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戦後の「農地改革」というのは、旧ソ連や中国の共産主義者が、政権を取った時に行った、「富農の農地を剥奪した行為」と同じようなものと考えて良いでしょうか?

A 回答 (5件)

 GHQと新政府が、戦犯の土地を没収したのではないですか?

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戦後、GHQは日本の軍国主義(拡張主義)の経済的要因を、財閥による産業の寡占と、農村の大規模地主制にあるとみて、解体を命じました。

これをもう少し詳しくいうと、農村も都市も少数の同族が、富の大部分を所有していて、貧富の格差が大きいことが、生産規模の大きさの割りに、消費市場の小さい日本経済の特徴を作り出していた。消費市場と、生産原料を海外に求めざるを得ないことが、海外侵略の原動力となり、少数の同族が、資産と政治力を所有して、自分達の利益(海外での権益)の為に、国民の不利益(戦争に行くのは、大部分貧乏な農民の息子だけ)を無視して戦争を遂行した、という認識です。この、経済的基盤を崩すことが、日本が再び軍国主義国家に戻らないため大事なことだと考えました。これは、戦後、比較的格差の少ない社会を創ることに成功し、格段に広がった、日本消費市場と、アメリカ消費市場のおかげで、奇跡の経済復興を成し遂げることができました。曲がりなりにも、日本は、軍国主義国家に復活することを拒否し続けているので、GHQの戦略は、成功した見ていいと思います。「農地改革」は、取り上げたのではなく、安い値段で小作農に売らせたのです。

旧ソ連などの、国有化や、集団化とは違います。
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見た目が似ていても、目的が異なれば同じものとして見ることはできないですね。



戦後の農地改革は、地主と小作人との争議を根本から解決するのが狙いです。
その結果、土地をもった農民が急速に保守化し、日本では中国のような農村からの共産主義革命が不可能となりました。
さらに、自分の土地をもった農民の労働意欲が上がり、食糧が飛躍的に増産するという副次的な効果まで出てきました。



一方、ソ連で行われたのは、土地の所有を地主から国家に移し変えるだけの内容でしかなく、中国では当初は農民に土地を分配したため農民から喜ばれましたが、共産党が政権を握ると、農民の土地はすぐに収奪されました。

土地を持たない農民は労働意欲も上がらず、共産主義国家では慢性的な食料不足が続く結果となりました。
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農地改革では、小作人が、自らが耕していた農地を自分のものにすることができました。

地主が自ら耕作していた土地は地主に残っています。地主にとっては大変な災難でしたが、いわば「農村の所得格差是正」です。

共産主義国の「富農の農地を剥奪した行為」とは、平たく言えば「国家の敵と看做したものの資産を国家が没収した行為」です。富農(と看做された農民)は、地主と言える人から「自作農」と言える人までかなりの幅があったようですが、何らかの資産を持っていました。その人たちの資産を没収して、「資本の原始蓄積」を安直に行ったということです。

「富農」から没収したものは土地だけではありません。もともと貧しく、自らは工業基盤を持たず(モノを作り出せず)、さらに革命や内戦による混乱でいっそう貧しくなったソ連・中国・朝鮮では貴重な保存食料、家財道具、衣類、貴金属などが含まれていたはずです。

ソ連では、1930年頃に、多数の貴金属や美術品を西側に売り、機械装置、食料、特権階級向けのぜいたく品などを輸入しました。「富農」や「貴族」から没収した「土地以外のもの」の使い道の一例です。
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似ていますが根本的に違います。


日本は、国(共産党)が取り上げたわけではなく、小作に配分しました。
ソ連や中国、北朝鮮は、奴隷制を基本として国をつくっていました。
人民は国(共産党)の奴隷であるという発想です。
富豪の奴隷を解放と称して取り上げ、公務員や共産党員の奴隷としたわけです。

そこに、人間の自由を許容していたか、自由を許容していなかったのかが最大の差ですね。日本は再配分後、農地の売買や農業の継続を自由にしていますので、大都市近郊では小作出身の大地主(大資産家)が誕生しています。


日本でやられたことは、一種の徳政令で、土地のみの再配分をしたわけで、人間を奴隷化するということとは正反対のことでした。
日本の地主が大規模化し、小作が激増したのは、明治時代の失政(納税制度改革)が原因ですから。
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