アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

さてテレビで有名な「金さん」ですが、よくよく考えれば家族の事は分かりません。

景元(金さん1793-1855)→景纂→景影→景之→景档

まず「金さん」は何処の娘と結婚し景纂を生んだのでしょう。
意外と分かりません。

また「金さん」の母も然りです。


「成美堂「遠山金四郎」物語と史蹟をたずねて
童門冬二 著」
にも載っていません。

A 回答 (2件)

No.1です。

金さんの母と嫁については、早乙女 貢著「史話 江戸を歩く」新人物往来社 の記載によりました。  他の遠山景元研究書にも母の記載あり、一致するので間違いないでしょう。
金さんの家督相続は複雑でした。  父の景晋は男子に恵まれず、養子を迎える事にしました。  とたんに男子が誕生しました。  これが金さんです。  止むをえず、金さんの誕生を隠し、男子なしの理由で幕府に養子の許可を取りました。  金さんの兄になる景善です。  一年後金さんが生まれた事にして公にしました。   金さんは成人まで他所で育てられたとも、言われています。  その後は同じ屋根の下で暮らしました。  二人とも居心地が悪かったろうと、書かれています。  金さんが遊んだのもそのせいでしょう。 
しかし意外な解決を見ます。  景善の男子が実家の養子になり、跡を継ぎ、金さんが景善の養子になり、跡を継ぎました。  両家とも正しい血筋に戻りました。  360度のねじれ相続です。  父の景晋は形式上、金さんの祖父になりました。  年が離れておりまあまあですか。
これは一説で他説がいろいろあります。  早乙女さんも異説です。
金さんの嫁の家ですが、同時期の天保期に、堀田伊勢守がいました。  名が不詳で同一人かわかりません。  4200石の大身旗本で、釣り合わないようで、別人でしょう。  堀田家はよい家が多いようです。   金さんや鬼平の実話には興味があります。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早乙女 貢著「史話 江戸を歩く」新人物往来社

ですネ。

有り難うござました。早速、読んでみます。

好奇心を十二分に満たされました。

お礼日時:2006/06/04 20:59

「金さん」の母は榊原次兵衛忠寛の娘と言われていますが、父景晋(かげみち)の妾との説もあります。


「金さん」は堀田伊勢守一知の娘を娶(めと)りました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

書き込み有り難うございます。

なんか痒い所を誰か掻いて貰った開放感を感じます。

なるほど榊原次兵衛忠寛の娘が母親・・・。

堀田伊勢守一知なる人物も気になります。素性がです。

世間に名だたる堀田氏はたいてい片方の名前に正の字がつきます。

一知なる名前の堀田一門とは何藩の者なんでしょうか?。

いずれにしろ好奇心を見事に満たして頂き感謝します。

お礼日時:2006/06/03 21:38

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!