牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

以前も質問したのですが、別のカテゴリーだったせいか、
あまり盛り上がらなかったので(^^;)、こちらで質問します。

もしも、「ドイツ人は、民主主義から怪物を合法的に誕生させた世界最悪の民族だ。」という論陣を張られたら、
ドイツ人はなんと反論すればよいのだろうか?

A 回答 (2件)

 


  簡単に答えます。わたしは別にドイツ人ではないので、わたしの考えです。
 
  ドイツがワイマール共和国においてナチス党やヒットラーの擡頭を許し、残虐行為や非人道的行為を行ったことは事実である。
 
  しかし、自由の国フランスは、祖国を回復した後、植民地アルジェリアの独立運動を弾圧しようと、右翼軍人たちが、現地人に非人道的行為を加え、独立運動を暴力で鎮定しようとした事実もある。またイギリスの繁栄の基盤である広大な植民地や海外領土は、過去イギリスが行った理不尽な侵略戦争と武力支配に基づくものではないのか。
 
  あるいは自由と民主主義の世界の指導者を自認するアメリカは、日本に原子爆弾を投下し、ドイツ同様、一般市民の居住する都市に無差別爆撃を行い、一般市民を虐殺し、非人道的行為を犯した。彼らの「反省」はどこにあるのか。アメリカは、ヴェトナムの内政に干渉し、自国が侵略などを受けたのでもないにも拘わらず軍隊を送り、無差別空爆に枯れ葉剤の無差別投下を実行し、歴史にまれにみる残虐行為を非戦闘員に対し行った。
 
  アメリカの「自由」や「民主主義」は、他国を侵略することを合法化する自由で、ヴェトナム人やヒロシマ市民は、民衆主義の外にある「人間でない者」として、虐殺してもよいという論理を合理化するための民主主義であるのか。
 
  旧ソ連は、民衆と労働者の民主主義国家を謳っていたが、その成立から展開、膨張、拡大、そして終焉に至るまでの、どの過程でも、大量虐殺、拷問、不条理な暴力、弾圧、密告制度、人権蹂躙を常に平然と行って来たのではなかったか。日本から解放された中国は、ティベットの主権を侵し、国家を崩壊させ、ウィグル人を虐殺し、彼らの解放運動を力で弾圧している。
 
  旧ドイツの犯した愚行について、我々は反省すべきであると大いに認識するが、それはまた、二十世紀の激烈な歴史の流れのなかで起こった事象なのだ。無論、「歴史の運命論」で、ドイツ人が行った行為の免責を我々は主張するのではなく、西欧の激動の歴史は、世界の激動の歴史に連動しており、ドイツに起こったことは、「善意や民主主義」が、おそるべき悪意や虐殺行為や独裁体制を何時、どの国・文化であっても、生み出してもおかしくないという歴史の教訓を与えているのである。
 
  ドイツ民族が「野蛮な悪の民族」であったというなら、そういう面もあったかも知れない。しかし、そのような単純な歴史や政治や経済、軍事の運動のダイナミクスに対するタブロイド的理解では、ドイツに起こった事は、今後も幾らでも再現されるであろう。アメリカがヴェトナムで行ったこと、旧ソ連が第二次世界大戦後に行った数々の暴虐、共産中国の犯した犯罪、これらは、歴史というものの複雑さを十分に理解してこそ、反省や、解決への展望のヴィジョンが導かれるのである。
 
  かつてヒットラーがいった「偉大なドイツ国民が偉大なことをなす」という事実に即さない宣伝文句と同列の、「悪質なドイツ国民が、民主主義から悪魔を生み出した」という考えでは、人類の今後の未来を切り開くことはできないであろう。真の平和や民主主義の実現を願うなら、何がドイツに起こったことの本質なのか、形式的判断で決めつけるのではなく、歴史の「真相」をこそ、理解すべきであろう。ドイツは、この課題のために、戦後半世紀以上を、未来への道を模索してきた。
 
  いまや、世界が同様の課題に直面しているであろう。まさに我々の国家や文化が、ナチスやヒットラーなどの戦慄的怪物を生み出した歴史を持つが故に、世界の未来の帰趨に対し我々は、懸念を表明し、警告を提示するのである。我々の文化に起こったことは、決して特殊なことではなく、反省と研究と吟味が明らかにしたように、条件次第では、どのような国家・文化社会でも起こり得ることで、現に、第二次世界大戦後半世紀、世界は、冷戦のなかの代理戦争を経験し、夥しい矛盾や不条理や、残虐行為や虐殺事件を経験し続けてきたのではないだろうか。
 
  我々は自分たちの「文化の犯した過ち」に対し「反論するのではなく」、このような残虐と矛盾は、いつでも起こり得ること、第二次世界大戦後の世界の歴史が、このことの真実を証しており、それ故、我々は、先頭に立って、警告を発し、世界の平和と民主主義構築のための努力の一助として我々の微力を傾注しようと意志するのである。
 
  などなど、となるのかも知れません。「反論」することには意味がないでしょう。そうではなく、「事実」を認め、その事実が「意味するところ」をこそ、世界は学ばねばならないということでしょう。……そもそも、「そのような論陣を張る行為」そのものが、極めてファシズム的、扇動的、非合理的行為であり、そういう論陣に反論することは、論陣を張る者たちと、同じ次元へと立ってしまうことになるのです。ということが、貴方には、分かりませんか?
  
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この回答へのお礼

「ということが、貴方には、分かりませんか? 」の文の貴方というのは、仮想反ドイツ人を指すと考えます。

ちなみに私は別に反ドイツ人でもなければ、むちゃくちゃ友好的というわけでもありません。念のため。
私が知ってるドイツ人は、普通の人でしたからね。

それはともかく、
>旧ソ連は、民衆と労働者の民主主義国家を謳っていたが、

旧ソ連や中国は建前はおいとくとして、ワイマール共和国より民主的とはとても言えないでしょう。
アメリカやフランスはよくわかりませんが、
ワイマール共和国憲法は当時「世界でもっとも民主的」と言われていた憲法ですから、そこから独裁者が生まれるにはどういう素地が必要か?となるわけです。

で、この仮想反ドイツ人は、ドイツ人の国民性にあると喝破するわけですが、もちろんそれは真実ではないはずです。

結局、いくらすばらしいシステムを作っても運用するのは人間であり、抜け道はいくらでもあるということですか?

お礼日時:2002/02/27 10:04

この質問によって何を期待されているのかわかりません。



一応答えですが、
日本でもタレントを地方の首長に選んでましたね。
投票には気をつけましょう。
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この回答へのお礼

つまりですね・・・民主主義は民衆が支持すれば、
結局なんでもありになってしまうのでは。
それをあからさまに示してくれたドイツ人は、パンドラの箱を開けてしまったのでは。
まあ、いい教訓だとは思うのですが、非常に高い代償を払ってしまったなとも、思うわけです。

ナチスの本質は衆愚政治だったといっていいのでしょうか?

お礼日時:2002/02/23 17:13

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