すなわち、装甲と
は無縁の構造材の重量増加)を嫌っている、
減っています


蛇足ですが....。

砲を大きくするのにも限界がありまして.....。
砲身側は大丈夫と思うんですが、砲尾の閉鎖機能や
材質が、大きな砲の反動に耐えられなくなりますんで。
ちなみに、ドイツ陸軍では80cmなんてお化けを実用
化したんですが、これは砲身が短いために発射するた
めの火薬量が小さく、反動も少ないために実用化でき
たものです。(それと優秀な鋼材技術)

日本の場合、物の本では「大和には優秀な○○という
鋼材が使われていた」なんて記述もありますが、鋼材の
技術史から見ると、製造技術が追いつかなくって、生産
量が恐ろしく少ないため、実際には「他の軍艦にも使い
たいと思うけど、製造技術と経済が追いつかないから
大和にしか使えなかった」ってのが真相の様です。

この辺りは材料屋に語らせると相当詳しいでしょう。
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!