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マスコミのバッシングや過熱報道って相手を自殺に追い込む為にあるのですか?

散々相手を精神的に追い込んでおいて、いざ相手が自殺したら「そんなつもりじゃなかったんだけど」みたいな反省ムード。それ以後はあまり叩かない…みたいな風潮ですよね。

いくら相手が悪くても、そんな間接的な殺人をマスコミがする権利があるのでしょうか?
「いかなる理由があっても人の命を奪ってはいけない」というモラルを主張するマスコミなら、相手を精神的に追い詰めるような報道はそれに矛盾していませんか?
(「これだけバッシングしたら相手自殺するかもなぁ~」と少しでも思いながら報道を続けたとしたら「未遂の故意」の殺人になりませんか?)

A 回答 (4件)

この質問には3個の重要なキーワードが厳密に区別されずに漠然と使われているように思います。


まず、バッシングと加熱報道とは本質的な意味が異なりますね。また素人考えですが、いかなる場合でも「報道」に未必の故意の責任を求めるることは理論的に難しいように思います。
1.バッシングとは報道されている内容自体は誤りではないが、その内容をことさらに大きく、強く、深く、執拗に報道して相手をたたくような行為を言うのだと思います。従ってそこには報道機関としての価値観、倫理観、正義感から世論に強く訴える、あるいは自分たちの主義主張を守るために強烈に相手をたたく、というように大儀への執着があると思います。従っていわゆるバッシングは自殺の原因にはなり得ないのではないでしょうか? ましてバッシングされるような対象者は概して相当にしたたかであり、報道機関のバッシングくらいではへこたれない対象者がほとんどではないでしょうか? ただし、バッシングする相手が特殊な立場の場合はこれは非常に重大な人権侵害ではないかと思います。その最たるものはバッシングされたことに対して自ら反論乃至は弁護の手段を持たない対象者に対するバッシングです。たとえば皇室やその中の特定の御方に対するバッシングなど。
2.次に、加熱報道ですが、これには読者の側の反応が大きな責任を持っていると思います。ジャーナリストは(そうでない場合もありますが)一般的には読者の求める記事・評論を提供するのが使命であろうかと思います。また、そうでなければ機関を維持していけるだけの経済力を持てません。従って、過熱報道を要求しているのは読者であって、報道機関はそれに迎合しているだけ、という意味合いが強いのではないでしょうか? 加熱がいけないなら読者が拒めば(つまり購入しなければ)いいだけの話で、そうすればそんな報道はたちまち消えてしまうと思います。ただ、ここで問題は、よくある、犯罪者側の人権ばかりが強調され、被害者側の人権が過酷なまでに踏みにじられるということだと思います。これは絶対に排除されるべきと思います。
すなわち、過熱報道を要求するのは読者の側だということを念頭に置いておく必要があるのではないでしょうか?
3.そして未必の故意。たとえば極端な場合、ある報道が誤報であって、仮にそのことが原因で自殺者が出たとしても、それが報道された経緯において、その内容が真実であると信じるに足る状況において報道されたものならば、自殺者の出た責任をその誤報に嫁すことはたぶん無理だと思います。この辺になると法律の専門家でないと判断できない事柄であり、このようなQ&Aの一般市民の生半可な知識で判断できる問題ではないでしょう。
さて、小生の結論ですが、「報道が原因で自殺者が出た」ということは本当にあるのでしょうか? ある報道がなされた後、そのことに関する関係者が自殺した、ということはままあるようですが、これは報道が原因ということではなく、報道を機会にもう自分の社会的存在は不能になった、と「自分の所業を清算する覚悟を決めて」死を選んだ、ということではないでしょうか? あなたは自殺者を出すくらいなら、たとえ極悪人といえどもその所業には目をつぶって世間には隠してやるべきだとお考えなのでしょうか?
ご質問の趣旨に沿っていないかもしれませんし、小生の知識不足で十分な情報を持たずに言っている可能性もありますので、その辺はよろしくお読み取りください。
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この回答へのお礼

「報道が原因で自殺者が出た」ということは本当にあるのでしょうか? >
個人的には鶏インフルエンザで散々叩かれた老夫婦が首を吊って自殺したのがとても印象にに残っています。
自殺するまで散々マスコミは連日彼らを叩いていたのに、自殺した途端にバッシングが沈静し一転反省ムードになりました。
相手が自殺したからといってバッシング報道を控えるようになるというのは、まるで対象者の自殺がバッシング報道の目標地点のように思えて不快です。
相手を苦しめる事がバッシング報道の目的ならそれも納得ですが、そういう事をする権利がマスコミにあるのかは疑問です。

お礼日時:2006/09/24 10:28

 メディアは「第4の権力」と言われていますが、立法・司法・行政の三権は、直接・間接的に何らかの国民のチェック機能が働いています。

しかし、「第4の権力」のメディアに、国民のチェック機能が働かないのが問題です。しかも、記事の締め切りや他社との競争ゆえに、充分な調査もせず、報道しているところがあり、また、誰がそのニュースや記事の責任者なのかあいまいで、その匿名性を利用して報道している部分が多々あります。またさらに、そこには、当然、上層部の了解もあると思いますが、感情的な国民世論や国家権力に配慮した世論操作に似た動きで記事やニュースを流している部分もあるでしょう。ですから、こうしたメディアの体質が、どれだけ多くの報道被害を生んできたかということは、もはや周知の事実です。メディアに携わる者が、自己の権力の大きさを、本当に知っているのか疑わしい限りです。しかも、テレビや新聞・雑誌では、俗悪で低俗な記事や番組を垂れ流し、何が「報道の自由」でしょう。本来、「報道の自由」は、権力に対するチェック機能としてあるものです。ところが、最近のメディアは、権力迎合の傾向が強くなっており、「報道の自由」規制の時だけ、一斉に権力に立ち向かっているという印象を持ちます。そして、何よりも問題なことは、メディアが国家権力の補助機関になりつつあることです。力の弱い個々の国民に対し、あたかも権力者のように振る舞っている姿が目につきます。こうしたことが、報道被害を生んでいるし、社会を閉塞した息苦しいものにしていると、私は考えます。
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この回答へのお礼

とても丁寧な回答ありがとうございました。
熟読させていただきました。感謝します。

お礼日時:2006/09/24 10:31

No.1の方のいうとおりです。


なので、そう言う記事には振り回されずにしましょう。
そうすれば、マスコミも少しはまともになるのでは?
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この回答へのお礼

続いての回答ありがとうございました。
みんなで考えていかないといけない問題ですね。

お礼日時:2006/09/24 10:13

>マスコミのバッシングや過熱報道って相手を自殺に追い込む為にあるのですか?


まさか(^_-) マスコミの最大関心事が発行部数や視聴率です。これを上げるためには何でもやるということじゃないでしょうか?
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
感謝します。

お礼日時:2006/09/24 10:12

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