プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

先日、保育園でお遊戯会があり、ヘンゼルとグレーテルをやりました。
うちの子はグレーテル役でした。(グレーテルは5人いました)
同級生のお母さんと話す機会があり、その子は森の動物役だったようで
「なんで動物役に手を上げたの、グレーテルにすればよかったのに」といったんだって言っていました。
その子は「おばちゃん、今度やるときはグレーテルにするんだ」って私に言ってきました。
今回、保育園で鼓笛隊の楽器決めがありその子は指揮者になったようです。
やっぱり指揮者といえば一人しかいないし花形なんだろうな~。
去年の上級生がやっているのを見てうちの子が指揮者だったら
なんて考えていた自分を思い出しました。
やっぱり私は「なんで指揮者をやりたいって言わなかったの」って叱咤激励しながら育てるものかなと・・・。
今、私が「なんで○○しなかったの!」と言って育てれば親の期待を背に受けてがんばる子になるのかな?。
謙虚に育てるべきか、いまどきは私が!私が!で育てるべきか、一人目だけに悩みます・・・。

A 回答 (12件中1~10件)

三児の母です。


私も今でも悩みます。
三人とも鼓笛隊・発表会と役が決まるたびに悩みました。
どうしても発言力の強い親の子供、何人も預けている家の末の子が主役や指揮者になっていきます。
お姫様や白鳥は、意見が言える子供が優先されていきます。
特に悲惨なのが、我が家の真ん中の娘。
引っ込み思案に兄弟の真ん中ということでいい配役は自動的にきません。
灰色のねずみ、みにくいアヒルの子、クララのおばあさん役(ハイジの話で出番1分、セリフ2言)。
私も何度も
「やりたい」と自己主張しなさいと子供に教えようか。
「なんでうちの子は毎年毎年・・・」と担任に直訴しようか。
ジレンマに悩み続けてきました。
小学校に上がった今でもそうです。
我が家の子供たちはみんな主役はおろか、いつもコーラス隊、その他大勢、背景に立つ集団の中です。
でも、はたして「私が」というのが良いことなのでしょうか。
私は仕事で半分大人になりかけた問題のある子供たちに接する機会があるのですが、みな自己主張ばかりは一人前以上にできます。
でも、自分が何をしているのか、何をしなければならないのか、何も知りませんし、わかりません。
主張するのは楽ですが、他人が指揮者でも悔しいけど喜んでも上げれるそんな気持ちの方が大切ではないでしょうか。
私も娘に「なんで私は゛っかりいつも変な役ばかりなのかな」と聞かれます。
「主役は一人、あとはみな主役じゃないんだから、後の人はみなあなたと同じ気持ちなんだよ。」といいます。
主役や指揮者、目立つだけが幸せじゃありません。
「私」や「権利」ばかりを主張する高慢ちきな子供にならないための勉強ではないのかなと思います。
負け犬の遠吠えかもしれませんが・・・・。
参考に。
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子供がコレをやりたい!!と自分で思って立候補したからその役に決まった訳で親の意見と子供の意志は別物です。


親だったら自分の子供がやりたいと自ら立候補した役柄を陰ながらでも応援して欲しいです。
絶対に「何で○○にしなかったの~??」なんて言ってほしくありません。
そう言われたら子供だって「お母さんの言う通り○○じゃなきゃダメだったのかなぁ。。。」って思ってしまい自分の意見や意思を表すことをしなくなってしまいます。


>謙虚に育てるべきか、いまどきは私が!私が!で育てるべきか、一人目だけに悩みます・・・。

悩むも何もそういった性格に親がしようと思ってもなかなかできないと思いますよ?(^^;
生まれながらに持っている個性と生活環境、お友達の影響で変わってくると思います。
子供は親の所有物じゃないんで暖かく見守るだけでもいいと思います。

私も現在3歳の子供を育児中です。
お互いいろいろ悩む事もありますががんばっていきましょうね。
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いま、読んでいる本に書いてあったのですが、


ほめてやる気を起す「正の強化」と、
叱ってやる気を起す「負の強化」があるそうです。

例えば、テストで70点を取ったとき、
・正の強化では、「○○ちゃんなら、今度こそ70点以上取れるわよ。」
と、やる気をださせて、
結果良い点が取れたら思いっきり褒めてあげます。
すると、快感情が生まれて次回も頑張ります。

・負の強化では、「今度、70点以下だったら、お小遣いぬきです。」
と、叱ってやる気を出させます。
そして、点数が取れるとただ、叱らなくなります。
子供はホッとしますが、不快感情が生まれます。
すると、勉強そのものが嫌いになるそうです。

もし、今度、お子さんに主役をやらせたいのならば、
それを伝える方法を考えると良いでしょうね。
「何で、グレーテルでないの?」ではなく、
「森の動物の役、とっても良かったわよ。
でも、あなたなら、グレーテルの役も上手に出来ると思うわ。
今度、挑戦してみたら?」と、言うと良いかもしれません。

でも、主役がすべてだという考えは、とても危険だと思います。
世の中には、色々な役があり、みんなが主役をすれば大変ですよね。
どんな役にも意味があり、
自分の興味のあることを精一杯ですることを教えてあげて、
それができたら思いっきり褒めてあげる。
わたしなら、そうします。w
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謙虚に育てるべきか、積極的な子に育てるべきか…


どちらも一長一短で、どっちがいいかなんてないと思います。

ただ子供一人ひとり性格が違いますから、その子にあったように育てていけばいいのではないでしょうか。

ちなみに鼓笛の指揮者は、演奏の間中休むことなく思い指揮棒を振り続けなくてはなりません。
それでもやりたいと本人の強い意志があればいいですが、親が「主役だから」みたいな気持ちで薦めるのはどうなのでしょう。

私であれば、
「どうして動物役に手を上げたのか」
その理由を子供に聞いてみます。きっと感心するような回答を得られたのではないかな。

また逆に子供のほうが「どうして自分は動物なの?」と不満を持って聞いて来たら、「動物だって大事な役である」って言ってあげれるような親でいたいと、私自身は思っています。
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ご質問の答えとは異なりますが、kkk112さんも一人の親として、色々と子供に対して「こんな風になってほしい」と将来像を思い描いていると思います。

その思い描いていることを自分自身はできているのかを問いかけてみることが必要だと思います。あとはこんなような話がありますのでご参考に↓
・親に冷たくされて育った子は、他人に冷たくします。
・優しさを受けて育った子は、他人に優しくします。
・人と比べられて育った子は、すぐ他人を比べようとします。
・誉められて育った子は、自分に自信を持ちます。
親の人間性が良く、尊敬できる存在になれば、それを見て育った子供も自然に立派な大人に育つでしょう。kkk112さんが、こうやって一生懸命に子供のことを想い、相談をしているだけでも、人間性の良さを感じますので、お子さんも他人を思いやる優しい大人になると思います。
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連投すみません。


お礼に対して付け加えたい事があったので。

>どんな子になってほしいかのビジョンか・・・・
あまりないんですよね。謙虚でいてくれれば・・・。
私がそんなだからだめなんですかね。
娘の好きな言葉が「のんびり過ごす」です(笑)。


それって、ちゃんとビジョンがあるじゃありませんか^^

どんな子、というのは、勉強ができるとかスポーツが出来るとか、そういうのではなくて、質問者さんのように「謙虚で奢らない子」とか、娘さんが好きな「のんびり過ごす」=マイペースに自然体のままでいい、とか、そういうことも親のビジョンというか、願いなのだから、それでいいんだと思います。

確かに今の時代は競争、お受験、英才教育、学歴云々となんだかそんな時代になってきていますし、親としてはよそに遅れをとらないように、というのも最もだと思います。
ただ、

>私のこののんびりな考えは子供をだめにするのでは?と思ってしまって。
やはり現代は競争なのかと・・・

違うと思います。
子育てはのんびりくらいでベストですよ。
現代がたとえ競争でも、それでなくても社会や学校で嫌でも競争を強いられる今の時代、親まで子供の競争心をせかしてもあまりメリットがあるとは思えません。
子供を安心させ、癒させる事はあっても、駄目にすることなんてないと思います。
どっちかというと駄目にしちゃうのは子供に自分の期待や社会のレベルを押付けてしまうほうが、子供の気持ちをへしおってしまうのではないでしょうか。

私は質問者さんの子育て、いいと思います。
これからもっと色々なところで何かしら競争しなければならないこともでてくるかもしれないけど、それって親がどうこうして育つ力ではないかなと思います。
親は信じて見守ってあげることで子供は持てる力を発揮できるのじゃないかなと思います。
無理にやらせて競争心がそだっても、きっと本当の意味の頑張りにはなれないような気がします。

競争心よりも、子供さんのことを尊重する子育て、私は逆に今の現代に不足していると思います。
私自身も子育てしていて実行できないところもあるし、いつも子供を尊重してあげられること、このまま大事にしてほしいなと思います。

親が筋道たててあげないとだめなんてことはないですよ。
いうほど簡単でないことももちろんだけど、筋道は子供が自分で学んでこそだと思うので、私は今のままで十分だと思いますよ。
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まず大事なのは、そのお友達の親子をみて、そうしているから自分もそうしたほうがいいのか、というのにまず疑問を感じます。



貴女には貴女なりにお子さんにどんな子になってほしいかというビジョンはないのでしょうか?
「なんで指揮者をやりたいっていわなかったの?」と聞かなかったのかという前に、そもそも「おこさんが指揮者をやりたがっていたのか?」が抜けていませんでしょうか???

おこさんがもしやりたがっていたのなら「どうして手があげられなかったのか」を問う事はいいアドバイスにはなるかもしれません。
やりたかったけど他にもやりたい子がいて、そこまでしてやらなくてもいいから他の子に譲ろうと思った、なのか、恥ずかしくて立候補できなかった、なのかなど、原因を考えて本人が望むようなものに積極的に参加できるように手助けしてあげることはいいと思います。
ですが文章を読む限りだと

お友達のお子さんの親がそういっていた→自分も花形を子供がやっていたら嬉しい→どうしてやろうとしなかったのか

これだけのようにみえる部分が否めません。
まずお友達の親も、そういうエゴで子供にそうさせているのか、それともそうではないのかもわからない部分があるのですから、一概に子供が目立つからといって真似るのはいかがかと思います。
もしかしたらそこのおこさんがそういうことがやりたいけど手をあげられないから親はそういったのかもしれませんし、逆にただ押付けていただけなのかもしれません。

私自身性格上よくわかりますが、うちの息子はそういうタイプではなく私ににた引っ込み思案なところがあるので、そういうと多分いわれたとおりにやるかもしれないけどかなりの負担を強いると思います。
「主役、やりたいっていってみたらいいじゃない」とか、提案することはいいと思いますが「何で希望しなかったの」という押付けはやめたほうがいいと思います。
同じ花形に立候補してほしい、積極的になってほしい、というのでも、子供さんから選択肢をうばうのではなく、こんな選択肢だってあるんだから挑戦してみたら?というように選択肢を広げてあげるのがいいのではないでしょうか。
私は子供時代も今も、人前で目立つことや中心にたつことが1番苦手で、かなり苦痛なので、そういう気持ちを持つタイプの子だと、それもストレスになると思います。

まずはおこさんがどうしてそれを選んだのか、という考えを聞いてあげる事、どんな希望であってもそれをきちんと認めてあげることが大事だと思います。
今時よくあるただ子供の意思も関係なく華やかな世界にいれようと躍起になるステージママのようになりすぎてもどうかなあと思いますし。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
どんな子になってほしいかのビジョンか・・・・
あまりないんですよね。謙虚でいてくれれば・・・。
私がそんなだからだめなんですかね。
娘の好きな言葉が「のんびり過ごす」です(笑)。
実際、去年ひとつ上の子のお母さんに
「うちの子、その他大勢の鼓笛隊になったから帰りに文句言ったらずっと泣きながら帰ってきた」(指揮者にさせたかったらしい)
っていうのを聞いていてすごいママだな~と思い、
内心「なんだっていいのに・・・」と思ったのですが
今回、同級生のお母さんにもそのような感じで言われたので
私のこののんびりな考えは子供をだめにするのでは?と思ってしまって。
やはり現代は競争なのかと・・・。
さっき鼓笛隊のことを聞いてもいないのに「○○ちゃん指揮者なんだ」って言ってきたので
内心では自分もやりたかったのかと思ったのですが
たった今「指揮者やりたかったの?」と聞いたら
「う~ん、指揮者は難しそうだからやらなくていいかも(笑)」って言ってました。
私の願望も何もないのでそういうことなんだと思います。
いつも子供の意見を尊重しているのですがそんなことでは甘いんだろうか?
親が筋道をつけるものだろうか、日々悩みながら子育てしているんです。

お礼日時:2007/01/06 19:53

まずは、子供の希望が第一だと思いますね。


うちの娘が小さいときも良くそんなことがありました。でも、動物に手を上げた子供はその子供なりの理由があるはずです。なぜそこに手を上げたのかちゃんと理由を聞いてあげるべきなんじゃないかと思いますね。
でも、子供があとで、本当は○○がやりたかったなどと言い出したときは怒ります。きっとどちらか悩んで決めたはずだったら決めたことを最後まできちっとやるのが一番いいことだ!と言ってきました。
今のところうまいこと言っているように思えるのですがうちでは、小さいときから大人になったらなにになりたいかと言うことを真剣に話してきました。
とにかく自分が何をしたいか(これは幼稚園の子供でも持っている子は大勢いますよ)を聞いてあげて、「そうなるにはこれだけの勉強をしなければいけないけどできる?」という話もしました。その結果「できる」「やる!」と言う返事が返ってきたので、だったら、こうやれば自分にとっていいよ!とかこうすれば!と言う意見も出しやすくなっています。ただ、本人の意見もちゃんと聞いてやってのうえですけどね。
後は、同じことでも、何でできなかったのではなくて、これだけできたね!と言うほめて育てるプラス思考の育て方をするように努力しています。(ただし基本路線だけですけどね)
今のところその育て方で目標に向かってがんばっています。今後どうなるかはまだわかりませんが来年の大学受験が大きな山場となることは間違いなさそうです。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
もう大学受験のお子さんがおられるんですね。
子育ての先輩のお話が聞けてとても参考になります。
子供の希望が第一ですよね。
今回の動物の役の話もお母さんが「グレーテルをやればよかったのに」
の言葉の後でその娘さんから「今度はグレーテル」の言葉を聞いて
どうもお母さんの顔色伺っているように見えたので
その子は動物がやりたかっただけなんだろうなと思いました。
今回はお母さんの期待に答えたかったのかな・・・と思ったので・・・。
主役をやれなくて親が残念と思ってもそれを口に出してはいけないんじゃないかなと思ったんですよね。
私の考えが時代錯誤なのかなとちょっと不安になったもので・・・。
大学受験を前にして育て方の目標があるということは子育ては終わりがないということですかね。
娘はまだ5歳、大学受験になるまでにいろいろ悩んで親も子も成長するんでしょうね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/06 20:12

何を悩んでいるのかいまいちわかりません(?-?)


私は独身・子ナシ・学生です。
なので、わからないのかもしれませんが、私は「何で動物役に手を上げたの、グレーテルにすればよかったのに」という言葉がわかりません。
私は、保育園のとき、かさ地蔵(全部倍の数で役決めました)でおばあさんをやりましたが、母には何も言われませんでした。
私も特にやりたい役もなく、好き好んでおばあさん役になりましたし。

だって、そんなこと言ってどうするんですか?
お母さんの見栄の為に“グレーテル”をさせるんですか?
もしかしたら、その子は手を上げたけど、じゃんけんなどではずれてしまったかもしれないし、その子は動物役で満足していたかもしれません。
あなたのお子さんもそうですが、確かに指揮者だったらうれしいでしょうが、それをわざわざお子さんに言う必要はないと思います。
叱咤激励って言葉がそもそも当てはまらないような…
気になるから「なぜ指揮者に手をあげなかったの?」と聞くならわかりますが、同級生のお母さんのように、「なんで動物役に手をあげたの」って、主役以外は許さないみたいな言い方はよくないと思いますよ。
親の期待を背に受けてがんばる子を育ててどうしたいんですか?
まずは、脇役でもきちんと精一杯がんばり、最善を尽くす子を育てることだと思います。
芯の一本通った、自分がやるといったことは、どんなにイヤなことがあっても投げ出さない。
そういう子を育てるのが先決では?
もちろん仕事をしないとかいうのは、芯の通り方が間違っているので、許してはいけないですけど、親の理想ばかりを押し付けるのもよくないですよ。
鼓笛隊で、楽器をがんばってはいるけれど、どうしても無理! イヤだ! 投げちゃえ!とお子さんが放り出し始めたら、そういうときにこそ、“叱咤激励”だと思います。
「あなたが選んだことでしょう。最後まで遣り通さないと」て。

「なんで○○しなかったの!」じゃなくて、「△△楽しくできるといいね」じゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

>「何で動物役に手を上げたの、グレーテルにすればよかったのに」という言葉がわかりません。

ですが・・・きっとやっぱりやるなら主役でしょう・・という意味なんだと思います。

>それをわざわざお子さんに言う必要はないと思います。

私もそう思うんですよね。
多分その子も動物役で満足だったんじゃないかなと。
でも現代、うちはど田舎なのでお受験とかステージママとかそういったものとは無縁ですが
テレビとかで見るとやっぱりある程度筋道は親が見つけてやるものなのか?なんて考えちゃったりするんですよね。
かえるの子はかえる?だと自分に言い聞かせてはいるんですがやはり周りをみるとあせるというかなんというか・・・。
個人的には「なんだっていいんじゃない?」と思っているんですがこののんびりな考えが
子供に悪い影響を及ぼす?なんて日々考えてるんですよね。
「△△楽しくできるといいね」と周りに左右されることなく、またなんの迷いもなく言えるといいなと日々思っています。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/07 08:24

あはははは。

そのお友だちの子、可愛いですねー。
うちは今年年長と年少。

年長の子は、発表会でオズの魔法使いの中のライオン役でした。
前半一人、後半一人で、はじめは前半役でしたが。
本人なりに頑張ってやっていたのですが、一人目だけに、打たれ弱い子で練習中もうまく演技ができないと「もうできないよー(涙目)」と途中で後半役の子と変わってもらったそうです。

前半は「ボクは弱虫、勇気のないライオンなんだ」といった内容の台詞がある役ですから、それをお友だちに言われたのも辛かったのかもしれません。なんだかな。
後半は何とか頑張って弱音を吐かずに頑張っていましたね。
親の欲目としては前半の方が出番が多い気がするのですが、みんなが集まって一つの劇を構成するわけですから、うちの子のわがままに付き合って役を変わってくれた相手のお子さんに感謝です。

次男の方は、「おおきなかぶ」のカラス役。
正直「カラスが、かぶをぬくんかい?」とその役柄に親は半信半疑。
でも本人は、ふだん生活の中で目にしているカラスをすごくかっこいいと思っていて、「カラスって黒い羽がきれいねぇ(うっとり)」なのでカラス役には一番に手を挙げたようです。
幼稚園の発表会ですからちゃんと本人もカブを抜く役で大満足。

うちの子達は動物や大自然の番組もとても大好きですから、そういう子どもの言葉を聞くとかえって微笑ましく思います。

別の話になりますが、長男はクラスでも一番背も高くて、親としてはそれが内心、とても自慢。
ところが、運動会では組体操で当然一番下になります。他の子の足が背中に乗るのが一番辛い、膝が当たっていたいことがあるとこぼす長男には「でもさー。一番力持ちで身体が大きいから、一番下でみんなを支える役なんだね」といいましたら頑張ってました。

一番だけがえらいんじゃありませんから、「わたしが、わたしが」と押しのけて主役や目立つ役に抜擢されることをよしとして、周りの子には「私の役が一番かっこいいのよ」とわざわざ言ってまわる子も多いですね。正直、そういうお子さんが近くにいると子ども達が萎縮してしまって「ボクは一番じゃないの?」なんて辛そうな顔をされるのは辛いです。
むしろ、「ハィ!私、悪い魔女やる!」なんて子の方が演技力もありそうでカッコいいと私は思います。

指揮者じゃなくても、ピアノや鍵盤ハーモニカが上手に弾ける子は今後も発表会や合唱コンクールの演奏役で重宝されますし、トライアングルやその他の打楽器を上手に叩く子は、舞台で見ていてとても見栄えのする素敵な役ですね。ハンドベルを上手に鳴らせる子は協調性があると思います。ですから、考え方じゃないのかな。
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この回答へのお礼

お子さん、ほほえましいですね。思わず笑ってしまいました。
それにお遊戯会、いろんな展開があって面白いですよね。
うちはヘンゼルとグレーテルが森で「たらこ~♪たらこ~♪」と踊りだす
と聞いて「何ぞや?」と思ったものです。
今回のグレーテル役も鼓笛隊も本人にしてみたら主役だからとか脇役だからとかそんなの関係なく
やりたかったからというのが本当のところなんだと思います。
でもほかのお母さんたちの話を聞くと私が悠長に「自分が言いと思っていたらそれでいいんじゃない」
なんていっていてはだめなのか?と正直思ったもので・・・。
一番背が高くて内心とても自慢!・・いいですよね。うちも一番大きいです。娘ですが・・・(笑)。
>むしろ、「ハィ!私、悪い魔女やる!」なんて子の方が演技力もありそうでカッコいいと私は思います。
あはは、そういう考え方もあるか!。
私が!私が!的な話をよく聞いていたのでそういう考え方、思いもしませんでした。
今までは「うちの子、変わってるかも・・」って思っていたと思います。
今度からそう思うようにしよう!。
協調性がある、大事なことですよね。

お礼日時:2007/01/07 08:47

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