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今まで自分はただ読むだけで、読後の感想は「面白かったか、面白くなかったか」と思うくらいでした
それだけでは本当に作品を読んだとは言えないのではないか?と思い、もっと良い読書方法はないかと悩んでいます
その中で作品の中で作者が何を伝えようとしているのか、作者の意図を読み解こうとしながら読もうと思ったのですが、今までただ読んでいただけなので
どのように読んでいけばいいのか、どうやって読む解けばいいのかわかりません

どうすれば自分になりに作品の中から作者の意図を読み解くことができるでしょうか?
また、皆さんはどのように本を読んでいます?

A 回答 (4件)

本を読んでの感想というと、結局は「おもしろかったか」「おもしろくなかったか」ということに尽きるのです。

けれども

> それだけでは本当に作品を読んだとは言えないのではないか?と思い、もっと良い読書方法はないかと悩んでいます

という問題意識が生まれて来るというのは、おそらく「おもしろい」と思った自分が、いったいどうしておもしろいと思ったかを探り当てられないもどかしさ、ではないかと思います。
おもしろかった、あるいは、つまらなかった、とどうして自分は思ったのか。
それを説明できるのは、世界中で自分しかいないはずなのに、それができない。

ほとんどの人にとって、一番関心があるのは「自分自身」でしょう。
ところがその自分というのも、よくわかっているようで、実はよくわかってはいないものです。
「おもしろい」と思ったのがなぜか、感動して涙を流したときでさえ、どこにどう感動したのか、うまく言えない。
それでも、自分が深く揺り動かされた読書体験が、いまの自分にどう関わってくるのかを理解するということは、とりもなおさず「新しい自分」「いままで気がついていなかった自分自身」の発見につながっていくはずです。
読書体験に「知識を得る」という面を超えて意味があるとしたら、なによりも、こういう点ではないのでしょうか。

そう考えていくと、「作者の意図を読み解くこと」が、読書体験の本質とは何の関係もないことはおわかりですね。
そんなものではなくて、「どうして自分はおもしろいと思ったのか」
これを説明できるようになることを、さしあたっての目標とします。

1.自分は何を読んだのか

実は、人は小説を読みながら、そればかりではなく、評論や新聞の記事を読むときでも、映画やドラマを見るときでも、そこからそれぞれの「物語」を引き出して読んでいます。
「何がどうした」
という物語です。これをはっきりと引き出せない場合は、漠然とした印象しか残っていきません。感想が持てないという多くの人は、「自分がどんな物語を引き出したのか」を説明することができないわけです。
そうではなく、「少年が宇宙人を返してやる物語」(『E.T.』)、「松山で先生になった坊っちゃんが悪いやつらを懲らしめて東京に帰ってくる物語」(『坊ちゃん』)というように、「誰がどうしたという物語」あるいは、「誰がどうなるという物語」という短いセンテンスにまとめてみてください。
こうすると、漠然としていた自分の「読み」が、ずいぶんはっきりしてくるはずです。

2.これは「要約」ではない

こんなふうに書くと、ああ、これは学校時代にいやというほどやらされた「要約」ではないか、と思う人もいるでしょうが、そうではありません。
「要約」は、最後まで読み終えて、振り返って「大切」と思われるところを拾い上げていく作業ですが、「物語の引き出し」は、わたしたちが読みながら、半ば無意識のうちにやっていることです。
映画でも小説でも、わたしたちはある程度の予備知識を持っています。
恋愛小説なら、主人公が出てきた時点で「ああ、この人がだれかに恋をするんだな」とか、「この人は、きっと殺人を目撃するか、巻き込まれるかするんだろうな」とかと考えながら読み進みます。この時点で、すでに「物語」はできています。
そうして、つぎの登場人物がでてきたら「ああ、これが恋をする相手かな」「なんだか鬱陶しいやつだな、こいつが殺されるにちがいない」とかというふうに「物語」は変わっていきます。「ああ、ちがった、この人ではなかった」というふうにあとに戻って修正されることもある。
実は「読む」ということは、この「物語の修正」のプロセス、つまり、言葉を換えると作者と共同作業で読み手が物語を作っていっているというプロセスでもあるのです。
この無意識でやっていることを、意識化してみてください。
具体的に言葉を当てはめてやるのです。そうすると、いっそう読みはくっきりしてくるはずです。

3.小説(評論、新聞記事、映画やドラマまでも)は「物語の束」でできている

どんなに単純な物語でも、物語はたったひとつではありません。
たとえば「桃太郎」にしても
・桃太郎が鬼退治をする物語である。
・桃太郎がお姫様を助ける物語である。
・桃太郎が仲間と出会う物語である。
・桃太郎が鬼退治を通じて大人になる物語である。
まだいくつでもできそうですが、今度は視点を変えてみましょう。
・囚われのお姫様が解放される物語である。(これはお姫様が主語)
・神仏に祈れば報われる物語である。(これはおじいさんおばあさんの視点)
・平和なコミュニティに異者が乱入してくる物語である。(鬼の視点から)

わたしたちがレビューを見て「ああ、なるほど」と思うのは、それまでメインストーリー(「桃太郎が鬼退治をする物語」)にしか気がついていなかったけれども、別の視点(「平和なコミュニティに異者が乱入してくる物語」)があることに気づくからです。
そうして、このようにさまざまな見方を知ることで、自分がこれまで気がつかなかった「物語」に気づくことができる。だから作品に奥行きが増したように思うのです。

「もっと良い読書体験」というのは、この「引き出せる物語」の数を、どこまで増やしていけるか、ということなのではないかと思います。
だから、まず手始めにこれは「何の物語か」を自分に聞いてみる。
そうして「別の物語」を作ってみる。
主語を別の人にしたらどうなるだろうか。

「おもしろい」としか感じられないのが問題なのではなくて、「なにがどうして」おもしろいか言えないのが問題なわけなんです。
そうして、この「なにがどうして」を言うためには、走るのがうまれつき速い人がいるように、特に意識的に努力しなくてもできる人もいるけれど、それなりにトレーニングを重ねていけば、ある程度、だれでもできるようになります。
そうして、その人の読書経験、あるいは人生経験に応じて、その「引き出せる物語」も、豊かなものになっていくのだと思います。
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私も読破後の第一声が「面白かった」「つまらなかった」の人です。


感動や恋愛、全てにその評価というので親に唖然とされました。
読書感想文など本について感想や紹介をする時にはかなり長々と書くことがあります。これはほぼ自分の意見や想像です。
これを作者の意図を読み解くというのなら、考えながら読むと良いと思います。自分の場合どうだろう。ここは共感できる。できない。
と言う風に。

表現技法をどうこう分析したいのなら、やはりそれなりに文学について勉強すべきではないでしょうか?
また、有名な著者の本でしたら著者についての解説本があります。伝記っぽいものですね。その人がどういう時代にどういう環境いたかなど、人間ですから影響します。師と仰いだ先人への思いいれなども。
ご本人が自分の著書について語った対談などもありますよ。

作者の意図を読み解くのは不可能ではありませんが可能でもありません。特に作者がもう亡くなっている場合にはご本人に尋ねることさえ出来ません。正直他者が他者の意思を読み取る事などテレパシーでもない限りありえないと思います。想像や推測でしかありません。それがとても近い場合もあれば遠い場合もあるとお忘れなく。

「作品を読む」というのは一般的にはその作品に触れることで、自分の内外に起こる変化や充実感を得たという事ではないかと思います。
ある推理小説家の先生は「読む人の勝手。想像にお任せします。」と言うような事を公式サイトで発言されていました。
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この回答へのお礼

>自分の場合どうだろう。ここは共感できる。できない。
これなら今すぐにできそうです!

ありがとうございました

お礼日時:2006/11/12 23:08

>読後の感想は 「面白かったか、面白くなかったか」



それでいいのではありませんか。読書感想文や評論文を書いて作品のおもしろさを人に伝えたいということであれば、そのために作品を何度も細かく読み返すようなことをはじめ、読み方にも 「仕事」 としての工夫が要求されてくるとはおもいますが。単に作品に惹かれて何度も読み返すうちに諳んじてしまったり、作者の意図などわからなくてもいつのまにか作品が自分の一部のようになってしまうというのが、 「自分なり」 の読書というものではないでしょうか。

藤原俊成は息子の定家に 「歌は広く見遠く聞く道にあらず。心より出でて自らさとるものなり」 と教え、定家は式子内親王に 「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にもあはれに聞こゆる事のあるなるべし」 と教えたそうです。
(大岡信 『あなたに語る日本文学史 (古代 ・ 中世篇)』 新書館)
平安時代の貴族の教養である和歌はすでに広く豊かな学識や有職故実の知識を必要とするものになっており、俊成 ・ 定家父子などは学識 ・ 有職故実の知識においても当時の第一人者なのですが、和歌とは理屈以前に人の心を動かすものだと語ったというのです。この逆説は、現代人の読書にもそのままあてはまるような気がします。

問題は、ちょっとレベルの高い作品を背伸びして読んでみると自分にはどうもおもしろさがわからない、有名なものでないと一流の作品の見わけがつかない、といったところにあるのではないでしょうか。寺子屋の子どものように意味がわからなくても古典を音読する、骨董屋の小僧のようにおもしろさがわからなくても評価の高い作品を日常的にやせ我慢してでも読む、といった読書も大切ではないかとおもいます。
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この回答へのお礼

>それでいいのではありませんか。
このような回答でそうだな、と思いました
私は、それだけでは本を読んだと思えず、だから別の読み方があったらぜひ教えて欲しいと思い質問しました

ありがとうございました

お礼日時:2006/11/12 23:07

> その中で作品の中で作者が何を伝えようとしているのか、


> 作者の意図を読み解こうとしながら読もうと思ったのですが、

ん~、そういうのは文学研究者的な読み方かも。

作品が書かれた時代背景は?前後にあった大きな事件は?
作品が書かれた際の作者の交友、生活状況は?
同時期、同雑誌などで発表された他の作者の作品の影響は?

調査とか、結構大変かも。

--
> 皆さんはどのように本を読んでいます?

特別ユニークな経歴を持っている作者とかでもない限り、ぜんぜん気にしてません…。
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この回答へのお礼

文学的な読み方なのですか?どうなのだろう…
調査とか、そこまでちゃんとした読み方をしたいわけではないのですが…

ありがとうございました

お礼日時:2006/11/12 23:06

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