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「頭痛が痛い」という表現はいけない、と思うのですが、他の事例をみてみると何故いけないのか分からなくなったので質問させていただきます。

・正しい日本語について書かれた本(著者は北原保雄さんだったと思います)で『「賞を受賞する」は誤った日本語であるが「ノーベル賞を受賞する」ならば正しい』という記述がありました。この説明として、後者では『どんな賞』なのか、という新しい情報が付帯しているから賞という言葉が重なっていても大丈夫なのである、といった内容が記述されていました。
ならば、「痛みが痛い」は間違いであるが、『どこの痛みなのか』という情報が付帯した「頭痛が痛い」も正しいのではないでしょうか?

・過去の質問:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1488568.htmlにて『違和感を感じる』という表現について以下のような回答がありました。

>「不快感を感じる」は重言ですが、
>「違和感を感じる」は違います。
>それは、「不快」はそれだけで「感じを表す語」であり、
>それに「~~感」をつけることで
>「不快という感じ」という意味の複合語になります。
>一方「違和」だけでは「感じ」ではなくて
>「~~感」がつくことで「不快」と同じ「感じを表す語」になりますから、それを感じるのはおかしくありません

これに関しても「頭」だけでは「痛み」ではなく「~~痛」がつくことで「痛みを表す語」になるので、それを痛めるのはおかしくないのではないでしょうか?


どうして上記のような理由で他の表現はよく、「頭痛が痛い」では駄目なのか、教えてください。(それとも『頭痛が痛い』も正しい日本語表現なのでしょうか)
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

失礼ですが、北原保雄氏の文章を誤解なさっていると思います。



まず「新しい情報が加わっている」というのは以下のような意味です。

「花が開花する」「賞を受賞する」「金を借金する」には、「花が開く」「賞を受ける」「金を借りる」という意味以外に情報がない。つまり重言。
一方、
「桜の花が開花する」「ノーベル賞を受賞する」「高額な金を借金する」は自然な言い方になります。桜、ノーベル、高額、という情報が加わっているから、ということです。

「感を感じる」の場合は、当然ですが、不自然ですね。まさに重言です。
では「不安感を感じる」はどうでしょうか。
「不安感」の「感」を取りはらった「不安を感じる」という言い方は自然です。それは「不安」自体が感覚だからです。ということは「不安感を感じる」の最初の「感」は不要だということになり、やはりこれも重言ということになります。「圧迫感を感じる」なども同様です。これも「圧迫を感じる」という言い方ができるからです。

ところが「違和感を感じる」の場合、ふつう「違和を感じる」とは言いません。「違和感」は「不安感」と同じ言い方なのではなく「不安」と同じ種類のものなのです。つまり、「不安を感じる」と同構造のものが「違和感を感じる」ということになります。つまり、重言という必要はないことになります。「劣等感」「一体感」などが、これと同類になるでしょう。
早い話、「違和を感じる」「劣等を感じる」「一体を感じる」のほうが不自然なのです。

さて、「頭痛が痛い」ですが、もう説明する必要はないかもしれませんが、この文は「頭が痛い」以外の情報はありません。こういう意味で「新しい情報がない」ということであり、最初の「痛」が不要なために重言だといっているのです。
(『続弾! 問題な日本語』北原保雄 編著より、一部改)

ま、しかしですね、個人的には「桜の花が開花する」あたりはビミョーって感じがします。微妙感?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2006/12/04 15:32

・わたしは「頭痛が痛い」はおかしい、という立場で述べます。


・まず「Xを受賞する」のXは何かというと、「受賞対象」であり、
重言であろうがなかろうが「賞」、「なんとか賞」、「なんとかメダル」の類です。
・ところが「Xが痛い」のXは何かというと、「頭がいたい」、「腹がいたい」などの「痛みを生じる箇所」です。ところが「頭痛」も「痛み」も「箇所」ではありません。したがって、「頭痛が痛い」も「痛みが痛い」も日本語としてはおかしいのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2006/12/04 15:31

おやっ、わたしの回答が引用されていて恐縮です^^;



はじめに。
「言葉に正しいも間違いもあるわけないじゃないですか!」

ということを述べておいて^^;

わたしは、パズルを組み合わせるような論理的な説明は苦手なので、ただだらだらとわたしの感覚を説明するだけになってしまうのですが、うまく伝わるかどうか…。

「頭痛」は、「頭が痛い」ことに決まっていると感じる人にとっては、改めて「痛い」と説明されると変な感じがします。
「痛いとは限らないこと」であれば、「痛い」と説明してOKです。
例えば、「彼のギャグはいつも痛い」。
痛いとは限らないものを痛いと教えてあげれば言葉としてスーっと通ります。

「頭痛」という語が何らかの原因で「頭が痛い」という元の意味が意識されないようになってしまった場合は、「頭痛が痛い」という表現が自然に感じられるようになると思います。

例えば、「最初」という言葉が使い古されて、「初めに」というくらいの意味にしか感じられない人にとっては、意味を強調するために「一番最初」と言ってしまうでしょう。「最初」が「一番初め」の意味だと思っている人は、どうしても「一番最初」は変だと思ってしまうでしょう。

あ、質問文中の「新しい情報が付帯しているから重言でなくなった」という説明だと質問のように思ってしまうかもしれませんね^^
こう考えてはどうでしょうか。新しい情報が付帯したことで、「説明の余地が出てくる」のです。
「ノーベル賞」は当然には受賞するものではありませんから、「ノーベル賞を」…どうするのか…「受賞する」…これは、おかしくないでしょう。
重要なのは、字が重複しているかどうかではなく、意味を考えることです。

重言と一言にいっても、…おそらく、いくつかのパターンにわかれるんじゃないでしょうか。そういう資料が無いのでわたしはすぐに整理できませんが^^;
難しく考えずに、それぞれ、変なのか、変じゃないのかっていうのを個別に考えればよいと思いますよ^^

そして、言葉が変かどうかは、まず自分が判断するしかないことですが、言葉っていうのは、誰かに伝えるという仕事をしたときに、伝えた相手にも影響を及ぼすものですから、伝える相手がどう思うかっていうのも気にするのが普通かと思います。

そういう理解をするとよいのじゃないでしょうか^-^
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2006/12/04 15:31

そもそも「頭痛が痛い」と言う表現はどこかの誰かが面白がって言い始めて言い方で、貴方が例をあげた学問的な議論をしているものとは次元が違うものです。


言葉と言うものは正しいとか間違っているとかではなく、その時代にどれだけの人が受け入れているかです。違和感を感じる人が少なければその言い方は正しいと受け入れられると認められていることになります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2006/12/04 15:31

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