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全ての物事には始まりと終わりがあります。であるならば宇宙が存在した前ってのも存在してた訳で更にその前もその前も考えれちゃう訳で。。結局始まりって何だったのか?科学から哲学に入り込んでしまいました。神的な存在が始まりを創造したのだろう。。と勝手に結論だしたら、じゃあ神の前は?って自己矛盾に陥りました。この悩みのパラドックスに答えられるとゆうツワモノの方お待ちしております。

A 回答 (12件中1~10件)

無から有を生じる、またそれを繰り返す。


人間の発想の限界はそんなものなのでしょう。
宇宙の存在の95%はダークマターであると言われています。
そしてその正体は不明のままです。
観測できないが理論上存在しているはずだという存在。
無からなぜ有が生じるかという疑問も未解決です。
無とは概念上の存在で実在しない状態かもしれません。
もしそうならば始まりも終わりも無いということかもしれません。
この世は始まりも終わりもなくその状態が変化しているものなのだと考える方が自然なのかもしれません。
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「全ての物事には始まりと終わりがあります。


この表現の事象はいたるところで起き、まさに正しい法則ですね。でも、こんな簡単な言葉で表されるのが全ての世界(3次元宇宙)だとすると、全ての世界はあまりに恣意的であると考えられますね。逆説的に思考すれば、「始まりもない終わりもない世界」が存在し、その世界の一部に「始まりと終わりがある世界」が恣意的に存在するという考えに至りますね。そのほうがより一般的ではないですか。「始まりも終わりもない世界」の住人は、「始まりと終わりがある世界」を楽しんで創造するでしょうね。そのようなものでしょうね。
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宇宙ってのは時空であって、中に物質があるかどうかは関係ないんですよね。


「宇宙が膨張する」というとき、何もない空間の中を物質が膨張するんじゃないんです。
「空間そのもの」が膨張するんです。
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全ての物事には始まりと終わりがあります。



いいえ時間というのものには「時」ではなく永遠でしょう。
その永遠の中で
始まる「時」と終わる「時」というものはあると思いますが・・・

宇宙がないならそこには宇宙というというものはありません。ただの空間でしょう。
なんらかの理由によってその空間に宇宙ができた!と考えれば悩む事もありません。
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宇宙の果ての向こう側を考えるのと同じですね。



宇宙の果ては、そこでいかなる情報も断絶して外部に行き来できないからこそ、果てなのです。
宇宙の始まる前も同じです。もしかしたら別の宇宙が存在したかも知れませんが、いかなる情報も共有されない隔絶された別世界なので、何をどう考慮しても、全く無意味なのです。

それ以上でも以下でもありません。
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「全ての物事には始まりと終わりがあります。

」というのは、常識的には、すごく正しいですが、常識=真実とは限らないので、とりあえず、常識は横において置いて、もう少し科学的に考えるのも無駄ではないかと思います。

「始まりと終わりがある」ということは、「初め」と「終わり」の時間がある、すなわち、「時間は黙っていても、常に一定の速さで、一定の方向に進むものだ」という信念があると思いますが、相対性理論で言うと、それは、いつも正しいとは限らないわけです。時間がないこともあれば、時間が逆行する事もあります。

物質世界というのは、今や、量子力学や相対性理論が出てくる前の「のんきな?」世界ではなくなってしまいました。とても、常識では考えられない異様な世界に思えます。昔は、我々の心の外に、客観的な世界があって、そこには、3次元空間と時間があり、「きちんと形がはっきりしていて、重さもあり、位置もはっきりしている物質という塊がある」と信じられていましたが、今は、そのような物質観では、物理現象が説明できなくなってしまいました。むしろ、物質世界は、常識的な直感で信じているような世界ではなく、「数学モデルによって組み立てられた論理空間」としての様相を帯びてきました。

「物質世界が、数学モデルで説明できる」と言えばわかりやすいのですが、実は、「物質世界は、数学モデルそのものである」と考えた方が、真実に近いと思います。現に、ビッグバーン直後の時間は、実時間ではなく、虚時間、すなわち、虚数の値を持った時間と考えられています。そんなアホなことは、常識では考えられませんが、常識では「実際の現象」を説明できませんから、やはり、数学モデルの方が正しいと考える方が妥当なように思います。

前置きが長くなりましたが、結論から言うと、「世界の始まりには、何もない。時間も空間もない。」ということです。
例えば、「時間がない」というのは、どういうことかと言うと、物体の速度が光速に近づくと時間が遅れるという有名な話がありますが、時間が遅れる条件は、速度だけではなく、重力の増加によっても遅れます。この世界(この宇宙)は、ビッグバーンの瞬間には、「鼻くそ」の何億分の一よりも、もっと小さかったのですが、現在のこの巨大な宇宙がそんな小さいところに閉じ込められていると重力が気が遠くなるほど大きくなり、その結果、時間も気が遠くなるほど遅くなります。その極限の状態が、「鼻くそ」の大きさがゼロ、重力無限大、時間が無限に遅い、すなわち、時間が止まった状態です。要するに、時間もなければ、空間もないという状態です。残っているのは、「可能性」だけです。
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  物理學の根本的な原理の一つに「慣性の法則」があり、これは、「何らかの物理學的原因、作用が無いかぎり、現状を維持し續ける」といふ考へ方です。

宇宙を構成する空間や時間が今あるのですが、これは、何らかの始まりを持つならば、その始まりの「以前」が必ず存在し、現在の時間空間が始まるための、「何らかの物理學的原因、作用」がなければなりません。從つて、物理學、すなはち、自然科學では、時間空間は、永遠の過去から存在し續けたと考へます。
  哲學では、カントが、「時間空間の始まりはあるか」といふことについて解明してゐます。カントは、人の理性といはれる論理の力がどのやうな性質のもので、どのやうな限界があるかを詳しく、筋道立てて檢討しました。是非とも、カント哲學の入門書をお讀みになることをお奨めします。
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何処(或いは何)を「始」「終」と範囲を設定しない限り、あなたの疑問は解決しないと考えます。


それと、科学も哲学もましてや神をも全てここ1万年前位の時間の経過で、たまたま人間と云う、多少、他の動物より知恵の働いたグループが生み出したに過ぎないのです。個人的な見解ですが、先ず、「終」を設定して「始」に遡っては如何でしょう。この世の流れから視て、質問しているあなた、回答しているわたし、何と小さい事でしょうね。
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始まりの無い存在(霊的な存在)には終わりがない・・・


つまり永遠から永遠の存在者だと思います。
それが神様だと過程して、宇宙には始まりがありました。
それは、神様に宇宙を創るだけのエネルギーがある証拠にもなって
宇宙に存在していると言われている種々の複雑な法則も
神様が創ったと考えられると思います。
そして、その複雑な宇宙だけでなく人が神様から造られた場合、
宇宙や人には始まりがあったとなります。

始まりのあった存在(人間)が始まりの無い存在や永遠
にピンと来ない、理解に苦しむには自然な事だと思います。
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 #2です。

キリスト教を出してしまいましたが、どこのキリスト教会にも私は行っていません。この三位一体論は、私独自の考えですので、どこのキリスト教会の牧師達にも、わかっていないことかもしれません。
 誤解を招く書き方をして大変申し訳ございませんでした。この内容は宗教とは考えず、哲学として私の考えを認めて頂きたいと思っています。

 宇宙の存在の始まりは、ビッグバーンでしょうし、その前にはビッグバーンを起こすエネルギーが存在していました。このエネルギーは、破壊と建設的力の両方を兼ね備えていたといえます。
 これはエントロピーとネガエントロピーの関係と等しく考えられるでしょう。

 存在してしまった以上、その存在は無くなりません。形などが変化したとしても、存在は無くなりません。

 全ての存在の始まりは、死ではなく生です。生命がなければ存在はありません。肉体の死も次の生のはじまりかもしれません。形が変化されても、存在が無くなることはないからです。

 存在の始まりは時間の始まりとも考えがちですが、存在自体は#2で説明したとおり時間を超越されていますから、存在の始まりとは次元の違うものです。

 存在の始まりとは常に今現在ではないでしょうか。
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