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どうしてフルコンタクト空手の流派の名前には会館のつくものが多いのですか?会館と言うのは建物のことだと思うのですが?

A 回答 (3件)

 極真会館設立以降の他流派に関しては、極真会館の名称の影響が大きかったと思われますが、ではその極真が総本部道場並びに組織名称を「会館」とした理由について、ということですね。


 大山倍達は空手の組織を確立する上で、組織的経済力は「日本相撲協会」、競技人口と国際的認知度は「柔道」を当初から目指していたことから、相撲協会所有の「国技館」と、柔道の組織名またその総本部の建築物の名称でもある「講道館」というところから、「組織のやかた」という意味でごく自然に「会」「館」という名称にしたと考えていいと思います。武道に携わる者というのは基本的に精神性の底流には日本の歴史と共に歩まんとする傾向にあり、脈々と流れる日本の歴史に立ち返ればこうした組織の鍛錬の場所を「館」という名称以外を使うことの方がむしろ考えられない、とそのように思います。
極真会が第一回世界大会を開催するにあたって、当時大山の側近らは東京体育館や後楽園ホールなども考えていましたが、大山は何が何でも「日本武道館」にこだわったようです。また、1983年ごろに大山自らが外観をイメージして発表した新会館の予想図というのがありましたが、まるで昔の風呂屋(銭湯)の上にビルをジョイントさせたような建物でした。つまりあらゆる考え方の根幹にはこうした古き時代への抜き差しなら無い熱き想いが横たわっている、組織名も建物の名称も元は人の思考から具現化されるものですから、その出所である創設者のメンタリティーをして「会館」とするに至った、ということなのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。国技館や講道館にならって極真会に館を付けたのかもしれませんね。なんとなくわかってきました。

お礼日時:2006/05/14 09:54

極真会館は、今でも『極真会』と言う呼称は使っているようです。


(道着の胸の刺繍は、今でも『極真会』となっています。)
立教大学裏のバレエスタジオ時代は、大山道場と言う名称でしたが
池袋に新本部道場を建設する際、国際空手道連盟極真会館という名称
を使い始めたのが、会館と言う名称が出てきた最初の様です。
借り物の道場から、自前の道場を持てた事も含め、会館という名称を
名乗った理由なのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。新しく本部道場を建築したのがきっかけかも知れませんね。他の流派もそれにならったのなら
ちょっと安易な名前の付け方のような気がします。

お礼日時:2006/05/14 09:49

今のフルコンタクト系の空手は、極真会館の大山倍達総裁(故人)の弟子だった方や大山総裁に対抗して作られた流派が多いからでは無いでしょうか。


正道会館は、大山倍達の弟子である芦原英幸先生の芦原会館で修行した石井館長が設立したものです。(石井館長も極真会館で修行されていた事がありますが、芦原先生の独立に伴って、芦原会館へ移りました。)

その他、大山総裁の弟子で独立された流派には、東孝先生の大道塾、元世界チャンピオンの佐藤勝昭先生の佐藤塾、二宮城光先生の円心会館、山崎照朝先生の逆真会館などがあります。
すべての流派の名前に『会館』がついている訳ではありませんが、そのような風潮があるのも事実です。
参考になりましたでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ではなぜ極真会は極真会館となったのですか?

お礼日時:2006/05/10 21:34

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