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現在、愛国心が教育基本法に適用されたり、安倍主相の「美しい国へ」が話題に(結構時間が経っていますが)なっています。

「愛国心と愛郷心は違う」

昔、このような一文をどこかで見たような気がするのですが、愛国心と愛郷心、この違いが良く分かりません。
私は愛国心とは一種の妄執にも似た執着心だと思っています。自分の国に囚われすぎるあまり他国の国民を、その国民と言うだけで差別したり、逆に畏敬してしまう嫌いがあるからです。
例を挙げれば、私たち日本人は同じアジアの中国や韓国の国民の一部の人たちには、日本人と言うだけで戦犯扱いをされています。また、欧米の一部の人たちにはアジア人というだけで軽蔑されます。
逆も然りで、日本人は欧米人にどこか恐怖感みたいなものを持っている人が多いです。

上記をもって、国に縛られること(愛国心もこれに含む)にあまり良い印象を持ちません。

(もちろん、全ての人がこれに当てはまるとは思いません。以前、中国人の女性と半同棲(別に恋仲ではない)なったことはありますが、比較的好意的に接してくれました。)


ですが、愛郷心と言うのはいったいどう定義されたものなのでしょうか。私が上記に挙げたような例に含まれるのでしょうか。

出来るだけ多くの回答をお願いいたします。

A 回答 (10件)

猿には家族があり、家族が集まって集団を作ります。

集団にはボスがいます。その集団は、近くの猿集団と敵対しています。
猿には家族とボスが率いる集団しかないですが、人には、家族、親戚、地域、宗教、仕事、国、友人、その他、所属する集団が多くあります。
人はみな、自分が可愛い、そして自分が属している集団が可愛いという気持ちを持ちます。愛国心も愛卿心も同じく自分が属している集団が可愛いという気持ちの表れで、同じものです。
猿が自分の属している集団や家族を守るために、牙を剥くのは、彼らも愛国心(愛集団心)を持っているのです。
自集団を守る行動を、人のように集団生活する動物は、必ず持っています。その動機となる気持ちが愛といわれる感覚なのです。
私には、愛国心をことさら教育するのは、政治に自信の無いからだと思います。国という集団が、自分達の生活に大切なものならば、愛国心は生まれるものだからです。
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「(5) 結論」の前半を次のように推敲してみました。



ご質問文にいう「上記に挙げたような例」は、nationalism というより、chauvinism や racism かも知れない。もっとも、それらは一種の愛国的な変態とも言えよう。
つまり、愛国心は愛郷心に基礎を置きつつも、よい意味でも悪い意味でも大きく飛躍したものである。よい意味とは、愛郷心だけでは近代の国民国家は成立せず、愛国心というフィクションの注入が役立ったからだ。悪い意味とは、愛国心は一筋縄ではいかない混合物ということである。(4)でも述べたが、愛国心は変態する場合まであって、右翼でも左翼でもそれが起こっている。
愛国心がピュアなものでないことは、ご質問者もお気付きだと思う。(後略)


「(3) 愛郷心と愛国心はしばしば矛盾する」を補足説明します。

原発の使用済燃料の再処理工場を例にとってみよう。これまでフランスなどに送って処理してもらったが、いつまでも外国に押し付けて済むものではなかった。電力会社だけの話ではなく、国の政策として国内につくることになった。しかし、「わが郷土には来てほしくない」と大半の人が思うのはごく自然であって、それを批判するのは酷だろう。批判するなら、ではあなたたちの所で引き受けるかという話になる。
ここで愛国心を発揮するなら、「お国のために喜んで引き受けます」となる。称賛すべき態度だが、ウソくさくないか? 実情は、莫大な補助金と引き換えに、国から因果を含められて引き受けたのだろう。「お国のために」という綺麗事には裏があるということだ。
それでも、「大金が入るから誘致したんでしょ」などと、他の地域の人が言うべきではない。金をもらっても嫌なのに、受け入れてくれたのだ。「国のためを思って引き受けた」というフィクションを否定すると、身も蓋もないギスギスしたことになってしまう。

愛郷心を批判するのは酷だが、逆に褒め称えるほどのものでもなかろう。それはやむにやまれぬ感情である。
愛国心は称賛されるが、半ば作り事である。それでも、世の中にはフィクションも必要なのである。「郷」は実感できても、「郷」を結合して「国」にするのは、国民意識というフィクションである。ただし、フィクションに酔うと、大日本帝国のように墓穴を掘ることもあるから、愛国心が激しい論議の対象になるのも宜なるかなである。
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nationalism と patriotism を対比しておきながら、ジョージ・オーウェルに触れる人がいないのは、どうしたことだろうか。

彼の「ナショナリズムについての覚書」は、nationalism と patriotism を区別した上で、nationalism とその変種を分析している。『水晶の精神 オーウェル評論集2』(平凡社ライブラリー)に収録。
http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/browse …

辞書を引くと、nationalism も patriotism も「愛国心」と訳せることになっている。しかし、英米の知識人などの文章を読むと、両者を区別することから論を起こしているものがある。オーウェルもその一人だ。彼は20世紀イギリスの卓越した文筆家で、筆鋒鋭く右翼も左翼も批判した。
一方、黄文雄というのは右翼売文屋である。それでも知識人ではあるので、nationalism と patriotism を区別する論法を知っているのだろう。それをパクった上で、自己流にねじ曲げているのである。そんなバッタモンでも、オリジナルを知らない人は引っかかるらしい。
さて、かく言う私は黄にも劣るケチな素人であるが、「ナショナリズムについての覚書」を思い出しつつ、拙い回答を差し上げたい……。

(1) 「愛してる」よりも金払え(これはオーウェルではなく拙論)

国家でも家庭でも、世の中先立つものはゼニだ。「ハニー愛してるよ」なんて、しゃらくせえこと言ってるヒマがあったら、たんまり稼いで給料を家に入れろ。それが古女房の本音ではあるまいか。
国だって同じだ。「私は愛国心が強いです」とか「国のためなら死ねるぞ」とか抜かす前に、金払え。働いて働いて、税金を納めろ。……戦後日本が、愛国心教育よりもまず産業振興に力を注いだのは、正解だった。愛があっても金がなければ、家も国も立ち行かない。
その逆に、金があっても愛がなければ、家庭も国も崩壊するかも知れない。とは言うものの……。愛国心を説きながら、脱税や(脱税すれすれの)節税に励む「お偉いさん」たち。「反日日本人を許すな!」などと、ひねもすネットに書き込みながら、ろくに税金も納めてないニートたち。国家財政は火の車と来ている。まるで漫画だ。

(2) 愛郷心は批判の対象にしにくい

ことほど左様に、「愛国心」には裏表がある。そこで、オーウェルの論考に話を戻すと、彼は愛国心の中から裏表のない部分、「善きもの」を救い出して、それを patriotism とした。慣れ親しんだ慣習や風土や感覚や人々などに対する愛着――自然と沸き起こってくる感情であり、そうしたものを批判の対象にするのは酷である。この patriotism は、「愛郷心」と同じではないにしても、相通じるものがあるだろう。大昔から存在していた。
一方、それ以外の愛国心(オーウェルによれば nationalism)は、教育などにより、作為的に注入された要素が少なくないという。意外と知られてないが、nationalism は比較的歴史が浅い。近代の「国民国家」以降の産物ではあるまいか。

(3) 愛郷心と愛国心はしばしば矛盾する

第二次大戦末期、沖縄は本土防衛の捨石にされた。沖縄を愛する人は、日本を憎むこともあるだろう。占領終結後も、米軍基地の多くが沖縄にある。基地だけでなく、例えばごみ処理場や原発なども、社会全体のためには必要だろうが、自分の近所に来るのを好む人は少ない。結局、比較的貧しい地域に「つかみ金」を握らせて、それらを押し付けている。
また、愛国心を鼓吹する人は、次のように言う場合がある。「自分の身内や郷土を愛するでしょう? 国を愛するのも同じですよ」。しかし、同じではない。そこには目も眩むような飛躍がある。
彼らは、愛郷心が批判されにくいのを利用して、一気に愛国心まで結び付けたいらしい。それで納得してしまう人も結構いるらしいのには、驚かされる。

(4) 縺れた愛の物語

愛は、複雑で分かりにくい形をとることがある。変態的な愛し方も、あらゆる種類が揃っている。実は、オーウェルの論考はその辺を主に論じたものだ。
彼によれば、当時たくさんいた「反英的」英国知識人(「英国は没落すべし」とまで言った)も、ナショナリズムの変種だというのである。(2)で述べたように、 nationalism には作為的に注入された要素もあるので、容易に転移したり反転したりするという。イギリス人の中には、イギリスのことをこき下ろせば下ろすほど喜ぶ人がいるが、それも一種のナショナリズムであると、オーウェルは穿った説明をした。右派の各種ナショナリズム、左派の各種ナショナリズムを、彼は詳しく分類している。

(5) 結論

ご質問文にいう「上記に挙げたような例」は、nationalism というより、chauvinism や racism かも知れない。もっとも、それらも広義の愛国心の要素ではある。
つまり、愛国心は愛郷心に基礎を置きつつも、(よい意味でも悪い意味でも)大きく飛躍した、一筋縄ではいかない混合物である。(4)のように、変態的な愛国心まであるのだ。愛国心がピュアなものでないことには、ご質問者も気づいていることだろう。「あまり良い印象を持ちません」とおっしゃるのも無理はない。それでも、国民国家の時代が続いている以上、私たちはこの「愛国心」と付き合っていくほかない。
結局、「愛国心」や「愛郷心」をどう定義するかは、論者が愛国心をどう考えるかにかかっている。決まった定義があるわけではない。ここではオーウェルを紹介し、拙論も述べてみた。

なお、『国家の品格』はくだらない本で、読むに値しない。私は遅ればせながら買ってみて損した。数学者のくせに理屈がめちゃくちゃだ。昔、『若き数学者のアメリカ』を読み、みずみずしい文章に感動したことが思い出される。あの頃はよかった。藤原正彦はどうしちゃったんだ。
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すみません、肝心な事、忘れてました。


英英辞典を見る限りでは、Nationalismは、「独立運動」、「芸術分野などで、民話等の伝統を重視する運動」といった意味にも使われますが、それ以外は、Patriotismとほぼ同義です。実際に、Nationalismの項に、同義語としてPatriotismが載っています。ただ、Nationalismは、排外主義的などの否定的な意味に使われる事があるのに対し、Patriotismはそういうニュアンスがありません。ご興味があれば、↓あたりで調べてみて下さい。http://www.infoplease.com/

そのニュアンスの違いから、「自分はPatriotだが、あいつらはNationalistだ」という主張ならあるようです。PatriotismとNationalismの両方をキーにして、Googleなどで検索してみてください。
例えば、↓では、
http://www.dreamsmith.org/rants/patriotism.shtml
アメリカで国旗を燃やす事を禁止できるよう憲法を改正する事に賛成なのはNationalist、そのような改正に反対なのはPatriot。なぜなら、Nationalistが愛するのは国旗そのものだが、Patriotが愛するのは国旗に象徴される「表現の自由」というアメリカの理想だから。

↓では、
http://hughesforamerica.typepad.com/hughes_for_a …
(アメリカ軍のイラクでの活動に反対する立場の人が)「Patriotは、アメリカを愛する。Nationalistは、常に正しい行動をするアメリカを、他国の上に置く」と言っています。

他には、英国でのポンド導入に反対する人達の中で、「『自分達をNationalistと一緒にするな。Patriotである』と主張するのはもうやめよう。Nationalistと呼ばれようがなんだろうが、何をするかが肝心ではないか。」という意見があったのも面白かったです。

国旗を燃やす事について書いている上のWebも「ほとんどの時期、NationalismとPatriotismの区別はつき難い」と言っています。ですから、辞書には、はっきりと同義語として載っていますし、PatriotismとNationalismの両方を同じ単語に訳しても、特段問題は無いと思います。
「自分の主張は、Patriotismであって、Nationalismではない」という主張をもし政治家がしたとしたら、それは単に「自分の言っているのは良い『愛国心』だ」と主張しているだけと、受け取ればよいと思います。

また、英語のNationalism/Patriotismは、両方とも基本的には国家単位であるのに対し、日本語の「愛国心」・「愛郷心」は、対象が一致するとは限りませんから、国家愛=Nationalism、郷土愛=Patriotismと言う黄文雄の主張は、国家はNationですから、最初の方はいいとしても、後の方は、英語を日常的に使っている人達にとっての意味とはほとんど関係のない、彼自身の独創(こじつけ?)だと思います。

誰もが国単位の愛郷心を持っていて当然である、という考えに立つ人にとっては、よい愛国心=『愛郷心』(Patriotism)、悪い愛国心=『愛国心』(Nationalism)という言い方は存在しうるでしょうが、郷土と国土を常に等しいものと考えない限り、郷土愛=Patriotismとはいえません。
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この回答へのお礼

申し訳ございません、回答が遅れてしまいました。
詳細補足ありがとうございました。

学校で、愛国心について肯定か否定どちらかで意見を述べ、かつ愛国心とは何か自分の考えで定義化せよ、という小論文の授業があったので私の考えを一応という形で述べさせていただきました。

>黄文雄
その文献かも知れません。私も読んだことはないのですが、今度探してみようと思います。

そうですか、なんとなく曖昧だったナショナリストとパトリオットの違いが(意味的には曖昧とはいえ)はっきりしました。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/11 20:52

質問者の方が見た「愛国心と愛郷心は違う」と言った人の定義は、まずは横に置いて、単純に考えれば、愛国心=国を愛する心、愛郷心=郷土を愛する心、なので、対象とする地域が違います。

更に、郷土のイメージは人によって様々なので、どちらかというと「教えられるよりも、自然に生まれるもの」とは言えると思います。私の例で恐縮ですが、今、日本国外に住んでいるので、TVなどで日本の風景(海や山)を見ると、とても懐かしく思います。日本に住んでいた時とは全く違う感情です。ただ、2回目の海外生活なので、一旦日本に戻れば、「日本全体=郷土」という感覚が直ぐになくなるのもわかっています。

また、英国人が、自分達をBritishと考えるか、English(イングランド人)、Scottish(スコットランド人)、Welsh(ウェールズ人)等々と考えるかに関して、所得が高くなるほどBritishと考える比率が高くなる(大勢としては、真っ先にBritishと考える人は少ない)、また、対外危機(例えば戦争)の時は、Britishと考える比率が高くなる、という研究を、ずいぶん昔ですが読んだ記憶があります。

つまり、どこを「郷土」と思うか、より広い意味で言えば、どの共同体に所属すると自分で認識するかは、個々人が置かれている環境に大きな影響を受けるので、「愛郷心」では、愛国心のように、予めはっきりした対象範囲を明示できない、というのが最大の違いではないでしょうか?

で、質問者の方が見た「愛国心と愛郷心は違う」ですが、黄文雄という評論家が「日本人から奪われた国を愛する心」という本の中でそんな事は言っているようです。
http://blog.livedoor.jp/bakaholiemon/archives/50 …
↑を見る限りでは、この人は「愛国心は、国家が常に奨励しなければ維持できない」と言っているようですね。国家愛=Nationalism、郷土愛=Patriotismと言っているらしいので、その点は、他の方の回答にも似ています。ただ、別の書評(↓)を見る限りでは、この人の物事の考え方の単位は「国家」みたいです。
http://www.melma.com/backnumber_45206_1459648/
「他の国が、愛国心を奨励している以上、対抗上も日本も愛国心を奨励しなければならない」という考えなのでしょうかね?読んでないので知りません。
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欧米人とは白人のことを仰っていると思いますが、白人による有色人種差別の根拠は、白人は有色人種を動物とみなしているところがあるからです。



どういう事かと言うと、白人はもともと狩猟民族つまり肉食です。動物を食べなければなりません。しかし、動物に対しても人間は愛情を持ちえます。すると、肉食なのに動物を食べられないということが起こります。ですから、自分達の絶滅を防ぐため動物を殺し食べることの正当性や根拠が必要になります。そこで、キリスト教は人間と動物を厳格に分け、動物を神の恵みとしたのです。

そこに言う動物に我々有色人種も入っているのです。

ですから、例えばイギリスは紳士の国、キリスト教では隣人を愛せ、ということがありますが、キリスト教が国教であるイギリスはかつて世界中を植民地支配し世界中の人を奴隷として扱いました。日本も第二次世界大戦のとき良くないことをしたといわれますが、イギリスなどの白人の国は、日本とは桁違いに人を殺しています。しかし、罪を問われていません。勝てば官軍だからです。

と話しを戻すと、つまり、紳士とは白人同士の話しであり、また隣人とは白人のことでそこには有色人種はいません。

ですから、隣人を愛する紳士の国でありながら、世界中を植民地支配するという一見矛盾したことが成立するのです。

したがって、白人の有色人種差別と愛国心とは別次元の事だと思います。

そして、日本人が欧米人に恐怖感や劣等感を持っているのは、むしろ愛国心がないからだと思います。

自分の国に誇りを持てば、欧米のポチになることも、卑屈になることもないと思うからです。

また、誇りを持てば、日本の女性が白人男性とつるめばステイタスになると思ったり、相手が白人というだけでセックスすることもなくなると思います。

と、だいぶ下拙な例でしたが、愛国心がないことがいろいろな社会問題をむしろ生んでいると思えます。だから、安倍総理も国を良くするために提唱しているのでしょう。

まさか総理大臣が国を悪くするために言っているとは考えにくいですし。

とはいえ、マスコミの左翼報道、日教組による学校教育、GHQによる洗脳など、これでもかと親米反日思想が蔓延した戦後日本に生まれ育てば、愛国心への違和感、欧米への劣等感を持つのは、ある意味当然で仕方のないことだと思います。
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この回答へのお礼

申し訳ございません、回答が遅れてしまいました。
二回もの投稿ありがとうございます。

申し訳ございません。質問の仕方が悪かったですね。日本人については、“逆も然り”で“愛国心を持たない”日本人が欧米人に対して恐怖感を持つ、としたつもりでした。愛国心を持たないのに国に縛られる人種を私は日本人だと思っています。
そして有色人種についてですが、これはちょっと違うのではないかと思います。私たち日本人が何も全員黄色の肌をしていませんし、もしかしたら白人よりも肌が白いんじゃないか、という日本人もいます。ですが、それでもアジア諸国の人種の顔をしている、というだけで黄色人種とされます。
それは国家間による差別にはならないのでしょうか。
よろしければ回答のほうをお願いいたします。

お礼日時:2006/12/11 20:32

愛国心と愛郷心。


むしろ政治家がこれを意図的に混同させて使っているとおもいます。
たとえば愛国心を愛郷心に置き換えてもよいとするならば、
国を守るために米軍基地が必要だとしても、自分の郷土から基地を排斥するという主張のほうが筋が通っていることになります。
そこで愛郷心と愛国心が一体であるかのような妄想を植えつけようとしているのです。
私は国家の意思を統一する必要な場面があることから、愛国心も必要だと思っていますが、そのような妄想は容易に暴走をまねくため、国家との契約というかたちで意識し民主主義により監視するという意識を持つべきだと思います。
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この回答へのお礼

申し訳ございません、回答が遅れてしまいました。

そうですね。混同されて使われることによりその意味を曖昧化させられました。これからは愛国心等の単語が使われた際にはより深くその意味を追求していこうと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/11 20:39

No.2の方の意見に同意。


英語のNationalismとPatriotismの両方が、日本語で愛国心と訳されているところに、多くの日本人が勘違いする根拠があると思っています。

安倍さんのいう愛郷心、また穏健保守派が使う愛国心の意味はPatriotismで、共産党や社民党、さらには朝日新聞などの左翼マスコミが使う愛国心はNationalismの方です。

言うまでもなく、質問者の方が述べている他国人を差別・排斥する愛国心はNationalismの方であり、歴史的にこういうのが必要な時期もありますが(フランス革命期のフランスなど)、今の日本には必要ないと思います。

郷土を愛する延長上で国を愛し、ひいてはアジアを、そして世界を愛する心。
こういうPatriotismに基づいた愛国心が今は必要ではないかと、私は思います。
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この回答へのお礼

申し訳ございません、回答が遅れてしまいました。

要は愛国心も愛郷心も使い方しだいでその意味はまったく別のものになってしまうのですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/11 20:36

 


 愛国心はナショナリズム、愛郷心はパトリオティズムだと思います。
 
 でも、国を愛するということは人や郷土を愛する事と同じだと思います。
 例えば、ある人を愛したとします。その人は家族がいなければこの世にいません。そして、その人の人格には友達などの影響もあります。また、その人は故郷の自然などで情緒が養われているはずです。さらに、それらすべてに自国の影響があります。そこが日本ならその人やその人の家族・友達・自然に日本らしさがあるからです。
 つまり、人を愛するという事は、その人の家族・郷土・国を愛する事です。
 ここで言う国は国家機関の事ではなく、人・文化・郷土などをひっくるめた総称としての「国」です。なので、愛国心は国家に縛られる事ではありません。
 
 また、中国の人が日本人を戦犯扱いしている事と愛国心は関係ありません。それとは別に日本人を恨むように教育されているからで、それは政府の求心力を保つためです。それが「愛国教育」という名称だから紛らわしいのです。
 
 愛国心がないと他国の人への理解にむしろ欠けると思います。
 例えば、国旗に敬意を払う事を非難する人は、中国の人が反日デモのとき日の丸を燃やしても何も思わないと思います。つまり、国旗を敬う心がない人は中国の人がどれだけ怒っているのか分からないということです。
 また、例えば、友達を大事にしない人から友達になってくれと言われても胡散臭いと思います。それと同じで自国を愛さない人からあなたの国が好きですなどと言われても外国人の方は胡散臭いと感じると思います。
 つまり、ナショナルではない人はインターナショナルにはなれないと思います。
 
 それに、良い子に育てるには愛が必要なように、良い国にするには愛が必要な気がします。例えば、愛国心があればポイ捨ては減ると思います。

 ちなみに、愛国心への嫌悪感の原因は、戦後GHQによる「戦争有罪洗脳計画」というのを日本人が受けた事だと思います。
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単語の未分化が原因ですね。



「愛国心」には、大別すれば、他国や他国の人間との関係において自国を強調するような場合に使われる意味合いと、他国や他国の人間とは無関係にただ純粋に、自分の生まれ育った国や自然を愛する心、というような意味合いがあります。

前者は、時として一般国民や国際関係においてマイナスに働く場合も多々あることは、歴史が示すところです。


ベストセラーになった「国家の品格」の著者は、同書の中でこの点を指摘され、前者を愛国心、後者を「祖国愛」として使い分けようと提唱しておられます。

質問者さんが昔どこかで見られたという「愛国心と愛郷心は違う」という一文は、愛郷心=上で言うところの「祖国愛」という意味だったのではなかったのでしょうか?

「国家の品格」、もしまだお読みでなければおお薦めですよ^^
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この回答へのお礼

申し訳ございません、返答が遅れてしまいました。

そうですね。元々日本語自体がその曖昧さを美とする特徴を持った言語ですし、聞く=訊く、のように同じような単語があるのですから、愛国心と愛郷心の違いも意識するしないくらいで大差ないのでしょう。

国家の品格は未読なのでぜひ読ませていただきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/11 20:20

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