プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

真珠湾攻撃で大成功をおさめた日本。その勢いでハワイを占領してしまえば、その後の戦いはかなり有利に進められたのではないかと思うのですが、何故それをしなかったのでしょうか。

単純に戦力不足で不可能だったということでしょうか。ハワイを占領することさえ出来ないのであれば、太平洋戦争を勝ち抜くことなど不可能だということになると思います。

A 回答 (23件中21~23件)

こんにちは。


まだ締め切られていなかったのですね。議論が発散してきているようにも見えますが、おもしろそうなので私も仲間に入れてください。
ポイントは、「戦争の検討とは、結局は所要戦力の算出。その意味ではハワイ占領も検討されていた。それどころかサンフランシスコ上陸も検討されていたらしい。でもそもそも“検討”っていったい・・・?」

質問者さんがハワイ占領に興味を持った背景がわからず、ご質問の趣旨をきちんと理解している自信がなく、さらに資料として残されているものも少ないのですが、いくつかの記録・回想や新旧変わらぬお役所の仕事の流れから次のような推定はなりたちそうです。

○ ミッドウエー占領
明確な所要戦力を含め上級会議で提案・承認されて実行された。ハワイに比べて占領所要戦力が極端に小さい。失敗を予見する(我艦隊護衛航空機などもっと戦力を必要とする等)資料も若手により作らていた可能性もある。

○ ハワイ占領
 一部の記録や回想から、かなり労力を割いた所要戦力検討が行われた可能性がある。しかし上級会議に資料は付議されず、将来の実施可能性程度として上級会議での口頭議論や、下級会議(担当課内会議など)で使い捨ての簡単な資料が作られたにとどまり、結果としては、短期的実施には十分な所要戦力の準備・輸送・維持の一部又は全部を準備できない結果とされた模様

○ サンフランシスコ占領
 一部の回想から、所要戦力検討が行われた可能性がある。ただし、残される資料までは至らず、机をならべた同僚同士の勤務時間内での会話・・・程度で結了した模様。(戦域研究記録はある)

○ 米本土全面占領
 一部の回想から、所要戦力検討が行われた可能性がある。若手の軍人を中心に大いに議論され、相当の時間が費やされた。ただし、そのほとんどが虎ノ門の赤提灯で自然発生的に行われた・・・

 質問者さんのご質問の趣旨が、「ハワイを上陸占領するまでの戦力投入に自信がないのなら、なぜ中途半端の奇襲を行ったのか」とすれば、私も同感です。一方、「中途半端な奇襲ではあるがそれをもとに戦争を有利に短期で終了する見込み」もある程度の論理性をもって存在しており(それなりに良くできている)、時代のなかでは私も同じような分析を行ってしまった可能性も否定できないので、結局それが見込みハズレになったとはいえ結果をもって揶揄することはできにくいでしょう。

さてさて、ご参考になりますでしょうか

 一方、少々気になることが・・・。
 質問者さんは「正しい答え」、「本当のところ」、「まともな」という言葉を比較的単純に使っておられるところ、歴史議論においてこれらの用語(考え方)は避けるべきでしょう。
 ご自身でもお気づきかもしれませんが、国の大きな動きはとても複雑であり、流れを理解し議論を円滑にするために事態を単純化した表現は必要ながらも、「正しい」「本当」はぎりぎりまで口や文章に出しては言わないほうがよいです。
(何人かの回答者さんにも見受けられますが、自分が言葉に呑まれてしまい、多様な考え方の道を閉ざしてしまうほか、視野の狭さを予見させて専門家からの助言を受けにくくしてしまう。)

 「山本五十六は日米開戦には反対だった」のは多分「正しい」(多数の、あるいはその認識を持つことで次の議論が行いやすい)認識でしょうが、彼とても「開戦せずにアジア占領を維持する見込み」については迷っていた形跡があり、「軍人の分」の範囲の中でさえ十分な反論努力をしたとはいえない見方もありますので・・・。

 その意味では、今回の質疑をもとに、「ハワイ占領は、将来性まで否定されていないものの、少なくとも1941年実施事項としては所要戦力対効果比から日の目を見なかった」と単純理解し、次に「では戦力対効果比はどのような手段で議論されたのか」(尉官級止まり?それとも将官級会議まで?等)や、「詳細な算出がされたとしたら、却下要件はどんな順位だろうか」(いちばんは上陸部隊規模?輸送手段?兵站?・・・それとも防衛圏の定義範囲?)という方向に議論をしてみたいところですね。残念ながら私もそのような議論に足る記録発見や回想出版物に接していないのですが。

お役に立てれば幸いです。
    • good
    • 5
この回答へのお礼

joshua01さんには丁寧にご回答くださり感謝致します。

今回の質問によって私は、色々と教えてもらい、考えさせられました。そうでありながら失礼な言い方をしたことをこの場を借りてお詫びしたいと思います。

正直言って私のような不勉強な者にはテーマが大き過ぎたと感じています。出直してきます。

ここでこの質問を締め切りたいと思います。皆さんの回答を正しく評価するだけの知識が私には無いのですが、具体的で深い考察が為されていると私なりに感じるものにポイントを付けさせていただききました。

皆さん有難うございました。

お礼日時:2006/03/27 20:19

まともに当たっても勝ち目のない戦いなのになぜ真珠湾を攻撃し、フィリピンを占領したか?


1年半ぐらいの間、アメリカが蒋介石率いる国民党軍を支援している「援蒋ルート」を絶ち、国民党との戦いに決着をつけたかった。
国民党という基盤を失えば、アメリカ側との交渉で有利な立場を日本が作ることができ、後は「反共」という共通の目的をもった同盟国として石油資源の供給などを受けることができる。
だから、ハワイは占領せず叩くだけで、フィリピンは直接の供給基地だから占領した。
しかし、占領地を広げたことに酔ってしまい、「援蒋ルート」も叩かず、国民党との戦闘に力をいれず、アメリカとの交渉もせず、相手の分析を怠り、そのことについて誰も思考することをやめてしまった。
本来ならば順番として「援蒋ルート」を完全に絶ち国民党軍との戦闘に力を割き、はやく中国との戦闘を日本勝利に導くか、アメリカとすばやい交渉で日本の占領地などの拡大を認めさせるかをするべきなのです。
しかし、天皇を中心とする御前会議など司令部が全くそれを怠って、アメリカ軍の強力な反撃が、1年もたたずに行われて、後は「大本営発表」の出鱈目な情報や作戦により多くの人命が失われ、原爆投下、ソ連参
戦、敗戦へ続くのです。
参考になれば。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

中国との戦いをどう決着つけるか、これは誰も触れなかったけれども、これを無視して太平洋戦争を考えることは出来ませんね。

なぜハワイを占領しなかったかの理由で、日中戦争の視点でフィリピンと対比させているのは興味深かったです。

ご回答有難うございました。

お礼日時:2006/03/27 20:25

戦後に出版された戦記物の記述より判断しますと、大日本帝国海軍は砲術科(戦艦の主砲操作)の連中が権力を握っていたため山本五十六のような戦艦より空母を重視する者たち主流でなかったらしい、従って大艦巨砲の大和を建造するが、航空戦力の重要性も充分認識されていたのは事実です、真珠湾に空母が停泊しているかいないかが当時最大の関心事


であったようです、南雲指令長官は空母攻撃の重要性の認識もなく二波3波の攻撃を航空参謀よりの申請を却下して、空母の探索も行わず逃げるようにハワイより帰還している、他の回答者が言われているように戦艦を重視する勢力と航空戦力を重視する勢力がミッドウエイ海戦まで拮抗していたようですが、この海戦の敗戦で決着したようです、すなわち
この海戦で日本海軍は先頭に空母郡を配置してその2,3百海里うしろに戦艦を配置したため空母の大半を失い戦艦は無傷で帰還とゆうぶざまなことになった、もしこの展開が逆で戦艦のうしろ2,3百海里に空母郡の配置なら戦艦が少々の空爆で撃沈されないので勝敗は逆転していただろう。他の回答者が指摘されている反共とゆう云々でアメリカは日本との戦争中は共産主義の脅威どころかソ連に武器援助までしてヤルタ会談にてソ連の力を借りようとしていました、共産主義の脅威を知るのは
1950年に始まる朝鮮戦争までアメリカは共産主義には無防備でマッカーサーがこの戦争で初めて日本は自衛戦争をしていたと認識するわけです。
    • good
    • 4

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!