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大学の授業で文化的覇権について勉強しましたが、いまいちグラムシの言っている事がわかりません。
文化的覇権=ヘゲモニーは現代の問題にどう関わっているのですか??
具体例などあるのですか??  例えば、日本が太平洋戦争時代に朝鮮に創氏改名を強制させた事は文化的覇権に含まれる、とか。←これは自分で考えた事例なので違っているかもしれません!!(涙)
・・・
誰か助けて下さい。よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

私も以前、大学の授業の課題でグラムシやアルチュセールを読んだことがあります。



ヘゲモニーというのは、外部からの物理的強制力に対して、内面的な思想的強制力と言えるのでは無いでしょうか?

学校を例にすると(アルチュセールも学校を例にしてましたが)、授業が始まっても席に着かない児童を、先生が力ずくで座らせる、これが一般的な強制力です。

ところがたいていの学生は、授業が始まれば、何も言われなくても自主的に席に座りますよね。しかも学生たちはそれが当たり前だと思っています。でもよくよく考えれば、「授業が始まったら席に着く」という行為には何の自明性(根拠)も無いのではないでしょか?それは学生たちが小さい頃から教え込まれたからに過ぎません。この何かを「そうするのが当然だ」と思わせて、自分からその行為をさせる力、これがヘゲモニーだと言うわけです。

そうすると、普段何も考えずに、自主的に行っている様々な行為が、実は自ら行っているのではなく、誰かに(他者)に刷り込まれて強制されている行為なのではないか?ということになります。

話をもっと大きくして(?)考えれば、ファッションなんかにも当てはまるのではないでしょうか?
最近「エビちゃん」ファッションというのが、OLさんたちに流行っているようです。

でも一昔前、バブルのころは、漫画ヤワラちゃんや、千堂あきほみたいなファッションが流行っていて、もっとも前には松田聖子みたいな「聖子ちゃんカット」が流行っていたわけです。けれど誰も、いまや千堂あきほや昔の松田聖子がかわいいとは思いませんよね。

そうすると彼女たちが「自分で」かわいいと思って真似るそのファッションが、実はそれはファッション誌やCMがそう思わせているとも考えられます。なぜなら本当に「自分」でかわいいと思っているなら、大勢の人間が毎年毎年、別のものを、同時にかわいいと思うことがあるでしょうか。自分固有の基準ってそんなにすぐ変わってしまうべきではないですよね。

結局グラムシやアルチュセールが言いたいのは、自分の価値観がそれほど自分に固有のものではなく、次から次に誰かによって吹き込まれている不安定なものに過ぎないわけで、そうすると自分というデカルト以来の基準が、実はいかがわしいものではないか?ということではないでしょうか。

あと創氏改名についてですが、これはヘゲモニー的戦略としては失敗でしょうね。というのも大半の朝鮮人は嫌がったわけですし、それで彼らが戦争に積極的に協力したわけでもないですから。要は「それと知らずに、自ら体制に協力するよう仕向ける」というのがヘゲモニーの条件だと思います。

もし戦後も朝鮮半島が植民地のままで、彼らが日本名を持ち、日本語を話し続けることで、2世、3世が自ら日本人のように振舞うようになれば、成功と言えるでしょうが...ご存知の通り大多数の朝鮮の人は基本的に半日です。

私は専門家でもなんでもありません。あくまで私個人の解釈であることを断っておきます。
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この回答へのお礼

な、なるほど~!!!わかりやすい回答ありがとうございました!!
グラムシの概念は今の世の中にも当てはめる事ができるのですね!!
ってことは私たちが情報に踊らされてるっていうのは誰か見えないものに覇権を握られてしまってる・・・って事になってるんですね。。
本当にありがとうございます!!

お礼日時:2006/07/22 17:16

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