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自殺しようとしている人を止めなければ、自殺幇助罪に問われる、と聞いたことがあります。
あるいは、掲示板で自殺予告した人の発信者警察が特定して、実際に書き込みした人と接触することがあるとも聞きます。

よくわからないのは、自殺願望を持つ人の周囲に「自殺を止めなくてはならない」という法的義務が発生する(かのように見える)ことです。

この法的根拠は一体何で、それはどういう考え方に基づくのでしょうか?

自殺幇助が罪かどうか、あるいは遡って自殺そのものが罪かどうかは、
価値観の領域に踏み込む問題と思います。
この国がそれを罪と規定するのなら、その許になっている考え方/価値観は
何なのだろう?
「自殺=罪」はキリスト教と思いますが、日本はキリスト教ではない。
とすると????

「自分の身体は自分のものでないのだから自殺する人を
止めないといかんよ」とかいった話ではなく、
純粋に法論理の観点から、回答いただければと思います。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

まず、自殺幇助罪(刑法202条)の客体(被害者)となるのは、自殺の意味を理解できると共に自由な意思決定ができる能力を有することが必要なので、幼児や心神喪失者は本罪の客体にはなりません。

すなわち、自殺とは自由な意思決定に基づいて、自己の生命を絶つことであります。判例では、意思能力を欠く精神病者に縊首の方法を教えて死に至らせた事例に関して、殺人罪の成立を認めたものがあります。

次に、自殺幇助罪に該当する行為とは、すでに自殺を決意し実行しようとする者に、自殺の遂行を容易にする物理的もしくは精神的な援助を与えることで、例えば、自殺用具を貸与したり、自殺の方法を教えたり、自殺の決意自体を強く支持したりする場合です。判例では、合意に基づく心中で片方が生き残った場合に、本罪が成立するとしたものがあります。

このように自殺幇助罪は、何かの行為に出るという「作為犯」によって構成されると考えるのが一般的です。
自殺行為を傍観した者に対して本罪が問えるとすれば、それを止める行為に出なかったという「自殺幇助の不作為犯」の成否が問題になります。この不作為犯が認められるためには、御指摘のように、その者に自殺を止める行為に出るべき「作為義務」が存在することが前提になります。
この作為義務は、あくまで法律上のものでなければならず、倫理上・道徳上のものにとどまるものではありません。つまり、作為義務があるとしても、それは何人に対しても平等にあるのではなく、本人との関係で義務を負う対象者はごく限定されるのです。
そして、この作為義務の法的根拠には、一般に以下のような場合が考えられます。

(1)法令の規定に基づく場合
例えば、夫婦の扶助義務(民法752条)、親権者の子に対する監護義務(民法820条)
(2)事務管理等の法律行為に基づく場合
例えば、契約によって幼児の養育を引き受けた者には、食物を与える等して養育すべき義務が生じ、事務管理によって病人を自宅に引き取った場合には、その生存に必要な保護をする義務が生じます。
(3)慣習または条理に基づく場合(信義則や公序良俗によって発生する義務)
例えば、雇い主は雇い人が病気にかかった時は、監護者の地位に基づいてこれを保護すべき義務を負います。

上記の作為義務の要件を自殺幇助罪に当てはめると、前述のように、幼児等は意思・判断能力が未発達なので本罪の客体(被害者)にはなりません。病人の中で精神病者等も同様です。これらの者について自殺に類似した行為があった場合は、当然にそれを止める義務が生じますが、その不作為には自殺幇助罪ではなく、別罪が適用されるでしょう。
そうなると、夫婦間等では自殺引止めの義務が肯定されるようにも思われます。
また、病人を監護する立場にある者は、その病人が苦痛から逃れるために自殺行為に出た場合は、引き止める義務が生じるようにも思われます。
ただし、これらについて不作為があったとしても、個々の事情によっては、可罰性を帯びない場合も多いでしょう。

>自殺しようとしている人を止めなければ、自殺幇助罪に問われる
当方は、この事例の典拠が不明なので、以上は推測による回答になりました。

なお、警察がインターネットの自殺予告の発信先を捜すのは、法的根拠以前に人命救助に基づく処置でしょう。もしそれが本当なら、例えば、屋上から飛び降り自殺をしようとする人を説得するのと同じように、警察が対処するのは当然ですから。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
「傍観者→幇助罪」のネタもとは不確かで、推測でたくさん書かせてしまって申し訳ありません。

「警察から、自殺予告の発信先の開示要求が合った場合、プロバイダが応じる」の方は確実です。これについては、法的根拠がなければありえないことじゃないかと。

仰るように”人命救助”という御旗があれば、多少のプライバシー侵害や行動を制限することなどは認められるのでしょうね。

ぼくとしては、その「人命救助が何にもまして優先する」ということの根拠になっているものを、もう少しはっきり知りたかったのですが、もともと日本は”あいまいな感覚”を根拠にするお国柄でしょうし「キリスト教じゃなくて、これ!」と明示できる何か、もありそうにないですよね。

いろいろ自分でも調べてみます。

補足日時:2007/03/19 14:24
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>自殺しようとしている人を止めなければ、自殺幇助罪に問われる、と聞いたことがあります。



誰に聞いたのか知りませんが、そんなことはありません。
「自殺しようとしている人を止める法律上の義務のある人が」止めなければ
自殺幇助罪に問われるでしょうけど…

>あるいは、掲示板で自殺予告した人の発信者警察が特定して、
>実際に書き込みした人と接触することがあるとも聞きます。

それも信憑性のある情報ですか?
…あってもおかしくはないけど、めったにないような気がする…

>自殺願望を持つ人の周囲に「自殺を止めなくてはならない」という法的義務が発生する(かのように見える)ことです。

自殺願望を持つ人が身近にいるというだけで止める法的義務が発生することはありませんから
ガセと言っていいでしょう。

ただ、一定の場合には
「止める(法律上の)義務があるのにそれをしなかった」と
評価される場合はあるかもしれません。
しかし、その場合でも、法的義務は「あらかじめある」ことが前提です。
…たとえば自殺しようとしている子を目の前にした親とか、警察官とか…

>自殺幇助が罪かどうか、あるいは遡って自殺そのものが罪かどうかは、
>価値観の領域に踏み込む問題と思います。

そう、そして「自殺を助けるようなことをするのは罪だ」というのが
立法者の(ということは、おそらく日本人多数派の)価値観でしょう。

>粋に法論理の観点から、回答いただければと思います。

法論理と言ってみても
「どんな行為が刑罰を課するほどの罪深い行為か」の説明は、
結局のところ価値観に行き着きます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そもそもこの質問は、
前にあった「自殺しようとした女性を止めようとした警察官が殉死」という事件報道を見て、感じた違和感に基づいています。
そのとき、とあるブログで、件の「自殺する人を止めなければ幇助罪」という意味合いの文を見つけたもので、その中身については裏をとっていません。

また、警察が自殺書き込みの発信者を特定するというのは、裏が撮れています。これはプロバイダと警察の間で2004年あたりに協定が作られ、最近その活動内容が報告された記事が出ていたので、確実です。

ぼく個人としては、「自殺する人なんてほっとけばいいじゃないか」というスタンスですし、こないだの警察官に「助けられた」女性は非常につらいだろうな、なんて考えたりします。警官の殉死というとキレイですが、「本人がほしくもない生を自分の命と引き替えでで押しつけた」という見方もあると思うし。

法律に関しては、そう合理的なものでもないらしい、と思いました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/19 14:23

>自殺しようとしている人を止めなければ、自殺幇助罪に問われる



これ、間違いだと思います。
自殺幇助は、 読んでそのまま、自殺に力を貸すことですから、
「それは、辛いなぁ~、自殺した方がいいんじゃない?」
なんてことでも言わないかぎり、幇助にはならないはずです。



>自殺幇助が罪かどうか、あるいは遡って自殺そのものが罪かどうかは、
>価値観の領域に踏み込む問題と思います。


幇助の罪は上記の通りです。自殺を援助しているわけなので、罪になります。


次に自殺そのものが罪かどうかですが、


違法だけど、責任はないんじゃない?だから、刑法犯にはならないよ。

というものです。


構成要件に該当する(刑法の罪に当てはまる)けども、
違法性阻却 やら 責任阻却 やらで犯罪にはならないって類のものです。




私は、自殺否定論なんて持ち合わせておりません。
自己の生命の選択権は本人に与えてあげるべきだと思いますので、
基本的に、賛成もしないし、反対もしない方針です。
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