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予知夢、社会的法則や普遍的教訓の発見など、信憑性があいまいな出来事の信憑性基準は、複数同時的提示があればほぼ確定できるのではないでしょうか?

例えば、家族の一人が家に強盗が入る夢を見る。それは気の迷いだと退けられる。しかし、同時的に家族の複数(2人より3人4人のほうがより信憑性が上がる)の体験がある場合、これはただ事ならぬ事態を確定できるのではないでしょうか。
あるいは、人生訓の発見など、個人の唱えはほとんど無力ですが、全く係わり合いのない複数の人が同様のことを唱えれば、かなり信憑性のあるものに変わるでしょう。

つまりは、帰納的な動きがあるかどうか、1脚では立たないが、2脚3脚なら立つという自然的法則なのでしょうか。つまりは、個人の力が集まらない限り、何事も証明できないが、複数人数が集まった場合たちまち証明されうるという法則があるのでしょうか?

A 回答 (5件)

>刑事事件などで、互いに面識がなく、お互いの証言も知らない目撃者同士で、もしそれらが一致していたとすると、これは偶然じゃないでしょうね。



お互い面識が無くても、同じ人が犯人と複数の人が証言した事件あったと思います。
なぜ 冤罪が起こったか。
別な情報により記憶が歪んだから。
ある事件は神父が犯人だと複数が証言し逮捕されましたが、真犯人は人種すら違いました。


刑事だったか報道だったかで、神父が怪しいということを匂わせたことで、証言者の曖昧な記憶が神父に書き換えられてしまい、証言者の記憶が、神父を現場で見たという記憶に摩り替わってしまったから。

http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30666153
【その一般人は、捜査に協力しようとしている善意の人なのだから、始末に終えない。】


http://www.nikkei-bookdirect.com/science/page/ma …

これのことなら、偽の記憶症候群とか呼ばれています。

偶然じゃなく理由があった。



>つまり、なにもそうなる必然がないのに、多数からその方向に向かう方向性があるとき、それは何か意味のある証言であるということです。

必然性はない・・・・・
例えば、某国政府は政策の悪さで国民からバッシングされているとする。
国民からの攻撃を交わす手立てとしていろいろやっていて、「日本は戦時中、国家ぐるみでこの国の女性に強制連行して売春させていた」と出所が不確かなことを、苦し紛れに言ってみたところ、「日本 許せない」と国民が反応して、政府に対する攻撃の手を緩めた。
方向性は国民の政府に対する攻撃を回避する目的。
必然ではなく数打ってたまたまこれが国民の感情にヒットした。
何か意味のある証言かといえば、実際は違うが、被害者だと証言すれば、金がもらえると聞いたから。
つまり金をもらうための嘘の証言。

証言してくれる人には金をあげますといったところ、当時日本兵がその町にいた数より多い人たちが「自分は慰安婦としてそこで働かされていた」と名乗りでてきた。

体をねじまげ、いかにひどい残虐な行為をされたかと訴える元慰安婦。
全部演技。
その当時 そこにはいなかったことが調査でバレてしまった。
まさか 昔のことなんで、調査のしようもなく嘘もバレないだろうとタカくくってたみたいですね。
しかも複数の人がつぎつぎ嘘がばれてしまっている。
複数で言えば、真実となると強気だったようですが。。。。。

金 金 金 金 金。
全部 銭のため嘘をついた。
これが証言の真実。

長い間、日本のテレビ局をはじめ、国家くるみで従軍慰安婦を組織していたと、真実として報道してきましたが、調査する人はいなかった。
大きくなったので、金にならないが調査に乗り出した人がいて、それで長年の証言者が訴えつづけていた証明が嘘であることが明るみになったんですね。

これに法則があるとすれば、人によっては金のためなら、偽だと知っていることを真実だと嘘を平気で言えてしまう。 ってことですね。

ただ、これって人によりけりで、金のためならなんでもやるって人はどういう人か もうちょっとプロファイルしないと、法則らしきものが見えてこないですね。
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この回答へのお礼

例えば、証言しても全く何の得にもならないようなことが、複数人から提示された場合、かなり信憑性が高いのじゃないでしょうか。例えば、小学校の先生がわいせつ容疑をかけられた、そのとき、当事者の子供らは、口裏を合わせて嘘をでっち上げるだろうか?みんなが「確かに猥褻なことをしていた」と言えば、これは意味があるのではないか?あるいは、隕石が落ちたとか。
利害も、潜在的に何かに影響されてもいない、という事態は、実は少ないのかもしれませんが、あるでしょう。

今回あげていただいた例で、なるほど、確かに何も影響されていないはずだと思っても、潜在的に一定方向に向けられてしまっていることはあるもだと、改めて感じ入りました。

お礼日時:2007/05/13 12:00

>全くつながりのない人、



ではありませんが、双子の兄弟で、赤ん坊の頃生き別れとなり、中年になってばったりあって、顔がそっくりなことから、生き別れになった兄弟だとわかったってはなし。
しかも奥さんの名前が一緒、ペットの名前が一緒、家具の色が一緒、など偶然の一致が多かったそうです。
ただ、確立でいけば、ありふれた名前で、よくある家具の色なので、赤の他人でも、これらが一緒になる程度のもの。

それを人間は「偶然ではなく必然だ」とそこに重要な意味をつけたがる。


>例えばつながりのない3人同じ予知夢を見ました。

100人集まってどんな夢を見たかって聞けば、結構 同じような夢の人が何組もできるんじゃないかと。


予知夢が当たる人、残念ながらそういう話は聞いたことがありません。
祈祷師の占いとも違うんですよね。
100回に1回当たると、よく当たる占い師 とされる現象の名前があったと思いますが失念しました。
ただ、100回に一回程度なら、普通の人の予測が的中する確立の方がずっと高いし。
人間は記憶を書き換えるし、デ・ジャ・ビュー 予知夢だって、結局、脳が散漫な状態に起こり、「あれ これ前にあったような」と現在と過去の記憶が混同した結果だといわれていますし。


>ギョリュウとイルカとサメが同じ形をしている、何か意味があるのではないか?

どれも水の中に住んでいますよね。
大気より水の抵抗がある場所に住んでいる。
食料を水中で捕獲するので、追いかけていって捕まえる種類の場合は、なるだけ流線型の方が泳ぐスピードが高い。
追いかけていって捕獲しなければならないのに、四角だったら、捕獲できないので、絶滅していますよね。

早く泳げなくても、プランクトンを食べて生きるのなら、口をあけてがーっと水を吸い上げ、プランクトン以外の水をピューって吐き出せば、餓死せず生き残る。

環境に適応したものが生き残る。
これを自然淘汰の法則という。


「なんらかの意味があるんじゃないか」と関連づけるのは人間の習性。
そこに法則があるんじゃないかと思って調べた結果、どんな三角形でも内角の和が180度になることがわかった。
3、三次元の3、この世は三次元。
この世の成り立ちの最小の数字が3。
人間の視覚は二次元なのに、二つの目があるので三次元で捉える。

3に関しては昔からいくつもある。
これ、なんか意味があるのだろうか っては考えます。


夢で未来が見えてしまうと、四次元の世界の住民ってことになるんじゃないかと。
肉体を三次元の世界に置いたまま、過去・未来を行き来できるってことになる。
が、そんな人 知らないです。

四次元になると、電車のこっちから電車を見ていて、向こう側の面も同時に見えることになり、慣れ親しんだ電車の形ではなくなる。

で、子供は動物の描くとき、見えていない足まで描きます。
四次元の世界に行っているわけじゃあない。
犬の足は4本だという概念があるので、実際見えるとおりではなく、その基本概念を絵にしているだけ。

とつらつら考えましたが、それに意味があるとするか しないかは、その人次第。


ああ、ありましたよね。
ノストラダムスの大預言。
誤植が原因で、別な言葉に置き換わったため、文章の持つ意味が本来のものと違ってしまい、「この文章は世紀末を予知したものだ」という人たちが、どんどん増えていって、20世紀は終末を待望するかのような人たちでブィーバー。

お祭り騒ぎで、本当に信じた人もいて、シェルターの中で生活して、滅亡に備えたり、教祖さまに全財産をなげうって救ってもらうようにしたり。

誤植というものが、ここまで大きくなって、絶対に来るという風潮がオカルト好きな人の間で大流行。
オカルト好きではない人も、あまりにテレビや雑誌が取り上げるので、その騒ぎに不気味さを覚えたと思います。


どうでしょう?
沢山の人が2千年に地球は滅びるとしました。
当たりました?

予言の本だと証明されたことになりました?
実際2千年になりましたが、滅びていないということは、証明できなかったのではなく、そのそも誤植ですってばって何度も言ったのに、滅亡を望む人たちであふれかえって、聞いてくれなかった。

そんなに地球が滅亡して欲しいのかってくらい、お祭り騒ぎで耳を傾けてくれない。

ということで、滅亡を望む人には、理論も理性も無い人たち。
この人たちには法則など無い。
必要ない。
滅亡するという確信で生きており、あるいは自殺したのだから。

その多くの人が集まってお祭り騒ぎをしましたが、たちまち滅亡すると証明というか決定されでもしたかのようになりましたが、証明の必要もなく、バカ騒ぎと金儲けが目的な人たちに「バカは死ななければなおらない」と立証されたようなもの。


つらつら書きましたが、結局 法則ってのは、条件が同じなら、100%そうなるってのが法則ですよね。
多くの人が言ったからといって、実際現実としてそうならないのなら、法則にならずデマ。

デマを法則だというのも人間なんですよね。
結局 「懲りない人が、計算間違いして、2000年のことじゃない」
ってまだ言っていますが、これ、、、2千年ほど前も同じ現象が起こっていたんです。

地震が起こって、クムラン宗団が壊滅的なダメージを受け、「いよいよ聖書に予言された終末がやってきた」ってなったんです。
そして二人のメシアを立てた。
これが後に言い伝えでは洗礼者ヨハネとイエス。
でも、実際は文書に二人の名前が書いてあるわけじゃあない。
二人のメシアがいたってのは書いてあり、一人は祭祀系列、一人はダビデの血を引く物って書いてあるだけ。

そういう思想が2千年前にあった。
でも、それって実際そうなって、神が選んだ民のみ残してこの世は世論でなどいないって事実がありますので、これもハズレた。

ハズレなので法則にならない。


やっぱり多くの人が同じ主張をしたからといって、万物の法則がその人たちの言うように変化などしないですね。

古来より星を観測したりして、万物の法則を読み取ろうと人間はしていますが、万物の法則を作ろうとしている人たちもいるってわけで、、、、
だからといって、人間次第で万物の法則がコロコロ変わってしまうのなら、人間はこの世の創造主ってことになってしまい、永遠の命すら万物の法則で作ることが可能ってことになってしまいます。


って、予知夢の話から、こんなところまでいっちゃった。
失礼しました。
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この回答へのお礼

長文のご回答ありがとうございます。
仰ることいちいちもっともです。迷信の類は枚挙に暇がありません。

刑事事件などで、互いに面識がなく、お互いの証言も知らない目撃者同士で、もしそれらが一致していたとすると、これは偶然じゃないでしょうね。黒い服ということが一致していたら、他にいくらもある選択肢から一致したわけです。つまり、なにもそうなる必然がないのに、多数からその方向に向かう方向性があるとき、それは何か意味のある証言であるということです。

お礼日時:2007/05/11 08:57

予知夢に関しては、調べていけば、結構「これか」という原因がわかるような気がするんですね。



例えば、「故郷にいる母が枕元に現れ、翌日死去を知らされた」というもの。
それも兄弟で同じ夢を見た場合、これは予知したものなのか。
その前の日に、母親の話が出て、二人の知り合いが亡くなったったという話が出て、、、、、と考えていくと、偶然二人が同じ夢を見る結果となっても不思議ではない。
二人共通の情報をインプットされたため、夢の結果がある程度絞られた可能性も否定できないですよね。
その兄弟が仲がよくうまがあっているから一緒に住んでいた場合、さらに他人より、情報の結果見る夢が似通ってくる確立は増す。


迷信・神話・経験・言い伝え。
人々はこれらの情報に左右されて判断しやすい。
でも、どれも決定的なものじゃない。

現象を自分が感じたとおりに受け止める。
例えばAさんは無能だといわれているとする。
でもAさんと話をすると、実に思慮深く考えた結果、行動をしているとしることになり、Aさんの行動には意味があったことがわかったとする。
でも、他人はそんな思慮など知りませんから「なにをやっているんだか」とか「意味の無いことを 暇だね」とか判断してしまってAさんを低くみてしまったわけです。

10人がAさんを無能だと判断したらAさんは無能なのか。
Aさんの意味のある行動は価値が無いものなのか。
10人の集団にとっては価値の無いものです。
が、Aさんがやっていることは本当は価値があり、隠れたところで世の中に貢献しており、世の中がよくなってくるという影響を与えているかもしれない。


ということで、一番大事なのは、その他から得る情報に自分の目を曇らせないこと。
事実を事実として認識すること。
他人の評価や言い伝えや迷信は除外して、自分が認識したものを事実として、そこからスタートすること。

これが大事らしいんですね。


で、イラク戦争。
小泉元首相は「どうやらイラクは核兵器を持っている ら し い 危険な国であるから、アメリカによる制裁のための戦争を支援する」と言ってしまった。

「らしい」でアメリカの暴力を支持してしまったわけです。

ふたを開けてみると、イラクは核兵器など持っていなかった。
10年以上も前から計画されたイラクのっとり作戦だった。
その乗っ取り・破壊・殺人に日本の元首相が情報を鵜呑みにして「らしい」と、自分で認識をしないでジャッジを下してしまった。


あってはならないことです。

でも実際はありました。
かなりの国がアメリカの戦争開始を支持しました。

複数の国が同じことを言ったこの戦争。
イラクは核兵器を持っていたということが事実として証明されましたか?
イラクが核兵器を持っていたという証拠は出てきましたか?
証拠があって戦争を起こしましたか?
証拠もないのに、偽情報を意図的に流して、事実だとすりかえてしまいましたよね。


複数同じことを言ったために、それが嘘であっても事実だとなってしまった。
現実に起こったことですし、これは国際社会のみではなく、私達が生活する上でも起こる現象です。

o-157にしても同じことが起こりましたよね。
国民はその情報を確かめもせず信じてそれが事実だとしてしまった。

証明は必要ない。
危険だというだけで人を盲信させてしまえる。

このような法則は。。。なんというのでしょうね。
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この回答へのお礼

お挙げになっていただいた例は、よくあることだと思います。そしてその理由を説明されるとこれも非常に納得できるもので、超自然的な力など思い込みだということや、根も葉もないうわさが真実の衣をまとってしまうという実話はそこらじゅうにあるでしょう。地球はあまり大きな惑星ではなく、現代は一人の人間が発したことがたちまち世界中に広がる時代ですから。それに、話の詳細は知りませんが、突き詰めると人類の共通の祖先は一人の女性に行き当たるとか?そういう、ひとりのあるいは少数者の影響力がたちまち多数を多い尽くすということは、よくあります。

しかし、質問文でうまく表現できなかったのですが、そうでない例もあるのではないだろうかと思ったしだいです。

全くつながりのない人、生物、無生物(星とか)が、同じ法則性を示すのは何故だろうか?そこから考えると、例えばつながりのない3人同じ予知夢を見ました。これはなにか意味があるのではないか?ギョリュウとイルカとサメが同じ形をしている、何か意味があるのではないか?

そんなことを質問してみたかったしだいです。

お礼日時:2007/05/09 21:19

 三人寄れば、虎、市に生ず。

というシナのことわざがあります。市場に虎が出たと、一人が言っても信じませんが、何人かが同じように言えば荒唐無稽なことでも信じられてしまうという意味です。
 「嘘も100回繰り返せば本当になる」(100回かどうかは自信なし)というのは、ナチスの宣伝相ゲッベルスの言ですが、似たような意味です。

 事実かどうかとは全く関係なく、信憑性という点で言えば、シナならば3人でいいということでしょう。別に、ヒトは事実であったり自然法則に即しているからものごとを信じるわけではありませんから。

 ただ、それは「確定」とは普通、呼びません。
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この回答へのお礼

ナチスが利用していたというのは知りませんでした。心理的にもうまかったんですね。3人というのは、ある状況において十分の気がします。例えば、教えてgooの質問であったのですが、長いこと交流のなかった祖母が、これまた別居していて長いこと会っていない本人と姉と母親にの夢枕に現れて3人同時に亡くなる印象のある夢を見た。それを葬儀の場で3人初めて知った。眉唾でしょうが、こんなこともあるとすれば、これはかなり意味があることです。あるいは収斂進化ですね。互いにつながりのない生物が大型海生哺乳類の形状になっていく、ギョリュウもサメもいるかもです。それから、人生哲学なども、交流のないところで同時に同じことを言う人がいれば、それは何か普遍的法則に通じているということもいえなくないでしょう。

お礼日時:2007/05/09 21:11

文意を私なりに解釈しての回答ですが、



>信憑性があいまいな出来事の信憑性基準は、複数同時的提示があればほぼ確定できるのではないでしょうか?
信憑性が曖昧な事象についていくら数を集めても、それらは何も事実や法則を提示しては来ないと思います。
科学的か?という問いに変えてみると、答えは非科学的であるといえます。
再現可能性が無いからです。

>全く係わり合いのない複数の人が同様のことを唱えれば、かなり信憑性のあるものに変わるでしょう。
これは、ある意味では成り立つかも知れません。
その事象が正しいかは別としても、例えば血液型占いのように、「信憑性がある」と思う人は増えますしね。
実際に、予知夢などを現に信じている人の根拠は、誰かがそういっていたからとか、そんな所でしょう。

>複数人数が集まった場合たちまち証明されうるという法則があるのでしょうか?
そういった法則は、少なくとも自然科学の分野では成り立たないでしょうし、
哲学的な範疇で見ても、普通の論理構造を飛躍してしまうと思います。
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この回答へのお礼

信憑性があいまいなことも、同時多数的に唱えられればどうかということです。信憑性があると思われることでなく、確かにそうであったという証明ができるようなことがあるのではないだろうかということです。

収斂進化という「仮説」はいい例だと思います。仮説といってもどうしても納得せざるをえないほど強い説でしょう。ギョリュウもイルカもサメもそれぞれ別系統なのに同じ形になっていくんですよ。これは、あの形に合理性があるからだという証明です。

お礼日時:2007/05/09 21:04

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