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文学で、反自然主義とは写実主義のことですか?

A 回答 (2件)

要するに自然主義のアンチはすべて反自然主義です。

それ自体で自立し、確立している理論ではなく、さまざまな方向からのアンチがある幅の広い概念です。

自然主義の「自然」というのは、自然科学の自然です。科学の時代といわれる19世紀は、遺伝や進化、実験医学といった新概念が一世を風靡していました。その自然科学の理論にもとづいて、人間を科学的に認識・実証しようとしたものが自然主義なのです。
その自然主義の特徴には、人間(または人間社会)の卑小性、無理想、無解決、技巧的には客観描写(観察・分析・実験)があげられます。

ヨーロッパでは、まず古典主義(昔が良かった派)の一派から反自然主義の口火が切られました。象徴主義やロマン主義です。これらは神秘、象徴、唯美などに傾倒し、やがて世紀末文芸に移行していきました。これがヨーロッパの反自然主義です。要するに物語のもつワクワク・ドキドキ、笑い、不っ思議ぃ~、まぁキレイ、などの情緒感を文芸からなくしたくなかったのです。

日本では、この西洋的反自然主義の並びとして、雑誌『明星』があげられます。与謝野鉄幹や晶子たちですね。この雑誌は反自然主義の論文を数多く掲載し、まさに反自然主義の拠点ともいえるものでした。このようなロマン主義が日本では狭義の(本来の)反自然主義だと考えられます。この流れは『白樺』にも引き継がれます。武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎などです。

また、日本には広義の反自然主義というものがあります。これはどちらかというと「反」というより、非自然主義というべきものです。これらには硯友社(尾崎紅葉、山田美妙など)、漱石や芥川の小説、新感覚派(川端康成、横光利一など)、新心理主義(伊藤整)などがあります。しかし、これらは世界的には反自然主義とはいえません。

さらに、日本では反リアリズム・反私小説を反自然主義というばあいがよくあります。前者はリアリズムと自然主義を混同したことにより誤りです。
私小説は、日本の自然主義が科学精神と相交わることは少なく、事実尊重と告白を特徴としたためにエッセイのようなスタイルに傾斜していった、日本独特の小説です。これに対抗する流れが起こるは当然といえば当然でしょう。「四畳半フォーク」と「はっぴいえんど」の対置と考えればわかりやすいでしょうか? (ちと古い?) 日本ではむしろ、このような文脈(反私小説)で語られることが多いと思います。
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ちょっと違いますね。



まず自然主義というのは島崎藤村などの実体験を元にした文学スタイルを指していて、絶望や裏切りや虚無などの暗~い部分を描き出している傾向が強いものでした。音楽で言えばブルースのように
「俺は人妻に恋しちまってよぉ~ 死んじまおうかと思ってよぉ~ 世間が悪いんだよぉ~」
といった感じの小説等だったわけです。
そこで夏目漱石などがこの自然主義のスタイルに反発したスタイルが反自然主義だったわけです。暗~い自然主義に対してカラッと明るい創作モノ(実体験も影響しているようです)がメインで、音楽で言えばファンクのようなものです。初期の反自然主義は「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」のようにカラッとしたものでしたが後に人間や人生の深さを追及した作品に移行していくのでパッと見(パッと読み?)の違いは大差なくなっていくのもオモシロイところです。
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