【お題】王手、そして

不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています。

ずっと気になっていたので質問させていただきます。
「私」を「あたし」と書く人をよく見かけますが、あれは、わざとなのでしょうか?そういう書き方が流行っているのでしょうか?
あと「言う」を「ゆう」と書く人もよく見かけます。
友達同士のメールのやりとりなら、ともかく、あらたまった文章の中にもそう書く人がいるので世の中の日本語能力ってそこまで低下してしまってるのかと疑問に思いました。それにしても幼稚園レベルの日本語能力ですよね。

A 回答 (10件)

「言文一致運動」の現代版ですね。


日頃そう言っているから書いてしまうのでしょう。歴史的仮名遣いの「てふ」を「ちょう」と読むことと同じだと思っているのではないかと思います。
「私」と言う字は「わたくし」と読みますよね。それが「わたし」になって、「あたし」になってしまう訳です。さらに崩れて、「あっし」になることもあるようです。でもそれが流行りか?というと疑問符です。

「言う」は関西などでは「ゆう」ということがあります。「ゆう」と入力して「言う」と変換できるようなソフトもあるそうです。話し言葉を正しく認識できるソフトが求められているのでしょう。

古語では同じ「申し上げる」と言う意味でも「奏す」「啓す」「申す」「聞こゆ」などいろいろありましたが、今は天皇陛下だからといって「奏す」を使いませんよね。
現在の「参る」という言葉に、古語辞典にあるような「お召し上がりになる」という意味はないですよね。

言葉は時代によって変化しますが、絶対に変えてはいけない部分があるはずです。
その部分が欠如していたり、勘違いしている人は「幼稚園レベル」と見られても仕方がないのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/02/05 16:15

 これは私の意見ですが、「あたし」に関してはTPOによっては日本語の乱れや能力低下とは思わないです。

あくまでも自分の代名詞ですから、自分のマインドにぴったりあった呼び方をすると思います。その意味で、書き言葉で「あたし」と書こうと「ウチ」や「俺」や「小生」でも同じように文字で個性を出す一つの方法だと思います。ちなみに「アタシ」と書けばなんだか奔放な女性像が思い浮かびませんか?
 しかし、書類やエッセイではない論作文などに「あたし」や「俺」を使用するのは大人として誉められたものではないでしょうね。女性・男性に関わらず「私」を用いるのが普通ですよね。

 「ゆう」を書き言葉で使うのはあきらかにおかしいと思います。これは簡易化した発音ですから。私は関西の人間で、布団を「ひく」と言いますが表記には「しく」が正しいのですよね。こういうところを間違えるとやはり日本語能力を疑われても仕方がないですよね。penmaruさんの書いておられた「言文一致の現代版」、そのとおりで、「憂慮すべき」と形容すべきではないでしょうか。
 
 書き言葉ではないですが、個人的に気になるのは「雰囲気」の発音です。「ふいんき」と言っている人が意外に多いですよね。
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質問の中身は違いますが、私も、おそらく本質的にはkumi6さんと同じようなことを疑問に思って質問を立ち上げたことがあります。

(参考URL参照。)

あらたまった文章を書くときや、正式な文書、論文などにおける表記と、くだけて書くことを念頭においた表記がつかいわけられる人たちにとっては、何ということもない問題なのでしょう。

でも、例え書いた本人が「くだけて書いた」と割り切って書いたつもりのものであったとしても、文とは、人の目に触れたとたん、一人歩きするものですからね。受け取る人が、それを、「正式なところで使ってもよい表記法」と受け止めてしまったら、悲劇が待っています。

私が(おそらくkumi6さんも)最も恐れているのは、その区別、判断ができない人が、今どんどん増えてきているのではないか、ということではないでしょうか?

ちなみに私は、ここでは、基本的には無防備に書き込んでいますので、結構いいかげんです。すみません。

…こうやって改めて考えてみると、やっぱり人間には、けじめが必要なのだと痛感します。公式な文書を、しゃべりことばで書いてしまう人がいたとしたら、やはりその人の「おつむ」を、失礼ながら疑ってしまうのが自然でしょう。公と、プライベートのけじめがつけられないような人が社会人になったら、公私混同で所属団体に迷惑をかけることは目に見えています。くだけた文を書くのならば、必ず正式な文を書けるようにしてから、と、私たちは自覚するべきですね。

で、日本中にその傾向が出てきているとしたら。

日本が世界中から非難される日もそう遠くはないということです。

なお、ことばは生き物、との論は確かに正論です。しかし、マスコミなども、まだ判断力の乏しい小中学生に向けて、正式な文とは程遠い言語を浴びるほど流しています。これほど早く、新しいことばや、お遊びの表記法を世に送りつづけて、こんなにも早く日本語を変化させつづけているマスコミ。

ことばは生き物である限り、変化もあるが、核となる母体もあるはず。それが、揺らいでいるという感じを抱いております。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=202973
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No.6です。

促音便云々はこちらのPCのウィンドウサイズの問題でした。
大変失礼致しました。疑問符の後一字あけは学校でそのように習った
気がするのですが、気のせいかもしれません。本当に失礼致しました。
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質問に対して、答えさせてもらいます。



>「私」を「あたし」と書く人をよく見かけますが、あれは、
 わざとなのでしょうか?

わざと書いている人とわざとではない人の両方がいると思います。
というより、両方いるという前提で考えてみると答えが見えそうな気がするので、
そうすることにします。

1、わざと書いている人の場合

たとえば、海外のチャットなどをみてみるとスペルミスは気にしていません。
時間をかけてキチンとした文章を書かなくても、相手に内容が伝われば良いと
考えているのでしょう。日本人にもそう考えている人がいるのではないでしょうか。
ローマ字で書いた場合、「私=watashi+スペースキー」と8回タイプしますが、
「あたし=atashi」は6回ですみます。このサイトでは、多くの人が回答を求めて
おり、中にはなるべく早く知りたいと思っている人もいるでしょう。時間の効率化を
図ったと考えることもできるのではないでしょうか。

2、わざと書いていない人の場合

これは、みなさんが指摘している通りだと思いますので、省かせてもらいます。

>そういう書き方が流行っているのでしょうか?

たぶん流行りも関係しているのでしょう。流行っているということは、より多くの人が
使うことを意味します。そうなると、それが常識のように思われてしまいます。
たしかに、違和感がありますし、一見、正しくないように感じますが、いつか
文章を書くときの常識になってしまうかもしれませんね。少なくとも、サイト上では
常識化されつつあるように思われます。

>あらたまった文章の中にもそう書く人がいるので世の中の日本語能力ってそこまで低下
してしまってるのかと疑問に思いました。

たぶん、インターネット上の文章は、あなたが考えるほど改まったものではない
のでしょう。日本語能力の低下と考えるか、新しい文章体系の誕生と考えるかは
考え方ひとつだと思います。

>それにしても幼稚園レベルの日本語能力ですよね。

あげあしをとるつもりはありませんが、たしか、作文などの文章の書き方を習うのは
小学校ですよね?

以上で、回答を終わりますが、最後に、、、

「言葉というのは日々変わるものであり、それは、葉が青々と成熟したのち、
枯れ落ちていくのに似ている。また、木々はことなる場所では、ことなる
葉をつける。言葉も同じように、土地、季候、育ち方によってことなるで
あろう。」
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この回答へのお礼

いろいろ丁寧に分析してくださって、ありがたかったのですが、最後の「あげあしをとるつもりはありませんが」のところは、まさに、あげあしそのものに感じました。回答者は質問者のあげあしをとる為に回答するのですか?それとも私がNo.6の方のお礼欄に「そういう回答が来る事も覚悟している」と書いたからですか?どちらにしても質問者からの気持としては気持の良いものではないですよ。
その箇所以外は立派な回答文を書いてくださっているので余計に残念に思いました。

お礼日時:2002/02/05 22:06

「あたし」「ゆう」は本当に気になります。

書き言葉として使われると違和感を
感じます。是非、実際に使われている方のご意見をうかがいたいです。特に
意識もせず使われているのでしょうが。

以下は聞き捨ててくださって結構です。揚げ足をとるつもりは全くありません
が、kumi6さんの文章にも気になるところがあります。偉そうにすみません。

疑問符の後は一文字あける。
促音便などの「っ」は文頭に来てはいけない。
「日本語能力って」→「日本語能力というものは、日本語能力は」。
「低下してしまってる」→「低下してしまっている」。
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この回答へのお礼

<是非、実際に使われている方のご意見をうかがいたいです。特に意識もせず使われているのでしょうが。

そうですね、実際のところは使っている本人に聞いてみないと分からないですね。

<kumi6さんの文章にも気になるところがあります。

質問内容からして、そういう回答も来るかも・・と覚悟しておりました(笑)疑問符の後は一文字あける、というルールは今回初めて知りました。今後覚えておきます。それと、私の文章をもう一度見直してみましたが、促音便の「っ」が文頭になっているとの事ですが、それに該当する部分が見当たりませんでしたが・・?

お礼日時:2002/02/05 17:25

ウーン、公式な文章だったら、マズイヨウナ・・・。



確かに今までの「書き言葉」では、あまり見かけなかった書き方ですね。
ただ、「言葉」の性格として、「話し言葉」に「書き言葉」が追い付いて行くという、パターンが在りますから。

此れはどんなに規制しても、少しずつ浸透していきますからね。
もし、社会の中で、多数派に為ればしょうがない部分かもしれませんね。

公式文章ではないですが、「目線」と言う言葉がありますね。
私は使いませんが、今では一般的に使われていますし。

こちらは公式文章(社内とか)でも使われる言葉ですが、「差別化」と言う言葉です。
今では堂々と、会社の部長・社長さんまで使っていますが、意味は「区別するに、プラスアルファー」と言う意味ですよね。
「差別」
1 先入観や偏見から不平等に扱うこと.
2 区別.(三省堂)
私たちの青年期では、2の意味は無いか、在っても使ってはいけない言葉と思っていました。
つまり、普段使うときは「人種差別」「障害者差別」「差別」「差別する(区別の意味ではありません)」と、良い意味では使われる事がありませんでしたので。

経済活動の中で、誰が使い出したのかはわかりませんが、「他社との差別化を、この機能で作り出す・・・」と。
今では、雑誌の広告や、会社案内の文章でも見かけるようになりましたものね。

「あたし」「ゆう」が、良い悪いと判断する事は、私には出来ません。
ただ、公式な文章の中で使われると「違和感」は在りますね。
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この回答へのお礼

日本語もどんどん変わってきていますよね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/02/05 16:54

教えてGooをあらたまった文章と認識しているかどうかだと思います。

ここで「あたし」とか使ってる人でも、論文などでは使わないと思いますよ。気持ちの問題だと思います。
日本語能力の低下自体は、塾で国語を教えている時にしみじみ思いましたが、活字離れが原因でしょうね…
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この回答へのお礼

<ここで「あたし」とか使ってる人でも、論文などでは使わないと思いますよ。気持ちの問題だと思います。

それなら問題無いと思いますが、一人二人ならともかく、「あたし」と書いている人は結構多いですよね。(他サイトも含めて、です) それで疑問に感じました。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/02/05 16:45

小学生のころ「もらう」を「むらう」と書いて先生に注意されたことを


思い出しました。「あたし」も「ゆう」も口語的な表現としては一般的な
ものですが文章にはしませんよね。そのことは昔も今も変わらないのですが
テレビの影響があるのではないでしょうか。

今やバライティー番組でテロップを使用していないものはありません。
そのテロップは口語を文章化することで視覚効果を狙っています。
関西系の芸人が「アホゆーなー」とあるのを「アホ言うな」とされると
いまいち臨場感がなくなってしまうということですね。
子供のときからそんな文語表現に慣れていると公的な文章でも
口語表現を使ってしまうかもしれませんね。

ただ同じことは別の世代でもあります。
かつての文学青年の書いている書込みには「いう」を「いふ」としてあります。
「いふ」からしてみれば「いう」こそ口語表現であったのでしょうが
戦後の国語教育で「いう」が文語表現の地位になりました。
現在の文語表現も古語の世界では口語表現にすぎません。
もっともセリフではなく文章として「あたし」「ゆう」を用いる場合は
やはり、その人の国語能力が乏しいのでしょう。でも、そんなに多くの人が
使っているのかなって疑問には思います。少なくとも、私は一度も見たことは
ないですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

<小学生のころ「もらう」を「むらう」と書いて先生に注意されたことを思い出しました。

私も幼い頃、「喉」を「のぞ」と書いて注意された事があります。これは子供だから良いとして、いい大人が変な言葉遣いを平気で使っているというのはオカシイですよね。

<今やバライティー番組でテロップを使用していないものはありません。子供のときからそんな文語表現に慣れていると公的な文章でも口語表現を使ってしまうかもしれませんね。

なるほど。学校の教科書よりテレビのバラエティ番組で言葉を覚える、という点に問題がありそうですね。

<でも、そんなに多くの人が使っているのかなって疑問には思います。少なくとも、私は一度も見たことはないですよ。

私は、ここのサイト以外でもよく見かけましたので気になりました。他にも「教えて」→「お知えて」(これはネットではなく手紙の時でした、しかも2人から)、「お手数ですが」→「おてかずですが」なんていうのもありました。

お礼日時:2002/02/05 16:34

「私-わたし」「言う・謂う・云う-いう」は共通語のような気がします。



私は、普段は「私」の事を「アタシ」「アタシャ」と喋っておりますし、「言う・謂う・云う」を「ゆう」と発音しております。

確信は無いですが、東京地方の昔の方などは、男性でも「アタシ」「アタシャ」を使っていたような、また、「いう」と発音せず「ゆう」と言っていたような気がしますが。

因みに、オジサンです。
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この回答へのお礼

それは話し言葉での例を挙げてくださったのですよね?
私も話す時は「言う」を「ゆう」と発音しています。
ちなみに京都人です。
話言葉と書き言葉では、違うと思います。
「あたし」「ゆう」は、あらたまった文章での書き言葉では、おかしいような気がしますが・・。どうなんでしょうね?
ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2002/02/05 13:12

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