プロが教えるわが家の防犯対策術!

先ずは私の意見を申し上げます。

原因があるとすれば、いじめられた子、いじめられた子の両親、(度合いは低いですが)担任、です。
少なくとも、校長先生などに責任は無いと思います。
テレビ報道を見ていると、とても腹が立ちます。
いじめられ自殺した子の両親に言いたい、子供が死を選ぶ程に苦しみ悩んでいることに何故気付かなかったのか。
親に相談出来るような家庭を築かなかった自分たちに落ち度は無かったのか?

いじめられる子には、何かしら問題があると思います。
多くの子供がいる中で、その子がターゲットに選ばれた理由があるはずです。大体は、暗いとかブスとかまじめ過ぎとかでしょう。

暗い、陰湿な雰囲気を持つ人は厭われます。大人になってもそうです。
自分を変える努力が必要です。育った環境にも原因はあるでしょう。

ブス、これは反論が多いかもしれません。ですが、決して美人ではないのに、明るい笑顔で皆に好かれる人はいます。ブスと言われる人は、自分で自分をもっとブスにしています。

まじめ過ぎ、まじめなことはいいことです。でも、度が過ぎては迷惑です。自分から周りに壁を作ってしまいます。勉強に集中したいなら、そういう学校に行けばいいのです。

程度は別として、何かしらのいじめにあったことがある人は、そう少なくないと思います。私もいじめられたことがあります。
私に言わせれば、いじめが原因だと言って死ぬ人は、甘いです。
死ねば、いじめた子が怒られ、みんなが自分を可愛そうだと言ってくれる、大きな問題になる、そう思っているのではないですか。

子供の世界でも大人の世界でも、いじめは無くならないと思います。
そんな社会の中でも、強く生きていけるように、本人が、親が努力すべきではありませんか。

みなさんの率直な意見をお聞かせ下さい。

A 回答 (47件中1~10件)

#14です。

質問者さんは、異なる意見から様々な考えをご自身で引き出せる優れた方だとお見受けいたしましたので、補足させていただきます。

「自殺できるほど勇気があるのになぜいじめに立ち向かわないのか」
立ち向かった結果がよりいじめのエスカレートにつながる、ということもあるのです。
体と立場が大人になりかかっているのに心が未熟な頃は「自分を認めさせる」ことに固執しがちです。自分の方が優れている、自分という存在がここにいる、と自身を鼓舞するために、外見や勉強何でも相手との格差を見つけて主張したがります。そうしないと自分が負けになると信じているかのようにです。
下らないからかいも、反応を引き出すことで相手にとって自分が存在していることを確認したいから。しかし、相手が反応すればその快感で、逆に反応が薄ければ「無視している」とエスカレートが始まります。幼稚なからかいでは満足できなくなり、自分で悪質と意識している事でも、周囲を味方につける(あるいは「味方にならなければ今度はお前が標的だ」という雰囲気を作る)ことで「みんながそう思っている、だからこれは本当のことで間違ってない」と正当化します。
転校や引越しも、親が金銭面で苦労している場合は子からは簡単には言い出せません。行きたい道があってやっと入れた学校なら、いじめに負けて出て行くような真似はなおさらできません。
踏ん張りすぎた結果、相手への当て付けとかそんな下らないこともどうでもよくなり、ただただ「疲れ果て」てしまいます。「自分がいなくなれば親も苦労が減る」などと考えが間違っていることすら冷静に判断できなくなる時もあります。
そんな状態の子供や親に「努力が足らない」と誰が言えるでしょう。
疲れ果てた時にふと目の前に死ねる状況があった、今なら死ねる。そんなフラフラした状態の子供がいたのに、他人事と無関心だった周囲の第三者は、関係なかったのでしょうか。

いじめる側の親や学校にしても、地元の有力者には頭が上がらないというような風土のところもあり、それを変えるには誰が動けばいいのか、変えられるものなのか、変えられないし関係ないと思う第三者こそが容認する形を作っているのではないか…と、全ての人に関わる根の深い社会問題が潜んでいるものです。
おっしゃるとおり「いじめる側が100%悪いのではない」のです。
しかし「だからいじめられる側とその親が悪い」と原因のパーセンテージを特定することは愚かです。いじめる側の弁護です。
「いじめた側と学校が悪い」という親たちの主張も変です。それは大多数の第三者が押し付ける「俺関係ねーんだから誰か責任とれよ」という無責任さと同じではないでしょうか。
周囲や社会が関心を持たないこと。それが一番の原因です。
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どんな理由があるにせよ、悪いにはいじめたほうだと思います。



いじめが原因で死ぬというのは甘といいますが、No47さんもおっしゃっている通り、本人の痛みは本人でないとわかりません。質問者様もいじめにあったことがあるというというならわかるはずです。「死にたかった」というより「死ぬしかなかった」のでしょう。自分で死を選択したのではなく、選択させられたのです。

>死ねば、いじめた子が怒られ、みんなが自分を可愛そうだと言ってくれる
自分の一生を終わらせる時にそこまでかんがえるられる余裕があるでしょうか?そこまで考えるような人なら自殺以外の方法を考えるはずです。

死ぬ勇気があるなら生きていじめに立ち向かえという人がいるかぎりいじめはなくならないと思います。死ぬのに勇気なんて必要ありません。
いじめをへらすのにもっとも必要なのは、もっと被害者の話を聞いてあげる事だと思います。
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>いじめ問題 悪いのは誰だと思いますか?


悪いのはいじめた人間だと思います。

どんな原因があったとしても、「だからいじめていい」「いじめられてもしょうがない」という考えは危険です。

>いじめが原因だと言って死ぬ人は、甘いです。
そうでしょうか?
どんないじめを受けたか、またどんなに辛かったかなどは本人にしか分からないことです。

努力するのはいじめられている側よりも、いじめている側だと思います。
もっと人の気持ちや痛みを理解できるように努力が必要だと思います。
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私は色々考えた末、


 全当事者や社会全てに善悪があり
 いじめは無くならない
 自然のこと故、いじめは問題でない 

―という認識の上で
もっと楽しい事の為に
もっと厳しい事を覚悟すべきだと思いました
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最近のマスコミの「いじめ問題」の取り上げ方は


私も些か問題あるのではないかと思います。

ただ、あくまでもメディアはインタビューの「ある一部分」しか放送しません。
編集という作業がある限り、テレビで言っていることを信用しすぎるのは怖いですよね。
自殺された子のご遺族が学校側ばかり責めるシーンしか集めていないのかもしれませんし。

私は、いじめを学校側が理解できてなくとも仕方ないと思います。
第一、いじめは教師や親の見ていない場所で行われるものですから。
ただ、比較的最初に取り上げられたいじめ問題で
「教師が生徒をからかう発言をしたのがきっかけ」という
教師にとってあるまじき出来事がありましたから、
マスコミもそちらのほうに言及しているのかもしれません。

まあ、マスコミのことなどは置いておきましょう。
話半分に聞いておくのが無難かと思います。

いじめられた子も悪い、という考え方についてですが、
もう良し悪しの問題ではないのではないかと私は思っています。

いじめの形態というものは様々です。
もちろん、自殺する子の心理も様々で、そこに至る経緯も様々。
さらに、いじめっ子のいじめをする心理も様々ですので、
これはもう「どっちが悪い!」と決められるほど、安易な問題ではなくなっていると思うのです。

たとえば、こんないじめの形態もありましょう。
いじめっ子の心にも、家庭で受けたなにかしらの傷があり
その歪みがストレスとなり、自分より弱いもの(異質なもの)に攻撃することで発散している。
これはある意味で、物凄く可哀相なことです。
きっと、この先の人生でとてつもない大きな壁にぶつかることでしょう。

ただ、それもほんの一握りのケースです。
いじめられた子は、なんの罪も無い子ばかりです。
ただ、普通の人より優しすぎた、そういう子もいるでしょう。
人並み外れた優しさは、時にいじめの対象にもなり得るのです。

いじめられた子の家庭環境(両親)に問題がある、というのも
今の現代社会では仕方のないことかもしれません。

いま、私が大人になり、結婚し子供が生まれたら
やはり働きに出ざるを得ないと思います。
この不況ですし、育児休暇は貰えど、無給には変わりありません。
子供一人育てるのにお金がどのくらい必要なのか、それに見合う収入があるのか?
そういうことを考えると、育児に対する制度を変えないと、難しい問題かもしれません。
母親が家にいられないということは、子供にとって大きな影響を与えます。
それは、いじめっ子にも、いじめられっ子にも言えると私は思っています。

いじめられてることを親に相談できないのは、
急がしそうで心配をかけられないから。
お父さんとお母さんは、一生懸命家庭のために働いてくれてる。
だから何もいえなかった、そういうことがあるかもしれません。

あとは、自殺した子のご遺族が、自責の念を抱いていないはずはないと
私は思っています。
なんで気付いてあげられなかったのか、普通の親なら真っ先にそう思うでしょう。

親からすれば、どんなに心配しようが、
死なれるよりは話してもらったほうが良かった。
ですが、その気持ちを理解できるには、まだ幼すぎる年齢が、10代前半なのです。

ただ、いじめられる子の中にも色々います。
それは確かに、質問者様の思うことは御察しします。
自殺はいけないことであるし、
家庭環境が複雑だったのかもしれません。
そしてマスコミの取り上げ方では
いじめをした人への抗議的な意味合いとして取れるのも確かです。

ただ、それもすべて一概には言えない、ということ。
復讐ではなく、「理解して欲しかった」のかもしれません。

自分はこんなにも辛い思いをしたんだよ、と。
自殺するほどに辛かった、と。
いじめっ子にも、先生にも、両親にもわかってほしかった。
まだ、そういう年齢です。
ちなみに、私は自らの死をもって抗議する小学生が多いとも思えませんし。

自殺はいけないこと、それは道理です。
自殺できる勇気があるなら、何故親に話さなかったのか?
それはまったくの別問題なのです。
自殺する勇気はマイナス、親に話す勇気はプラスのものです。

私も、いじめを経験しました。
そして、自殺することなく乗り越えられたと思います。
ですが、乗り越えたからといって、自殺したいと思う事を否定することはありません。
そのときの辛さというものは、今でもぞっとするほどの、恐怖でしたから。
ただ、自殺したいほどの悩みを誰かに話して欲しい、
そして、その悩みをただ聞いてあげて欲しい、否定も肯定もしないで。
自殺はいけないこと、なんて、誰でもわかっていることなのですから。

それと、自殺された子やそのご遺族に、
心から冥福をお祈りしたいと思います。
どんなことであれ、命幼くして亡くなった人を、悪くは言いたくありませんから。

長々と申し訳ございませんでした。
以上が私の意見でございます。
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No32です。



質問者様がすべての回答に対して長文で返答なさっているので、
すごく律儀な人だなと正直感服いたしております。

>私も、太っていることなど、それ自体が悪いことだとは思いません。
>しかし、それがきっかけにはなってしまいますよね。
>いじめにあいたくない、皆に溶け込みたいと思うなら、直せるところは直そうとすることも大切ではありませんか?
きっかけを失くすことは不可能であるし、意味がありません。
なぜならば、どんな事でもきっかけになるからです。

私がいいたいことは、
いじめはどこでもどんなときでも発生する。特に子供は善悪の判断ができないのでエスカレートしやすい。
だけど、周りの大人が子供をちゃんとコントロールすれば、
いじめの数は減少できるし、いじめの程度もひどくならなくなる。
だから「学校でのいじめに関しては、先生と親(いじめる方、いじめられる方)が悪い」と考えます。

また、
「太っている人はいじめのきっかけになる可能性があるから痩せろ」という論理だと、
「成績が悪い人はいじめのきっかけになる可能性があるから成績をよくしろ」、
「成績が良い人はいじめのきっかけになる可能性があるから成績を悪くしろ」、
「ほくろが多い人はいじめのきっかけになる可能性があるからほくろをなくせ」を許容することになります。
これらは私が子供の時、からかわれる(いじめ)のを目撃した時のからかう理由です。
いじめにあいたくない、皆に溶け込みたいと思うなら、
痩せたり、成績を良くしたり悪くしたり、ほくろをなくしたりするべきなのですか?
ふとっていたり、成績の良し悪し、ほくろの数は個性です。
その個性をなくせという論理は間違っていると私は考えますので、質問者様の考えに賛同できません。

>私が納得いかないのは、親が学校側に自殺の原因がいじめだと詰め寄っていることです。
>子供が死ぬか死なないかという選択をする時に、一番影響力があるのは学校でも友達でもなく、
>家庭であるはずで、そうあるべきだと思っています。なのに、死を選んだということは、家庭内にも、
>生きたいと思わせるものがなかったということになりませんか?
生きたいと思わせるものがなかったから自殺したという考えには賛同できません。
家庭に生きたいと思わせるものがあっても、それ以上に学校で死にたいと思わせるものの
存在が大きかったため自殺したと考えるのが自然ではないでしょうか。
だから、親は学校に責任があると詰め寄るのだと思います。
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No.35です。




>いじめられる子は、いじめる子に、いじめようと思わせるきっかけを提供し>てしまっている。
>これが、私の意見です。

>文中にありました不潔?な子。「毎日お風呂に入ってキレイにしてみた>>ら?」などと、他人に言われる前にちゃんとすべきではありませんか?こんな>ことは常識ではありませんか。フケまるけの髪の毛では面接にも受かりませ>ん。

ですから・・・・事情があるのですよ。人それぞれ。 
ここは海外ですが日本でもありえることですが、極端な例ですと家にお風呂がなくて毎日入れないような子供も今の時代でもいるんですよ。

あなたは、そういう子供たちへ想像力を働かせることはちょっとむずかしいですか?
何から何まで、「普通」にしろというのですか?「普通」にできないのが悪いのですか?100人いたら100人なりに事情があり、考えがあり、感じ方がありますよね。 みんなちがうんですから、「きっかけをなくせ」なんて無理なんです。 
ちょっと個性的な子もいじめられますね。せっかくよい個性をもった子でも、いじめられないために必死にその個性を消し去ろうとする。 
そういうのが質問者様の望んでいることですか?

親は他人に攻撃されないよう抜け目なく子供を仕立て上げろ、と。それが親の責任ですか。現実はいろんな親がいますし、それは現実的ではないですね。

イジメの解決のためにいじめられる側がもっと強くなっていじめるきっかけを提供するな、とのご意見のようですが、それこそ無理なことですよ。
ターゲットが見当たらなければ、いじめは積極的にターゲットを探して作り上げるのですから。いくらいじめられないよう気をつけたって、こじつけてでもターゲットを仕立て上げ、うさばらしの対象にしているケースが多いのではないですか。

自分の優位性を確認するために、自分より下に誰かを置いておこうとする捻じ曲がった根性ですね。それは、どこから来るかっていえば、あなたのような考えの大人から子どもに伝わっていくんだと思いますよ。 
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かなりお若いのでしょうか?



>そのいじめの実態を一番よく把握している本人が立ち上がるのが一番の近道であると、私は考えています。

学校は隔離された社会に近い状態で、
その場の雰囲気に子供は流されやすくなっています。
そんな中でイジメが発生したばあい、
いじめられた子に加担する事は、
その子の身にも影響を及ぼすことが多いです。
だから皆、見て見ぬふりをしたり、
イジメる側に加担したりします。
そんな中でイジメられた子は孤立していきます。
そこで下げられた自己評価を、
通常の場合と一緒にするのには無理があるでしょう。
その極限の状態の中では、
本人が冷静な判断をすることが難しくなっていると思います。
集団の心理は時として物凄いものがあります。
いじめられた子が立ち向かうことは、
とてもむずかしいことだと思います。

さて親についてですが・・・・・
学校側に強く出る保護者もいますが、多くの場合には、
あまり良い結果になっていない事が多い気がします。
それに、責任感のある優秀な教師ばかりだけではありません。
もし、親が何度か相談を持ちかけてきちんと対応策が取られていれば、
イジメの問題も酷くはならないでしょう。
そして、公立の学校の場合には、
やはり公務員であることが色濃く出ると思います。
指導力のない教師を学校側が認識していても、
それに関して対応出来ていない場合が多いと思います。
それに、教師は部外者の介入を嫌う傾向があります。
親もそれに気が付くでしょう。
そこで無理強いをした場合に、どのような結果が予測できますか?
教師を偉いと思っているのではありません。
子供を人質に取られているに近いかな?
(公務員は身内を庇う傾向があり、責任問題にとても敏感です。)

>しかしながら、多ければ千人もいる生徒の一人ひとりに気を配ることは、不可能だと思います。

一人一人に気を配ることは無理かもしれませんが、
学校自体の気風を変えることは出来ると思います。
その中で、教師間の連携を密にし、問題が生じた場合、
学校全体がその問題を解決しようと一丸になれるかどうか、
陣頭をとるのが校長の役目だと思います。
校長の役割をはとても重要なのです。
会社で言えば社長です。
校長が代われば、180度方針が変わることもあるのです。
校長はただの管理職ではないのです。

前の回答にも書きましたが、
イジメは当事者だけの問題ではなく、
イジメに関わる全ての関係者の協力が必要だと思います。
マスコミで報道されている部分も、多くの場合、
一部の情報がだけが独り歩きしていることもあるでしょう。

でも、どのような背景があったとしても、
イジメをする行為は許されるものではありません。
また、愛の反対は無関心とも言われ、
その問題に気が付いていた関係者全員に、
過失があったのかもしれません。
亡くなったお子さんがどれだけの思いで遺書を書き、
自殺をしたのか・・・・・
わたしは切ない気持ちでいっぱいです。
ご冥福をお祈りしています。

立ち向かえる人とそれが出来ない人が存在したとして、
それが出来なかった本人が悪いとしか考えられないのならば、
それは、あなたの視野が狭く、社会経験が少ないためでしょう。
人は罪を起すもので、起したした人に対してばかり注目するのではなく、
どうして、そこに至ったのかを考えるべきだと思います。
管理体制が悪かったのならば、
どうすれば良いかを考えなくてはなりません。
今回のケースも、犯人探しをするのではなく、
そのような状況を、どうすれば回避出来たかを考えるべきだと思います。
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#27です。


ここからは自分の経験外のことですが・・・

>でも、わざわざ遺書に、原因がいじめで、いじめた子は誰と誰...と、ご丁寧に書くことが出来たのは何故でしょう?

報道で殊更に「遺書」が取り上げられていることから、彼らが遺書を社会やマスコミに向けて書いているような錯覚を持たれているのではないでしょうか。

遺書とは本来、身近な人に向けて書かれるものです。
家族へ向けての最後のメッセージとして、自分がなぜ最悪の選択に至ったか、ご丁寧に書くのは間違っていないと思います。


>しかも、遺書に名前まで書かれていたとなると、いじめっ子は、今度は自分たちが事情を知る同級生などから、人殺しなどと一生言われるかもしれないくらい、大きな仕返しです。十分やり返しています。

これはつまり、家族・行政(教育委員会)・マスコミが「遺書」の存在やその内容を周知させてしまったことの問題であり、遺書を書いた本人の意図とは別の使われ方をしたせいです。

「遺書」に関しては以上のように、本人の「復讐心」に非ず。
家族の「復讐心」やマスコミの「お涙頂戴主義」に利用されている、というのが正確なところではないでしょうか。


>私に言わせれば、いじめが原因だと言って死ぬ人は、甘いです。
>死ねば、いじめた子が怒られ、みんなが自分を可愛そうだと言ってくれる、大きな問題になる、そう思っているのではないですか。

私に言わせれば、こうした考え方でしか子供を見ることができないことの方が、教育を直視せずに教育を語ろうとしているように見えて、よほど「社会に対する認識が甘い」と思えます。
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とりあえず、質問者様すごい考え方ですねー



>いじめられる子には、何かしら問題があると思います。
本当にそう思っていらっしゃるんでしょうか?
そういう考え方の方が多いことが大問題だと思いますね。
嫌いな人がいたとしても、集団を作ってその人をターゲットにする意味があるのでしょうか?

>原因があるとすれば、いじめられた子、いじめられた子の両親、(度合いは低いですが)担任、です。
虐めた子に非はないのですね?相手が死んでしまってもってことですよね。
間接的に虐められた子の死とか関わりはないのでしょうか?
いじめには直接関わっていなくとも見ないフリをしていた子たちはどうなのでしょうか?

>まじめ過ぎ、まじめなことはいいことです。でも、度が過ぎては迷惑です。
どのような迷惑があるのでしょうか?まじめ過ぎな人全てが壁を作っているとは思えません。
相手は壁を作っていなくても、質問者様のその考えこそ自ら作られている壁なのではないですか?

>いじめが原因だと言って死ぬ人は、甘いです。
死ねば、いじめた子が怒られ、みんなが自分を可愛そうだと言ってくれる、大きな問題になる、そう思っているのではないですか。
そこまで追い詰められてしまっていたんです。そんな深読み、切羽詰ってる状況でできる人はほとんどいないと思います。子どもは大人が思っている以上に強くないですし、耐えることはできません。

親は異変に気づきます。でも、多くの子どもは言い出すことが出来ないんです。
親に心配かけたくないし、言った後のことがなにより怖いんですよ。
親が学校に事実を問うて、その事がバレたらもっとやられる!とか考えちゃうんです。
それで結局は独りでかかえこんでしまってどうしようもなくなるんです。

イジメはレベルの低いことなんですよ。
言い方悪いですけど、頭の悪い人(常識とかのない人々)がするんです。
だから、自分のいる社会でイジメがあるならそこはレベルの低い集団だと私は思いますね。

多少不快にさせる部分もあるかと思います。すみません。
ここまで大々的に報道されるからには考えることも今まで以上にたくさんですね
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