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私の母が創価学会で日蓮宗を信仰?しているのですが

なにかというと題目題目といってうるさいのです
たとえば、題目をあげれば病気が治る、受験に絶対受かるなど 特に私は2ヶ月公務員試験が控えており

この試験実施があるかどうかわからなかったのですが
先日実施することが決定しました、これは題目のおかげだといいます そして題目を毎日あげているのだから絶対に合格するっと豪語するのです

私にはこれが理解できません
題目とはいったいなんなんですが

以前に母には題目とは自分を高めるためにやっている
人や神に頼っていない 自力本願なことだっといっていましたが 題目をあげるから合格する

この行為自体理解できません

このことについて意見を聞かせてください。

A 回答 (7件)

 題目とは、「南無妙法蓮華経」の言葉、または言経ですね。



 創価学会に限らず、日蓮宗信仰者は、他の信仰を認めず、日蓮上人の教えを守れば極楽浄土に行ける→願いが叶うに転化 しているようです。

 また反対されるのは、日蓮宗信仰者の定めだという教えがあるので折れません。

 本当は、個々人の努力の成果なのですけどね。
 他の信仰者に悪い事が起きれば天罰だ、日蓮宗を信仰しなさいと言う。
 本人に悪い事が起きれば、これは日蓮上人の教え通りの試練だと言う。
 本人に良い事が起きれば、これは日蓮上人の教えに従ったからだと言う。
(なぜか他の信仰者の成功や良い事には触れない)
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この回答へのお礼

まさに母も同じことを言っています
やっぱり宗教って気がしますね

お礼日時:2006/07/02 12:30

ウチの母も似た様な行動してました。


私が小さな頃悪いことをして説教された後、自室で南無・・・・・~~とお経を上げてました。
私的には宗教にまったく興味がないのでお経を上げるメリットが無いと感じていましたね。

余談ですが創価の池田さんは元日蓮宗の総本山出身みたいで独立して日蓮系の創価学会を作ったまいたいです。
つい最近「創価が本家本元の日蓮宗だ」と発言し本山とケンカしたらしいですよ。
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この回答へのお礼

誕生日に池田大作?の書いた本を二冊送って着ました

死ぬまで大事にしろってうるさいのです!
最近母の行動は読めません・・・

お墓も富士山のふもとにある 学会のやつなんですが
お墓参りのたびに 学会に寄付金を
選挙では公明党にしかいれない ほかの学会員が
秘密の暗号のようにこの人に投票してってポストに紙が入っていました 家の新聞は聖教新聞ですし

私は一次期 朝日新聞を取っていたのでが 勝手に解約されました 二つもいらないって

自分で何を信仰するのは勝手ですが 家族を巻き込まないでほしいと思っています

お礼日時:2006/07/02 12:38

ナンバー2です。

一部訂正。

作ったまいたいです。→作ったみたいです。
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浄土(真)宗の南無阿弥陀仏と同じです。

唱えてれば極楽浄土にいける(浄土(真)宗の場合)っていう
「他力」(つまりは神頼みというか仏頼みでしょうか)の考え方にもとづいた行為です。
ぶっちゃけていえば質問者さんがいってるとおり「宗教」です。
信じてない人にとっては何の意味も無く、理解できない行動です。
否定することは関係悪化になりかねませんので軽く流しておきましょう。
しつこく入信を迫られたら話は別ですが。
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 日蓮上人が「南無阿弥陀仏」をやめて「南無妙法蓮華経」という題目を唱えなさいと言ったことはご存知でしょう。



 ではなぜ「南無阿弥陀仏」ではだめだと思ったのかと言えば、「阿弥陀仏」という仏は人格的な存在です。要するに「南無阿弥陀仏」とは他人に頼るという他力本願なのです。
 これはキリスト教にも通じます。再臨のイエス・キリストを待ち望むクリスチャンも他力本願です。

 日蓮上人も「南無阿弥陀仏」と長年唱えていたかもしれません。だが何も良いことがなく、「南無妙法蓮華経」と唱えるようにしたのでしょう。
 「妙法蓮華経」とは宇宙根本法則(原則)であり、人格的な仏や神とは違います。ある意味、自力本願な内容があります。

 私にとっては他力でも自力でも悪くはないと思いますが…。
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 かつて、超能力者ユリ・ゲーラーが、人から「なぜ、スプーンが念力で曲がると思いますか?」と尋ねられた時、「なぜ曲がるか自分でも分からないけど、ただ、“スプーンが曲がる”という言葉が自分の頭の中で絶えず繰り返されているんだ、何万回、何百万回、果てしなくね。

」と答えたと言われています。

 昔から、言葉というものには想像を絶する力があることを、聖人や偉人が示してきました。題目を唱え続ける勤行が、果たして我々の願望を成就するのか、ということに言及するにはちょっとサイトの容量が不足ですが、しかし、簡明に言えば、同じ言葉を繰り返す、いわゆる呪文は、我々の潜在意識に強く影響を与えることは、すでに心理学的に証明されています。そしてその潜在意識は、我々の無意識行動を司り、我々が気が付かないうちに目的を達成してしまうということです。また、我々個々の潜在意識は、他人の潜在意識ともつながっており、さらに広く自然を司る法則ともつながっているということです。

 しかし、あなた自身の今の問題点は、本当は、題目に力があるのかどうか確認することではないような気がします。母上が、とにかくあなたの幸せのために一所懸命に祈ってくれる、これは感謝すべきことではないでしょうか。自分の父母以上に真に自分の幸福を願ってくれる存在がこの世にあるでしょうか。それに比べれば、題目に力があるかどうかなど些細なことです。あなたに今必要なのは「ありがとう。」という感謝の一言のような気がします。
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>以前に母には題目とは自分を高めるためにやっている


>人や神に頼っていない 自力本願なことだっといっていましたが 題目をあげるから合格する

お題目や創価学会、池田大作氏にはかなり依存しているようですね。
自力本願ということであるならば、試験に受かるよう勉強することだと思います。
勉強もせずにお題目だけで合格できるのでしょうか?
それならば学校も塾も教科書もいりません。
お母様はお題目に頼っているだけです。創価学会に頼ってるだけです。
大先生に救いを求めているだけのような気がします。
この点で自力とは言いがたいような気がします。
(言いすぎでしたら謝ります。信仰は自由ですから)
神仏を頼りにしない信仰というのが私には理解できません。
日蓮宗のお寺に行きますと仏像が奉安されております。
どのような目的で仏像があるのでしょうか?
創価学会というのは日蓮宗なのでしょうか?

マントラ、真言、お題目、それぞれ不思議な力があるのは事実です。
理由を求めても摩訶不思議としか言えません。
科学的、心理学的に研究したとしてもすべては解明できないと思います。

仏教とはなんぞやと考えた場合。
お釈迦様が開祖でありお釈迦様が残した教えが仏教だと思います。
仏・法・僧。三宝そろって正統な仏教教団であるという定義もあるようです。
ですが日本に渡ってきた多くの経典が中国で作られました。
これは歴史的に見て証明されております。
日本に渡り日本独自の解釈が生まれ、各宗派の開祖が誕生しました。
果たしてオリジナルはどこにいってしまったのでしょう?
すみません。ぼやきすぎました。

日本の仏教にもいいところがたくさんありそれを学んでおります。
否定や攻撃する気持ちはありませんので念のため。
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