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ふとした疑問です。そうだから、といわれればそれまでなのですが、なにか説明ができるのでしょうか?
He can comes となっても何も不都合はないように思うのですが。

A 回答 (9件)

歴史的にいえば、ここでの原形は原形不定詞の名詞的用法(~すること)で助動詞の方が本動詞で原形は目的語です。



He can come. 彼は来ることを知っている。
He will come. 彼は来ることを望む。
He may come. 彼は来ることを許される。
He shall come. 彼は来ることが義務である。

これが本来の意味でした。後に原形の方に比重が移り、助動詞は動詞の意味を助けるものという意識に変わってきました。助動詞に三単現のsが付かないのは本来過去形だったものが現在形に転用されたからといわれています。

>He can comes となっても何も不都合はないように思うのですが。

不都合はないですが、違和感があります。なぜ違和感があるかというとこれは「慣れ」としか言い様がないでしょう。ネイティブでも説明できる人は少ないでしょう。バルカン半島南部の言語ではこのような使い方をする言語があるので、その地域の人が英語を話すとこんな間違いをするかもしれません。
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仮に、He can came yesterday. のような文があったら、どう意味を取りますか。

「彼は、昨日、来れたことが出来る。」ですか。

言葉には、常に、形式を規定する部分と、内容を表す部分があります。

形式とは、肯定文とか否定文、疑問文、または、能動、受動、そして、現在、過去の区別と言うことです。

内容は、まさに、食べる、読む、座る、など、内容そのものです。

つまり、なるべく、形式を規定する部分はそれだけでまとまる方が能率的なのです。内容を表す部分も、それだけでまとまる方が能率的です。

これは、言葉だけでなく、機械一般や組織でも同じです。つまり、動力や命令の伝達部分と、作業をする部分の分離です。
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この回答へのお礼

回答をいただいたみなさんへ、
いろいろな回答をお寄せいただき、ありがとうございました。予想していた通り、「なぜ」か問うことは無駄という意見から、英語史の立場から、それから、認識論(?)的な立場からの回答がありました。
このことに興味を持ったのは、英文法にはいろいろな規則がありますが、その中でも、この助動詞の後は動詞の原形というのは最も基本的で、例外のない珍しい規則だからです。
英語史はあまりわからないのですが、回答を頂いて大いに得るものがあると思いました。勉強して行こうと思っています。

お礼日時:2006/06/12 10:05

まさに「そうだから」で十分だと思います.


ここで説明をお求めになるのは,日本の文法偏重教育に毒されています.
He can comes には多くの人が違和感を持つ,というのが理由の全てです.文法で説明するのは本末転倒です.

こういうご質問が出るのは,日本の貧しい英語教育に引きずられているせいだと思っています.
文法偏重の英語学がはびこり,実用的な英語を排除した元凶は日本の明治以来の英文法学者とその信奉者だと思います.
事態改善のため,小学校から英語を教える動きがあると,これらの人々は,まず日本語が大事だからとの理由で反対します.文法第一主義者は日本人の英語教育の障害になっていると思われます.

一歩翻っても,その証拠は,このご質問の「なぜ原形が来るか」に,これらの文法第一主義者はどなたもまともに答えられていないからです.
このご質問は,文法信奉者に対して,「説明できるならしてみて」との挑戦状にも見えます.実際,「なぜ」に対して文法で説明しようとする方は,いずれも説得性が無く失敗しています.

皆さんよくご存知のように,文法は実際の生きた言語を後付けで説明したもので,文法で説明できない例外はいくらでもあります.生きた言語もmoving targetで時間とともに変化しています.
ところが,専門的な英語学の用語を多数操った説明などにより,ある限られた人々は,特権的な状況を楽しむ世界を構成しています.これらの用語を一般学習者が,なぜ理解し,使いこなす必要があるのでしょうか.このカテでも,高踏的に専門用語を大量に持ち出す方を見かけますが,ご本人は優越感に酔っておられるようです.

学習者が,複雑怪奇な専門用語を駆使することを求められ,そのためにエネルギーが費やされ,その結果,実用的な英語がおろそかになっていませんか.
日本の英語教育の問題は,実用的な英語を知らない大量の英語教師を作り出したことだと思っています.実際の英語(話すことを含めて)に不足があると,どうしても文法や英語学に逃げ込もうとしがちです.

以上個人的「たわごと」でした.
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日本語で言えば「歩き疲れる」と言った場合、「歩く」が「歩き」と連用形になります。

英語の動詞の原形は日本語の連用形と通じる部分があり、活用した形は 終止形に少し似ています。
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Gです。

 こんにちは!

このような「風習的」な物を文法では説明できません。 なぜって、文法とは「理由を説明」する物ではないからなんです。

しかし日本では、なぜか、文法がそうなっているから、と言う理由立てを使います。 そうではなく、文法と言う物はater_8さんがおっしゃっているように、後から整理立てて法則「らしき」ものを見つけ、それを体系付けた物に過ぎません。

よって、英語はほかの言葉と同じように生きているわけで変化をします。 よって、文法は時にその変化に応じて「法則」をかえると言う事が起こるわけです。 これは、生きた英語が間違っているのではなく、今までの文法が生きた英語についていこうとしているに過ぎないわけです。

ですから、この助動詞の後に来る動詞の原形は、原形が来る、と言う文法を作ったわけですね。 すべての文法法則が間違いではないように、この法則も間違いではありません。 しかし、理解として、原形が来るから原形が来ると言う文法法則が作られたのであって、文法がそう決めたから原形が来るのではない、と言う事はしっかり頭に入れて置いてくださいね。

では、なぜ、原形が来るのか。 答えは本当は簡単なことなのです。 「そうだから仕方ない」ではありませんよ。 

原形を使うことが「違和感を感じない」表現だからなんです。He can comesが使われないのは、文法ではなく、使う人が違和感を感じるからなんです。 違和感を感じるということは自分がうまれてきてから自分で作り上げた自分のための文法に沿わない、と言う事なのです。 (文法と言う物に人が作った文法と自分が自分のために作り上げてきた文法と言う物がある、と言う事を覚えて置いてください。 その自分の文法が「どう表現したら良いか」を決めているわけです。 だからこそ、人それぞれの表現方法があるわけですね。)

つい最近このカテでも書きましたが、ある有名な人(影響力のある人)がHe can comes.と言い始めそれがはやれば、生きた英語のひとつとして、これから定着するかしないかの大一歩を踏み出した、と言う事になるのです。

今、一番影響があるのは歌や宣伝文句でしょうね。 ここ3年間の英語表現の変化を見れば一目瞭然ですね。 確かに廃れた表現もあります。 また、まだ定着していない物もあります。 しかし、情況によってはまったく問題ない表現も作られてきました。 そしてその中の一部はもう既に定着した物もありますね。 つまり、違和感をまったく感じさせない表現と言う物です。 I luv NYの書き方、I'm lovin'と言う表現、このカテでさえ、loveと言う状態動詞が進行形にはなれない、と断言した人は今本当に断言できるでしょうか。 

生きた英語というものの力は文法にしがみつくように教えられた学生にはTPOにあわせた英語表現の重要性というものを教えられていないと言うことになってしまうわけです。 論文に書くような英語をいつまでも正しい英語だといっている間は英語圏の人と一般会話が出来ない、と言うお笑いの的にもなるわけです。

と言う事で、He can comesと言わないのは、いってもおかしくないような情況を作り上げるだけの影響力を持った人・ものがないのでこの表現に違和感を感じ自分では使わない、と言う事が理由なのです。

「ぜんぜん」と言う表現は否定文でしか「使えない」と号嗚した人が今使っているのであればその人になぜ使うようになったのか聞いてみれば今回のご質問の回答にもなると私は思います。

まったくの個人主張ですが私にとってこれが一番の理由だと思いましたので書かせもらいました。

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 
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私の発言をあまり信用しなくてもいいのですが、これで納得できればこれでよしとしましょうよ。

^^;

現在形や過去形は直接法と呼ばれ、客観的事実を淡々と述べる場合に用います。

動詞が原形になる場合、通常、主観的になり非事実(不確か)である可能性が高くなります。主観的なため感情が少し入ります。その感情を表すのが助動詞です。willだと意思・推測という感情。canだと可能性があるという感情。等々。ちなみに命令形(これも動詞の原形)だと命令という感情が伴っています。

この感情が高まり、ほとんど非現実なことを言う場合は仮定法過去形になります。
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 英語の述語動詞は,主語と時制により形が変わります。

これは日本語にはない英語の最大の特徴の一つです。日本語にも過去形はある,と言うかもしれませんが,「た」という助動詞を用い,動詞は連用形になっているとはいえ,連用形=過去形というわけではありません。

 He comes の場合,he という3人称単数という主語,現在という時制により,comes という形になっています。そして,否定文や疑問文では,does を用い,he doesn't come のようになりますが,この does に主語や時制による変化が含まれることになり,後は come という原形になっています。

 助動詞の場合も,助動詞に主語や時制による変化が含まれているのです。could という過去に対し,can は現在形です。確かに can は cans のようにはならないのですが,歴史的には,あるいは他のヨーロッパ言語ではいまだに,主語によって活用します。

 したがって,助動詞の後は主語や時制による変化は表れず,原形でいいのです。
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英語という言語がそういうルールを持っているから、だと思います。



文法って言語より先に存在するのでなくて、英語という言語があって、その言葉の規則を研究して整理したものです。
文法がこうなっているから英語ではこう言う、のでなくて、英語ではこういう言い方をする→このパターンを文法として体系づける。

外国人が日本語について「これがこうなるのはなぜ?こっちでも不都合ないと思うのですが」と質問したとして、だけど日本語ネイティブとしては「いや~、それはちょっと変な感じがするし、やっぱり正しくないよ」と感じるのと同じです。

これは一般人がコトバを使用する上の話で、専門家が文法的に解釈するとどうなるのかは、私は知りませんが(^_^;)
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疑問を感じられるお気持ちはよく分かります。


しかし、言葉の文法に何故と問いかけると立往生になってしまう場合が殆どですね。助動詞+原形の場合も同じです。覚えるしかないのですよ。
日本語では 主語+助詞+動詞ですよね。助詞がどうして必要なのかと言われれば、それは決まりだからとしか答えられないですよね。 私嬉しい でも一向に構わないわけで英語ではそうなってますよね?
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