【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

先日、ラジオのニュースで今季の冬、春の南極での調査捕鯨は、船のくじらをさばく施設の故障のため中止し、400頭取る予定を取りやめ帰国する、と言っていました。
夏にはべつの海域で調査捕鯨を実施する、とのことでしたが、くじらの生態を調査するのに400頭も必要なのか?と感じました。
これは調査捕鯨という名目で食用として取っているのでしょうか?
私はもう35歳になりますが、日本の子供に調査捕鯨とは一体何なのか?、ときちんと説明できる自信がありません。同様にどこの繁華街にもあるパチンコ屋や景品交換所もそうなのですが。論理的に説明出来ないものは本当に困ります!!
調査捕鯨とは、「鯨を取って生活状況や種類別の生態状況、及びに鯨の肉の商業的な活用」のためと認識していいのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

>やはり鯨というのは体も大きいし、神秘的な感じもしますし


世にも珍しい体積主義者なんですかね。捕鯨反対派からとは言えこんな意見は初耳です。
つまり質問者さんの頭の中では小型犬10匹と大型犬10匹は等価ではないんですかね?? 
力士が1人殺された場合はガリガリの人が4人殺されたぐらいのショックを受けるとそういう感覚なんでしょうか。
あまりにも理解できません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>捕鯨反対派からとはいえ
捕鯨反対とか、賛成とか、多くの日本人そこまで深く考えていないと思いますよ。自分の場合、たまたまニュースで400頭捕る予定が今回中止になった、というのを聞き感心をもったものですから。ただ、戦争参加の経験のある(職業軍人でした)父からは、時々日本人じゃない、と言われてましたが。
>世にも珍しい体積主義者
体積主義者かどうかはともかく、水族館では大きな動物、とどなどはすごいなーと見入ってしまうこともありますね。でも皆様の回答を見てもしとどなどを殺して色々と活用する文化があったとしたら(エスキモーなど)、それは尊重すべきと理解することが出来ました。

お礼日時:2007/03/06 20:45

> くじらの生態を調査するのに400頭も必要なのか?と感じました。



 この疑問こそまさに、クジラをなにか聖なるものと捉えている証拠です。
もしイワシの生態を調査するのにイワシを400匹( たとえ4万匹でも )
獲ったとして、「 そんなに必要かな? 」とは感じはないはずです。

> 自然の摂理である程度は許容するのも必要ではないかと。

 人間はもはや、自然の摂理に介入しまくっていますが、決して壊している
わけではありません。なぜなら、その人間の存在も含めて自然の摂理だから
です。自然のあるがままにというのはひとつの考え方ですが、そうであれば、
絶滅危機に瀕している動植物を保護する必要も一切なくなります。なかには
人間とは関係なく、環境の変化で絶滅しそうな生き物もたくさんいます。

 欧米はその昔、クジラを獲りまくっては油だけを搾り取り、残りはすべて
ゴミとして海に捨てていました。南極ではペンギンを煮立てて油を取ってい
ました。いまでも南極大陸にはペンギンを煮た巨大な釜が放置されています。
このような蛮行で滅んだ生物はいくらでもいます。

 いっぽう、日本は海洋国家で、昔から海の生き物と共生していました。
豊漁だからといって獲りすぎず、獲った鯨は骨の一本まで活用していま
した。捕鯨文化とは、そういった生態系と人間の関わりまでをも含んで
いるのです。それゆえ日本の捕鯨文化を否定することは、鯨を大事にす
ることの否定であり、鯨を油田代わりにしか考えていなかった欧米文化
の肯定になります。

 私の知る限り、欧米国家が「 我々は昔、鯨にひどいことをした。鯨を
乱獲したため、現在の状況に繋がった 」などと反省しているのを聞いた
ことがありません。彼らは鯨油が不要になったから獲らなくなっただけ
です。それなのにいま、自分たちの文化に鯨肉を食べる文化がないから、
様々な思惑をベースに日本に対して抗議しているのです。

※鯨保護を主張する団体の資金は、食肉業者から出ているという
 噂もあります。鯨肉が広まれば食肉の需要が減るからです。

 日本では江戸時代まで、四足の動物を食べるのはタブーとされていま
した。そのうち文明開化で豚や牛も食べるようになりましたが、明治の
開国期には「 南蛮人は肉を喰う! 」と驚かれていたんですよ。だからと
いって日本人は、南蛮人を差別したり、攻撃したりはしませんでした。

 異文化を許容するか、それとも自分の文化にないものを真っ向から
否定するのか。捕鯨問題は文化のあり方を試されているのです。これが
昔の弱腰政府なら調査捕鯨を認めなかったかもしれません。世界的に
捕鯨に対し理解が深まっている現実が追い風になって、このような
調査捕鯨ができるのです。それをご理解ください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。人の違いを受け入れる、大切なことだと思います。
>自分の文化にないものを真っ向から否定する
皆様の回答を見て、日をおいて考えて、日本では鯨をとって活用するというのは他の魚介類と同様、古くからの文化だった、ということがわかった気がします。
>世界的に捕鯨に対し理解が深まっている現実
日本が地道に他国に対し理解してもらえるよう努力しているということですね、捕鯨に限らず色々なことでお互いの理解を深めて協力、信頼関係を深めていこう、ということかな?、と思いました。

お礼日時:2007/03/06 20:25

こんにちは。



調査捕鯨に対するあなたの認識は、大方正しいと思いますが、後半部分の「鯨の肉の商業的な活用」のためと・・」という部分が、微妙に違っています。商業が先にたっているわけではありません。

NO.2のかたもおっしゃっているように、IWCの規約で調査で捕獲した鯨は、完全に利用しなければならないとなっていますので、そうしているに過ぎません。また、南氷洋に捕鯨に出るということは莫大な費用がかかるそうですので、その費用に当てているそうです。

あなたは、感情的に捕鯨には反対の立場をとっておられるようですが、欧米の環境団体の見事なプロパガンダにはまった結果だといえないでしょうか。その国固有の食文化を否定することは許されるべきではありません。

IWC日本代表代理(元?現在もかも知れません)の小松正之氏が書かれた「クジラは食べていい!」などの書をご一読なさることをお勧めいたします。
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この回答へのお礼

返答遅くなりまして申し訳ございません。
>その国固有の食文化を否定することは許されるべきではありません
・・そうですね、んー、日本に複数捕鯨をしている漁港があるとは、今回捕鯨関係のホームページを紹介していただくまで知りませんでした。
紹介していただいた本も読ましていただきたいと思います、どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/03/06 20:08

調査捕鯨の統計学的な見地からの回答は#3さんがされているので、僕は違う切り口からいこうと思います。



『調査捕鯨という名目で食用』という事はまずあり得ないと思いました。消費者感情を考えれば明白だと思います。誰がわざわざ”調査用”の食肉を食べたいと思うでしょうか?単に鯨の肉が調査で入ってくるから食べているに過ぎないと思います。『調査』を公にして『食用』に転ずるっていうのは商業的にあり得ない発想です。
『食用という名目で調査』ならあり得るかもしれませんがね。

調査捕鯨は調査以外の何者でもないと思いますよ。これがマッコウクジラのような油脂資源やその他の貴重な資源が豊富なクジラだったのなら、『ホントは○○で儲けてるんじゃないだろうか?』などと勘ぐる事も出来るだろうけど、ミンククジラは肉かヒゲぐらいしかないですよね。それか骨ぐらいかな?好事家に需要があるのかもしれない。でもそれだけですよね。何千頭と獲るのならまた話は違ってきますが、せいぜい400頭でしょ?クジラ族の生態調査ぐらいしか可能性はないです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。私も皆様の回答や参考URLをみて『調査捕鯨という名目で食用』というのはない、と思いました。
ただ、捕鯨協会や鯨類研究所のホームページをみて、目的のひとつとして将来の商業的な捕獲も考えているのは確かだとも思いました。

あとは僕にはやはり感情的に、あの大きくてユーモラスなくじらを・・、という部分があるのだと思います。小さい頃から食べ慣れてれば違ったのかも、という気もしますが。

せっかく捕ったクジラだから・・とくじら料理店や、小売をするのもわかります、食べ物は好きなので僕も機会があったらおそらく食べると思います。思う、思うばかりですみません、どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/03/04 09:56

>人間が自然の生態系をいじってしまってよいのだろうか?


 逆に言えば鯨の増えすぎにより、全世界のイワシの量が減っています
 じゃ・イワシは絶滅してもいいんか・・・という話になりませんか?

>、人口の多い地域に生活する私としては、どうして違う仕事を探さないのだろう?
 これば職業の保護ではないのです。産業の保護です。
 例えば、もし全世界に鯨が増えすぎても、じゃあ鯨を捕獲・食料にする文化が途絶えてしまったら・・・・・。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>じゃ・イワシは絶滅してもいいんか
確かにおっしゃるとおりだと、でも自然の摂理である程度は許容するのも必要ではないかと。

>鯨を捕獲・食料にする文化が途絶えてしまったら
・・・イワシが増えすぎる(生態系がかわる、もしかしたら悪い方に)、産業・文化の保護ができない、などですか?・・教養のない僕には難しいかもしれないです。ただ、僕も含め、職業、職種をかえもがいてる人はたくさんいると思います。精肉業者や生き物(家畜)を育てている方は大変な業種だと思いますが・・。
もっとよく考えてみたいと思います。

お礼日時:2007/03/04 09:43

訂正します。



#1 のリンクではなく、 #2 さんの紹介していた日本捕鯨協会でした。

参考URL:http://www.whaling.jp/
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この回答へのお礼

そうでした、ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/04 09:26

#1 です。



#2 さんへのお礼の

>>ただ、その調査が機材の都合で今回出来ない、そのことがニュースになるということが、捕鯨ということが微妙な問題をはらんでるのかな?、とあらためて感じました

を見て、ふと思ったので再度、その点について書きます。

今回、機材の都合で出来ないことのそもそもの発端は、
アメリカの環境団体の日本の捕鯨船への攻撃なのです。

http://www.whaling.jp/news/070213ns.html

上記リンクにありますがシーシェパードの乗組員が海中に落ち、攻撃しておきながら「救助活動に参加してほしい」と連絡があり、日新丸は救助活動を行ったのです。

http://www.whaling.jp/news/070219m.html

その後、日新丸の中で火災が発生し(シーシェパードが投げた発煙筒などが発火したとは報道されていないようです)、それで自力航行が難しくなったと。この時点でシーシェパードは救援を申し出たが、日新丸側は「彼らはテロリスト」との認識でそれをことわり、自力航行できるようになったと。

今回はこのような事が起こり、ずいぶん報道されたので「出来なくなった」ということも報道されたのでしょう。

環境保護団体からの攻撃は、以前からもあったようで #1 のリンクの団体では、抗議の署名を集めていました。

この回答への補足

今回なくなった方もいらっしゃるのですね。知りませんでした。

補足日時:2007/03/04 10:01
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。捕鯨協会のURL見させていただきましたが、毎年恒例で反捕鯨団体からの攻撃があるようですね。以前からテレビで攻撃があるのは知ってましたが、恒例になってるとは思いませんでした。
ただ、driverII様のご指摘のように、船上火災と攻撃行為の関係は報道されてませんね。これから究明していくということなんでしょう。
液体の刺激物を投げ込んだり、スクリューに縄を投げたり、発炎筒を投げ込んだり、かなりやりすぎだと思います、それにヘリコプターまで持っていたりと、余程のお金持ちがいるのか、多額の寄付をもらっているんですね。
同じ捕鯨協会のホームページで、今年2月にヤフーでのアンケートで9割が商業捕鯨賛成とのことでした、僕には信じられません。

お礼日時:2007/03/04 09:25

一昔前は、ヒゲクジラはオキアミなどのプランクトンしか食べない、とされてきましたが


胃内容物調査の結果、口に入る物なら何でも飲み込んでいることが分かってきました。

>例えば像などでも調査目的で数十頭、数百頭捕獲し殺す、というのは感情的にどうなのか?

感情的というのなら、可愛いウシちゃんやブタちゃんを殺してその肉を切り刻んで食らうというのはいかがなものかという水掛け論になりますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。胃の内容物をチェックすることでそういうことがわかるのですね、でも、テレビでくじらの映像を見ると大きな口を開けて獲物(微小生物や、大きなものの場合イワシなどの小魚だったような・・)の群れに飛び込んでいくって感じで、多少違うものがいても一緒に飲み込んでそうでした、調べなくてもわかるような・・。

>感情的
確かに、豚とか牛は大好物で毎日何かしらの食材として食べてますね。
水掛け論ですよね、でも・・小学生のとき、給食や家で時々鯨の肉の焼いて味付けしたものを食べましたがかたいし、肉自体のうまみも殆んど感じなかったです、好んでたべるかなー、ってくらいですか。
それに、ウシちゃんやブタちゃんは、家畜ってことで養殖してるものを食べてるので、多少ですが、心情的にも有利かな、って思います。
でも、本当に水掛け論ですね、すみません。

お礼日時:2007/03/04 08:41

>くじらの生態を調査するのに400頭も必要なのか?


 もう少し少なくても大丈夫だとは思いますが・・400頭なら許容範囲内だと思います。

 それにくじらは増えすぎて逆に生態系がくずれかかっているのです。
個人的に商用も許可して欲しい所です。

一般的に鯨は少ないと・・・誤解されていますが
 確かにマッコウクジラやシロナガスクジラは絶滅の危機にあります。
しかし調査捕鯨対象は「ミンククジラ」です。
 この種は1950年代~60年代の捕鯨全盛期には、小型で素早く泳ぐミンククジラは効率が悪いと見向きもされなかったのです。
 その為、数が多い上に、保護されるという異常な環境の元・・今では増えすぎて困っているのです。
 減少した他種の隙間をうめて増えたと「海のゴキブリ」呼ばわりされることもある種です

 鯨は生態系の頂点に居る為、逆にイワシなどの数が減り生態系が狂う恐れがあるのに・・・『ミンククジラ』を逆に保護する意味が見出せません
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。おっしゃることはよくわかりました。
ただ、私が教養不足なのだと思いますが、人間が自然の生態系をいじってしまってよいのだろうか?という気もしてしまいます。
自分が鯨ならどんなに悔しいだろう、そんな感情的なことも考え投稿してしまった気がします。
他の回答者から紹介していただいたURLより、捕鯨協会のQ&Aを読みますと、日本が捕鯨調査をする理由のひとつは捕鯨の文化を守るというのもあるみたいで、人口の多い地域に生活する私としては、どうして違う仕事を探さないのだろう?、という勝手な疑問も頭によぎってしまうのですが・・、不純ですよね・・。
これから、ミンククジラをネットで見てみます。どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/03/03 23:54

統計学的な常識から言えば、サンプルは最低で300件程度というのが母集団をそれなりの信頼度で推定するのに必要な基準になります。

ただこれはどのような調査をするのかというところで変わりますし、絶対的な基準ではないですが。

単にその辺の数頭を獲るだけでは、たまたまエサなり、年齢なりが異常にに偏っていたということは多分にありうるということは理解できますよね? だからといって母集団の確かな推定をするには母集団全部を獲るしかないというのも無茶な理屈というのも理解できますよね?
というところで、ある程度の信頼度があって、且つコストもそれほどかからないラインとして400頭という目標数字が出たと思われます。
この場合の信頼度とは、例えば500頭では95%で500万頭では97%とかそういう感じになる数字のことです。つまり499万9,500頭をとっても2%しか信頼度があがらないなら500頭で十分じゃんという思考をするのが統計学的な見解です。で500頭と400頭ではとか400頭と300頭ではとか比較した上で妥当なところに落ち着いた数字かと思われます。400という値はそんな非常識的な数字でもないです。というか至極常識的な数字かと。

この辺の最低基準の話については統計学的の基礎の本を読めば大体解説されていますので、その辺を熟読されてください。

この回答への補足

×像→○象でした、すみません。

補足日時:2007/03/04 09:31
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この回答へのお礼

統計的なことは理解できました、ありがとうございます。ただ、考えると、やはり鯨というのは体も大きいし、神秘的な感じもしますし、例えば像などでも調査目的で数十頭、数百頭捕獲し殺す、というのは感情的にどうなのか?とそれと捕鯨は近い感じもしてしまうもので・・(像はおそらく絶対数が少ないと思いますが・・)。

お礼日時:2007/03/03 23:38

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