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タイトルに同じ。
よくこの議論をすると、「国防を充実させるより、敵を作らないようにするべきだ!」という人がいますが、私的には、「寝言たれるのも大概にせいよ!!」って感じです。

敵を作らないようにするのは、いわれるまでもなく当然のことです。彼らの言ってることは所詮甘っちょろい理想論だと思います。やはり憲法九条は武力を自由に扱えない世界に恥ずべきものだと私は認識しています。

何で憲法九条の改正が民主主義に対する挑戦になるのか?

そんなことを、S民党のF嶋党首が言っていたんですが、これはいかなる理由からでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

私は法律論はよくわかりませんが、


普通に考えて憲法改正の是非よりも改正の内容に議論を集中べきだと思っています。

特に『護憲派』と呼ばれる方達は『何が何でも改正反対!』と言っていますが、これもちょっと理解できません。

憲法改正に関して『日本の軍国主義化』を危ぶんで反対している人もいますが、そうなるでしょうか?

果たしてそこまで国民は愚かでしょうか?

『日本の軍国主義化』を危ぶむ人は逆に自衛隊をも認めない憲法改正を目指せばよいと思いますし...


『とにかく改正!』と言っている人も
『とにかく反対!』と言っている人も
なんか本質からずれている気がしてなりません。

答えになってませんが、私の回答は
『改正すべきと思う内容であれば改正すべき』です。
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軍隊を持たない国は儀式的な都市国家か、資源のない洋上の孤島ばっかりですね。


たとえばナウルは燐が主要産業だったのですが、今や燐も尽き、国として破綻状態あります。
攻め込む価値がないので守る軍隊も必要ありません。

バチカンなぞ言わずもがな。バチカンに攻め込むと言うことは世界中のキリスト教徒から命を狙われるということです。攻め込む国のあるはずがありません。

日本と同じに考える訳にはいかないですね。
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「軍隊のない国家、軍隊のない世界ー世界の非武装国家」(「法と民主主義」2005年6月号)によると世界には軍隊のない国というものが27存在するという。

その27とは、アンドラ、コスタリカ、ルクセンブルグ、モルディブ、サンマリノ、リヒテンシュタイン、アイスランド、セントクリストファー・ネイヴィス、ドミニカ、グレナダ、セントルシア、セントヴィンセント・グレナディーン、パナマ、モーリシャス、パラオ、ヴァヌアツ、ソロモン諸島、ハイチ、サモア、キリバツ、トンガ、ナウル、モナコ、クック諸島、ツヴァル、ニウエ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、ヴァチカンである。
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う~ん……ご質問者さんの出された条件「憲法9条改正に反対の人」のご回答がどこにもないと思うのは気のせいですか?


かくいう私も、明確に「改正反対」と思っているわけではありませんが……とりあえず、今すぐ改正しなくても困りませんね、現状。9条に関してだけは。むしろ、他の条項に改正してほしいところが山ほどあるんですけど。地方分権のあたりなど。

まず、回答の順番が前後しますが、「何故憲法9条の改正が民主主義に対する挑戦になるのか?」に回答してみたいと思います(ちなみに、私の全くの個人的見解ですので、念のため)

まず、民主主義とその根幹をなす「選挙制度」というものは、「武力を使わずに政権交代を成し遂げるための制度」だと考えています。
武力による政権交代は、多大な才能と資源の浪費です。運良く前政権を転覆させたとしても、自分たちにも犠牲が出ることでしょう。そして、戦後復興にも時間と金を必要とすることでしょう。それに比べれば、選挙費用なんて安いもんです。

この「武力を使わずに」というルールを国際紛争という舞台にも拡大して適用する、というのが、この条項の肝だと思うのです。なお、民主主義社会では、政治の結果責任は民衆自身が取らなければなりません。とある政治家さんがトチ狂って戦争を起こして負けても、それは「そんな政治家を選んだ民衆の自業自得」と言われるのです。それぐらいだったら、最初から憲法に「戦争はできない」と書いてもらった方が楽ですね。この場合は、憲法違反を犯した国家(政府)に責任を押し付けることができますから。ちなみに、「どこにもそんな国なんかない」とおっしゃるのは当たり前の感想ですよ。だって、世界の最先端に行ってしまった条項なんですから。せっかく他国に真似のできない世にも珍しい条項が誕生したのに、今さら武力を使って国際紛争を解決する「並みの国家」に戻すなんて……とりあえず私は、そんな野蛮人には戻りたくないですねぇ。もったいない。

さて、では「国防はどうするのか」ですが。
自衛隊の関連法案にきちんと書いていると思いますが?「専守防衛」と。
つまり、自衛隊を動かしたいんなら、遠慮なく相手国に先制攻撃をさせればいいと思うんですけど(変な挑発はしないことが大前提ですが)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%82%E5%AE%88% …

そうすれば、国際世論は全て日本の味方です。国連決議を経て堂々と「自衛」をすることができます。今回の北朝鮮のミサイルの件でも、ほとんどの国で北朝鮮を非難したかと思います。かの中国でさえその声は無視できないほどになり、かの国へ訪問団を派遣しました。これこそが、日本最大の武器です。「敵を作らない」のではありません。「味方を数多く持つ」のです。したたかに。人間関係だって、気に入らない人を完全になくすことはできませんから、気に入らない人がいるのは仕方がありません。けれど、いくら気に入らないからと言って、先に手を出してしまったら非難されるのはこちらです。そんなガキっぽいことは、相手に任せてしまいましょうよ。
また、戦後一貫して9条を守り抜き、その代わりに手に入れた高い技術力で作られた日本製品への信頼も国際社会では武器になることでしょう。「日本がなくなってしまえば、これらの製品もなくなってしまうんですよ」と。あとはODAや国連への拠出金。そして、「経済制裁」。日本はありとあらゆる「武器」をすでに持っているのです。必要なことは、日本を攻撃すると大変なリスクを負うのだ、と、相手国に思わせることです。不本意ではありますが、在日米軍&安保も役には立ってます。

「不本意」というのは、実は私は、国防はできれば自衛隊「だけ」でこなしてほしいと思うからですね。今の在日米軍は、いまいち信頼が置けません。アメリカの「私闘」に巻き込まれる心配も減るだろうし。ただ、実状、自衛隊の国防レベルは、特に陸軍は恐らく、お話になりません。以前テレビで、某陸自部隊が米海兵隊の訓練に3週間だけ参加したという特集を見たことがあるんですけどね。もう、3週間と言わず、半年でも1年でもしごかれて来いと思いましたね。自衛隊だけではなく、国家公務員でも地方公務員でも、この国は何故か、国家に近い立場に立つ人ほど人材育成に金をかけなくなりますね。かつての日本企業が人材育成に3年くらいの時間と費用をかけたのとは雲泥の差です。これでは国民に馬鹿にされるのも仕方がありません。

…と、話がずれました。申し訳ありません。

ところで、憲法改正を唱えるネット右翼の方々で、国防のために自衛隊に入って最前線で戦ってもいいと思う人はどれくらいいるんですかね?これだけ流行っているのですから、さぞかし勇ましく戦ってくれるのだろうと期待しているのですが。

なお、自民党の草案でも、9条の第1項は変えていなかったはずですね。問題になっているのは9条の第2項です。「陸海空その他の戦力は、これを保持しない」という条項上では、やはり自衛隊の存在は非常に危ういですね。こじ付けができないわけではないんですけど(「前項の目的」を、「国際紛争の解決手段」に限定する解釈)。自衛隊の立場を明確化することは必要だと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …

その上で、自衛隊の存在は憲法9条(第1項)とは矛盾しないと考えます。国民を守るのは国家の義務だからです。というか、国家が国家として成立する最低条件だと思います。そのための手段を、「国際紛争解決の手段には使わない」ということです。

ついでなので言ってしまうと、私は日本の核兵器の保持には大反対です。全世界が核兵器を持つなんてことになったら、核兵器以上の兵器、例えば空気感染するウィルス兵器なんてものが開発されるのがオチだと思います。俗に言う、「強さのインフレ状態」。ドラゴンボールの世界と変わりません。最後に首を絞めるのは自分自身です。何故人は、ほどほどのところで満足できないのでしょうかね。

1つ気になるのは、「武力を自由に使えない」って、そんなに恥ずかしいことですか?私は、「弱肉強食」の意味を履き違えて弱いものいじめをするような人や国の方が恥ずかしいと思いますが。むしろ、国家が武力を自由に使える方が怖いですよ。どこの先進国家だって、武力を発動できる条件くらいは付けてると思うんですけど。
肉食動物は、草食動物を狩りつくしたりなどしません。その後食糧がなくなって困るのは自分自身ですから。弱者が「残っている」から強者でいられるのですよ。そして、日本の美学は「弱きを助け、強きを挫く」だったはずですが。それによって強者ではなくなってしまうとしても。

つらつらと止め処なく書き連ねてきましたが、最後にこの文章を書くにあたって参照したURLを張っておきます。「グローバル・スタンダード」という言葉に騙されてはいけません。日本のスキージャンプ陣が世界で勝てなくなったのは、グローバル・スタンダードに屈して欧米諸国に身勝手なルール変更をされたからではないですか。「ポケモンが世界を救う」くらいの気概を持ちたいものです。

参考URL:http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/p/
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憲法学的に考えると、No.7の方の回答はけっこう合ってます。


憲法の存在目的は、国民を弾圧しかねない政治権力に対する縛りだということですね。
そのために、権力のあり方とか、基本的な国の組織構造、権力の行使の仕方などを憲法に明記しているわけです。

その憲法の目的の一つに、基本的人権の保護があります。
日本国憲法の場合、

>11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が
>国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、
>現在及び将来の国民に与へられる。

>第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力に
>よつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用しては
>ならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

といった条項があるわけです。


ここで議論を安全保障に戻しますが、国民は基本的人権を保持するために、不断の努力をしなければいけないわけです。
そして、基本的人権を守るには、外敵による軍事的脅威を防ぐという内容も含まれます。
当然ながら、悪意ある外国の軍事力によって日本国民の人権が脅かされることは、十分ありえるからです。

そして、国民の代表が議会や政府などの政治権力であるわけですから、彼らが国民の安全を守るために、必要な手段を講じることはむしろ義務であるとも言えます。


憲法九条の内容も、こういった精神の延長上にあると私は考えています。
憲法九条を改正せず、不足な軍事的抑止力を補うために、日米安保を堅持するという方針も、一つの答えでしょう。
しかし、国民の人権を守るために、憲法九条をよりふさわしい内容に変更することも、また一つの答えであるわけです。
その内容が適切かどうかは、議会と国民の間で十分議論すればいいと思います。

憲法九条の条文は手段にすぎません。その目的は別にあります。
右翼も左翼もそのことを忘れて、手段が目的となってしまっていると、私は考えています。
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この回答へのお礼

ご回答どうもです。

お礼日時:2006/07/10 22:04

まず九条下でも自衛権は保障されており、自衛自体は可能です、そもそもの問題としてあるのは、軍事力が問題の解決にならないのではないか、という問いが九条の本のところにあるのではないかと思います、



例えば、日本は米中露の三カ国に囲まれており、軍事力の効果はなく、下手に持つほうが危険です、その点を考えると日本にとって、軍事力の放棄は、別に間違った方法ではない、

また国防というのなら、冷戦下で、ソ連の戦闘機がたびたび日本上空に侵入してきたのを、追い返していたのは航空自衛隊であり、つまり九条下でも国防は可能であり、実際やっていたわけです、

問題になるのは、質問者さんもそうであり、また、九条を護憲という方もそういう面がありますが、国防という理念で考えてしまう考え方、例えば九条改正して軍事化という考え方も、感情論でいい、改正反対も理念で言う、それはどちらも同じ意味しか持たない、

現状で言えば、日本の軍事化は日本という国を滅ぼす可能性が高い、米中露にはさまれた国が軍事的に独立性をもてる可能性はなく、その結果軍事化が国防ではなく、国家間利害のために使われる可能性が高いことを、日本の軍事化を言う人は考えていない、つまり、軍事化が国防になるとはいえない面がある、かえって余計な敵を引き込む恐れがあるのではないか、そういうことを考えていない、

日本は米中露の三カ国に囲まれていて、それに対する一つの答えが憲法九条であると私は考えている、もちろんそれを変えてもいいだろう、しかし、それを変えるのならば、米中露の三カ国に囲まれた現状において、どのような打開策方策を考えていてそれに実効性があるのか、説明する義務がある、それが出来ないのならば九条改正は出来ない、

本質的にあるのは、日本の特殊事情、米中路という三大国にはさまれているという問いであり、それに答えれないのなら、護憲でも改憲でも間違いになると思っています。
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「法学部」があれじゃね。

何を学んでるのでしょうか。日本の教育は「奴隷教育」なんですか。米国は日本人を虐殺すべきインデアンと思っていたそうです。しかも強国ロシアを叩きのめしたので、同時に「恐怖感」をもっていたそうです。日本を「壊滅的に破壊」した裏には、今「殺人事件」で「恐怖から」というのがありましたが「類似性」を感じますね。
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まぁ少数派の意見も尊重されるのが民主主義ですので、「自分たちの意見(少数派の意見)を無視するのは民主主義に対する挑戦だ」と表現しているのでしょう。



主張の中身自体は特に問題にしていないと思いますよ・・・。
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法学部1年です。


九条の問題はとても難しい問題ですが、大学でかじった憲法も含めて個人的見解を書かせてもらいます。

まず広い意味での民主主義において、もっとも尊重されるべきものは個人の人権です。決して国家権力ではありません。人々の生活が上手くいくなら、国なんて必要ないんです。

しかし現実問題として国がないと、人々の生活が不自由になるばかりか、逆に個人の人権が侵害されてしまうこともあります。(犯罪etc)

そこで憲法では建前上、個人が自らの人権を公共の福祉のために「制限」する権限を国に与えたのです。

ですが個人の人権を一番侵害してきたものは、国家権力なのは歴史的に見ても明らかでしょう。

それを防ぐために、国家権力がたとえ多数決を用いたとしても決して侵害することのできない権利をさだめ、それを記したものが憲法なのです。
つまり憲法の主要かつ根本的な原則は「国(権力)の手足をしばる」ということであり、国は言ってしまえば「必要悪」でしかないのです。

この考え方からすれば、国が戦争を行うということは相手国の国民の人権を国が侵害するだけでなく、同時に自国の国民の人権を侵害してしまう可能性をも生じさせてしまうことになり、国の権能をおおいに逸脱し、本来の個人の人権の尊重という民主主義の理念に反する行為、つまりは「民主主義に対する挑戦」ということになります。

しかし現実問題として戦争放棄なんて簡単にできることではありません。アメリカが戦争放棄することなんてほぼありえないでしょう。

しかし考え方を変えてみれば、九条は第二次世界大戦で敗戦しゼロからのスタートをきった日本だからこそできた、誇るべき民主主義の「理想」なのではないでしょうか。

確かに日本国憲法は連合国から押し付けられ数週間でできあがった急造憲法だという人もいます。

しかし必ずしもそうではなく、日本国憲法はフランス革命やアメリカ独立からはじまる民主主義の過程のある種の到達点といってよいのではないかと思います。

とはいっても、現実と理想は必ずしも一致することはなく、むしろ相反することのほうが多いでしょう。国防問題では北朝鮮のミサイルの脅威など今の日本には課題が山積みです。

なので九条を絶対に改正するべきではないとは自分も思っていません。ですがこういう考え方もあることを知っておくことも決して無意味なことではないと思います。
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日本人は、平和と水は、ただで手に入ると思っていますが、諸外国では飲み水は購入して、平和は人的、経済的に大きな犠牲を払って手に入れています。



アメリカの庇護の下に入って守られてヌクヌクと暮らしている現状では、世界情勢には思いが及ばない、とてもオメデタイ方々が、憲法九条改正反対を唱えているのでしょう。

日本人は平和が一番尊いと信じて疑いませんが、世界中を見ると、このような考え方は日本人だけで、極めて特殊な考えであることが判ります。

通常の国家ならば、自国の国益、自国の国土防衛、民族の独立は当然、平和より優先し、その為ならば、戦うのは当たり前です。

しかし、日本人は、日本が所有権を主張する竹島を、韓国が占領し、既成事実を積み重ねている現状においても、相手の感情を慮って、平和が一番とばかりに相手のなすままに任せています。独立国でありながら、このような情け無い国は諸外国には見当たらないでしょう。

主張をしなければ相手の言うことを認めた事になるのは日本以外の外国では当たり前のことです。

先ずは、自国の国益、自国の国土防衛は平和より優先すると言う当たり前のことから議論する必要が日本にはあります。
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