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去年の暮れ頃から中学入試の国語を甥に教えることになったのですが、
市販の問題集を見ると、「こんなことまで本文からはっきりと読み取れるのか?」というような解答解説に出会います。
また、五択問題などでも、どの選択肢にも明らかな間違いがあり選べないと思うことがあります。

なんとか解答解説が「正しい・解答要素として必要」といえる根拠を探して甥に説明しているのですが、
私自身が納得しきれていないため説得力に欠けているのか、腑に落ちないという顔をされてしまいます。

他の問題集、有名塾の実際の入試問題の解答解説なども見ましたが、
程度の差こそあれ、やはり私には怪しく感じられるところがあります。

私の読解力不足だとすると、これ以上私が教えることは甥のためにならないのではないかと思えてきました。

ケースバイケースでしょうし、私の国語力も分からない状態で答えられる質問ではないでしょうが、
中学入試・国語の指導経験がある方の、解答解説に対する考え方を教えていただければ幸いです。

A 回答 (8件)

一点だけ補足します。

私がある意味、感情的になって前回の解答を書いた理由です。

>読売新聞紙上において毎週1回、石原千秋氏(国語)と和田秀樹氏(算数)が交互に中学校入試対策のコラム記事を執筆されています。上記に近いことを石原氏もお書きですので、図書館などで探してお読みになってみてください。<

とありましたが、確かに石原千秋氏は「国語は道徳である」とその著書でも述べています。
しかし、そのスタンスは「本来、そうあるべきではないが、現実の中学受験がそうであるならば、それを前提に対策を立てざるを得ない」というものです。つまり「中学入試においては一般常識や倫理観を問うことも(暗黙の了解として)国語の出題の範疇だ」ということには批判的なのです。。

元来が批判的な方の意見をもってきて「石原氏も言っているから国語で道徳を問うてもいいのだ」というのは、あまりにも出題者としてのレベルが低すぎます。
本来であれば「石原氏は○○と批判するが、私の考えとして××の理由で国語で道徳的な内容を問うてもいいのだ」と書くのが筋だと思います。

それが出来ない方の意見にはどうしても耳を傾ける気にはなれません。

参考URL:http://beatnik1982.jugem.jp/?eid=52
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 基本的にあなたがおっしゃっていることは正しいと思います。

受験科目としての国語はまさに「国語とは一般常識や倫理観を問う教科ではないと思うのです。極端な例を挙げると、論説文などで筆者が「お金が一番大事」と主張していれば、その主張の枠組みの中で解答せざるを得ないと思うのです。
あくまでも筆者の主張を読み取るというのが国語の読解であり、筆者の主張に対して読み手個人はどう思うか、というのは本来国語で問うべきではないのではないでしょうか。」ということです。
>小説や文学的な随筆に関しては若干「鑑賞」に類する内容も問われることがあります。
などということはありえませんし、まして、
>中学入試においては一般常識や倫理観を問うことも(暗黙の了解として)国語の出題の範疇だと私は考えます。
と考えて出題をしているのならその学校のレベルは(国語に関しては)低いといわざるをえません。

「客観的」な採点基準がない、などという試験はおかしなものです。特に問題視されるべきは(暗黙の了解)という言葉です。受験者にわからない採点基準などあってはいけないのです。

 確かに、中学受験においては「道徳的に正しい」と思われる選択肢が正解になることは多いのですが、その理由は取り上げる文章が「子どもを虐待する母親や、陰湿ないじめをする同級生の心情が鍵になるような問題は、出題されない」という理由から来ています。勝手に道徳的に考えるからではありません。

 なお、選択肢についてですが、「五択問題などでも、どの選択肢にも明らかな間違いがあり選べない」とありますが、こうした場合は間違いの少ないもの、より主旨に近いもの、という観点から選んでいくしか方法がありません。(それでも、ひどいな、と思う問題がまだまだありますが)

参考URL:http://beatnik1982.jugem.jp/
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます。
kk1983さん、近日中に上の補足欄にて感想などを述べたいと思います。
とても勇気付けていただきました。ありがとうございます。

お礼日時:2007/06/24 10:39

 私立中高一貫校で国語の教員をしており、中学入試・高校入試は出題者の立場、大学入試は受験生を指導する立場の人間です。


中学、高校、大学、同じ国語の入学試験であっても、そこで見たい能力・資質は、受験生の発達段階に応じて微妙に異なります。中学入試においては、「受験生が、道徳的、倫理的に好ましい考え方・判断力を持っている」ことを前提にして読解力や表現力が試されている、と思っていただくのがよいでしょう。中学校にしてみれば、どれだけ国語の能力があっても、子どもらしい素直な正義感や、他人を思いやるやさしさや、苦しいときにもがんばる精神力、などを持っていない子には入学してほしくないのです。
 具体的にいえば、たとえば、子どもを虐待する母親や、陰湿ないじめをする同級生の心情が鍵になるような問題は、出題されないと考えていただいてほぼ間違いありません。
>国語とは一般常識や倫理観を問う教科ではないと思うのです。
 中学入試においては一般常識や倫理観を問うことも(暗黙の了解として)国語の出題の範疇だと私は考えます。
>あくまでも筆者の主張を読み取るというのが国語の読解であり、筆者の主張に対して読み手個人はどう思うか、というのは本来国語で問うべきではないのではないでしょうか。
 説明文に関してはそのとおりでしょうが、小説や文学的な随筆に関しては若干「鑑賞」に類する内容も問われることがあります。
 読売新聞紙上において毎週1回、石原千秋氏(国語)と和田秀樹氏(算数)が交互に中学校入試対策のコラム記事を執筆されています。上記に近いことを石原氏もお書きですので、図書館などで探してお読みになってみてください。
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この回答へのお礼

私立中高の国語教員のかたにご回答いただけるとは・・・ありがとうございます。

>子どもを虐待する母親や、陰湿ないじめをする同級生の心情が鍵になるような問題は、出題されない

というのは当然そうだろうと思うのですが、

>中学入試においては、「受験生が、道徳的、倫理的に好ましい考え方・判断力を持っている」
>ことを前提にして読解力や表現力が試されている、と思っていただくのがよいでしょう。
>中学入試においては一般常識や倫理観を問うことも(暗黙の了解として)国語の出題の範疇だと私は考えます。

というのには衝撃を受けました。
それは、「本文に明白な根拠がないときにでも、道徳的、倫理的に好ましい考え方を駆使して、
本文における根拠に乏しい部分を補完しながら答えをまとめる能力も試されている」
というようなことでしょうか?
先に書いた例で言うと「自分をかわいがってくれる母」の部分を補完できる能力も試されているということでしょうか?
そうだとしたら、私は大きな誤解をしていることになりますね。

私も、体験作文や自由作文、感想文形式の問題で
一般常識や倫理観、「子どもらしい素直な正義感や、他人を思いやるやさしさや、苦しいときにもがんばる精神力、など」
を持っているかが問われるのは、よくわかります。
そういう意味ではtosembowさんのお考えに近い部分もあると思うのですが、
こと「読解」において本文の記述以外のものが正解に影響しているとは・・・。

ここまで書いてtosembowさんのおっしゃっていることを自分が正しく理解しているのかどうか不安になってきました。
引き続きご教授いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

PS読売新聞、読んでみます。

お礼日時:2007/01/19 23:45

始めまして。

アドバイスとは違うのですが、
『国語とは一般常識や倫理観を問う教科ではないと思うのです。』
とのお言葉、本当にその通りだと思ったので投稿いたしました。

中学受験の設問作成者は、その校風に合った子供が欲しいと思って
作成している場合もあるので、物語文が思想調査のような形になって
しまう事もあるのでしょう。

実際、物語文の作者本人が受験問題の設問に答えてみた所、
見事に不正解ばかりだった、という文章を読みました。
最初の専門家の方が仰っているように、納得しきれない部分は無理に説明しようとせずに、
「この学校は、こういう考え方をする子を欲しがっているんじゃないかな」
といった形で、出題校の傾向に合わせる練習をした方が建設的かも知れません。
(こんな事を言ってしまうと、甥っ子さんにとってはショックかもしれませんが…
 受験と鑑賞は違うものだと、説明されてみてはいかがでしょうか)

本当の国語は手間がかかる上に採点者の力量も問われますから、
安易な出題に走ってしまうのも残念な現実の一つなのでしょう…。
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この回答へのお礼

そうですね。私個人の理想ばかり考えていても甥にも迷惑が掛かると思うので、
ご指摘のような指導も積極的に行いたいと思います。
ご回答の前半部についてはno.6さんへのお礼の中で述べることになるでしょうから割愛いたします。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/19 22:45

具体的にどのような設問に対するどのような解答解説について疑問を感じていらっしゃるのか判りませんので、あくまで一般論としての回答になります。



難関校と呼ばれるような有名中学の入試とそれに対する有名進学塾の回答解説に限って言えば、ある程度信用できます。
もちろん完璧ではないです。疑問を感じる点もあるにはありますが、それほど多くはありません。

判断に必要な情報がほとんどない上で、それでもムリに回答すれば、質問者様の読解力のほうを疑うべき、となります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
確かに難関校入試の解答には力を入れるはずですので信用度も高まるでしょうね。
難関校の問題は素晴らしいものが多く、解答解説も概ね納得できた記憶があります。
もしかしたら問題の質というのも関係しているのかもしれませんね。

お礼日時:2007/01/19 22:33

「解答に疑問」という質問ですが、こちらに言わせれば、「質問に疑問」と言いたいですね。

もっと具体的に例を挙げてこそ、回答する側も「問題がおかしい」とか、「この解答は間違いだ」言えるはずですから。
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この回答へのお礼

確かにそのとおりですね。
ただ、個々のケースに対して検討するには
本文と設問、解答すべてを掲載する必要があり困難なため
とりあえず皆さんの感想を聞きたかったのです。

有名校入試問題に対する有名塾(出版社)による解答などを
取り上げればいいのかもしれませんね。考えてみます。

お礼日時:2007/01/18 23:21

横レス失礼します。


No.1お礼欄の一部に反応してしまったので・・・
>たとえば解答が「自分をかわいがってくれる母が父に怒られるのはかわいそうだと思ったから」となっているのだが、
どこをどう読んでも「自分をかわいがってくれる母」の部分を読み取る根拠がない。
この場合、どこの「母」も子どもをかわいがるのは当たり前のことなので、
「(自分をかわいがってくれる)母」ということだと思います。
(「自分をかわいがってくれる」は連体修飾語)
「母が自分をかわいがってくれている」という根拠がどこにもない・・・
なんて言われたらちょっと寂しいな~。(母親の立場として)
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この回答へのお礼

こんにちは。もしかして中学受験のお子様をお持ちなのでしょうか?
3nkさんのご回答の意図とはズレるかと思いますが、不快でなければお付き合いください。

>どこの「母」も子どもをかわいがるのは当たり前のこと
私も全く同感です。ただし、これが国語の読み取りについても言えることかというと疑問を感じます。

「(一般的に)母親というのはそういうもの」というだけで答えの要素として求められているのだとしたら、
実生活で母親から愛情を受けていないと感じている子どもは、「母親というのはそういうもの」という感覚を持っていないわけですから、
当然「自分をかわいがってくれる」の部分が書けず満点を取れなくなります。
また、「母親というのはそういうもの」でしょという観点で指導してしまったら、子どもが国語に対する誤解をしてしまいそうで怖いのです。

国語とは一般常識や倫理観を問う教科ではないと思うのです。
極端な例を挙げると、論説文などで筆者が「お金が一番大事」と主張していれば、その主張の枠組みの中で解答せざるを得ないと思うのです。
あくまでも筆者の主張を読み取るというのが国語の読解であり、筆者の主張に対して読み手個人はどう思うか、
というのは本来国語で問うべきではないのではないでしょうか。
(とはいえ近年の入試では増えていますね。単に倫理観を問うだけでなく、論述能力を問う採点基準であることを願います)

ちょっと話がそれましたが、「一般的にそういうもの」という考えだけでは正解にたどり着けない場合もあるでしょうし、
この考えを強く持ちすぎると、非道徳的な(それでいて人間の本質を突いているような)物語には太刀打ちできなくなってしまいそうな気がするのです。

3nkさんはただ単に「自分をかわいがってくれる母」という例に対しての反応であったと思うのですが、
私の疑問の核心を突くご指摘でしたので、話を膨らませてしまいました。
決して批判するつもりはないのですが、攻撃的な調子になってしまってごめんなさい。
もしよろしければまたご意見をお聞かせください。

お礼日時:2007/01/18 19:03

大学受験の国語を塾で指導することのある者です。


確かにおっしゃることが多々あります。
解釈によっては複数の選択肢があっている(あるいは間違っている)と考えられる場合です。特に私大にはその傾向が強いと言えます。
一口で言うのは難しいですが、受験国語において必要なのは回答をする際に出題者の意図に合わせるということじゃないでしょうか。その点市販の教材では難しいかもしれませんが、私立中学や高校、私大では過去問題を何回もやると正答率が上がることが多々あります。これは数をこなすことでその学校の問題製作者の意図に従った思考ができているということです。
問題を解くのは鑑賞とは違いますから、傾向を頭に入れながら客観的な読み方をするというのが基本だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます。
出題者の意図をというアドバイス、参考にさせていただきます。
確かに過去問だと出題者の意図(の傾向)を汲み取るという視点で考えられる分、やり易くなるかもしれませんね。


この場をお借りして質問の補足をいたします。
「本文からはっきりと読み取れない云々」というのは、

たとえば解答が「自分をかわいがってくれる母が父に怒られるのはかわいそうだと思ったから」となっているのだが、
どこをどう読んでも「自分をかわいがってくれる母」の部分を読み取る根拠がない。
あるいは、ある場面で急に登場して去っていく(心情を読み取るための発言や行動の描写がないに等しい)人物の気持ちを問うている。

などのことです。(二つ目の例は解答解説というより問題が悪いのでしょうが。)

お礼日時:2007/01/18 08:22

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