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連続質問おそれいります。
織田信長は上総介=千葉県の次官
羽柴秀吉は筑前守=福岡県の長官
といった具合に、ほとんどやってもいない役職名がついているのが気になるんですが、
(1)そもそもこの役職名は、上に書いたような解釈で正しいのでしょうか?
(2)こういった役職名は誰に与えられたのでしょうか?
(3)(1)の答えが「正しい」だった場合、実際仕事はしてたんでしょうか?
(4)(3)の答えが「してなかった」だとしたら、役職が有名無実化したのはいつ頃からでしょうか?

A 回答 (3件)

まず1についての認識は合っていますね。

本来はそのとおりです。
2ですが、これは古来いわゆるそこに赴任する人に与えられていました(厳密に言うと、与えられるとそこに赴任することになります)。いまでいうところの支社長みたいなものでしょうかね。
ついでにいうと、お金を稼ぐなら守がよい(賄賂とか税収をピンハネしたりとか、結構潤っていた人が多い)ということでわざわざ位としては四~六位程度であまり高い位ではない守にしてくれ、という人までいました。もっとも、人気のない国はあり、これは簡単に言うと金銭収入が低い国です。そういうところに限って官位では高い位にあります。
親王任国というのは、もじどおり親王のみが任官される役職です。こういった国では実際には介が統治していたのはNo2の方のとおりです。

しかし、武家の台頭により実際に任地に赴くことはまずなくなり、戦国ではただの箔となっています。つまり4の回答がこれです。武家の台頭とともにただの箔になったのです。厳密に言うと、守護とか地頭とかいう「守以外の長官」がでてきてからですね。

さて、戦国時代ですが、この時代多くの武士は官職を名乗っていました。
しかし、正式任官と、いわゆる僭称(勝手に名乗っている)の2種類がありまして、戦国にはほとんどが僭称となっています。正式任官している人のほうが例外です。
特に七位程度だと9割以上は僭称なのですが・・・守となると一応は正式任官している人が多いです。

で、織田信長ですが、これは僭称です。最初上総守と書いていたのですが、すぐに上総介と変えています。非常にいい加減ではありますが・・・こういうものです。
つまり、勝手に名乗っていただけ、ということです。
僭称となれば、ただ名乗っているだけですから当然職務はありませんし、こなす必要もなければ義務もないのです
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No. 1 の方の引用された Wikipedia に尽きますが、そしてそこにも書いてありますが、蛇足を付け加えます。



上総介=千葉県の次官
上総国や上野国(その他いくつか)は親王任国といって、守(長官)になれるのは親王だけです。赤穂浪士の敵役、吉良上野介も親王任国での介ですね。律令制度初期には、実質の長官は介(次官)が行い、守は手当てを受け取るだけでした。
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