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アリストテレスは、プラトンの四元徳をどのように引き継いだのでしょうか?

A 回答 (2件)

「無謀」と「臆病」の中庸は「勇気」、「虚栄」と「卑屈」の中庸は「自尊心


(名誉)」という事で…

 :アリストテレスは『ニコマコス』の中で、中庸について述べますが、その際
「徳」を何とするかも述べられます。「徳」を知恵としたプラトンに対し、彼は
徳を「状態」と説くのですが、それによって「中庸」という言葉の意味が生まれ
てきます。ですから、「勇気」も「名誉」もそれが中庸にある「状態」を徳と
するようです。

「正義」「友愛」の両極端はあるのでしょうか…

 :先にも書きましたが、アリストテレスは人間に限定して哲学しています
ので、最高善を「幸福」とまず説きます。その基で徳は「中」の状態である
事を説きますが、「正義」に対しては「不正義」という事で、これは説明
されますし、「友愛(親愛)」については、「機嫌取り」と「不愉快」な人
の中庸として紹介されます。「中」の状態に必ずしも呼び名が備わる訳では
ないと述べられますが、「友愛(親愛)」に関しては、そう呼べると述べら
れます。
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この回答へのお礼

重ね重ね、ありがとうございます。
なるほど。よくわかりました。プラトンとアリストテレスの徳の違いは、徳の解釈の違いなのですね。教科書によっては、「中庸の徳」などと書いてあって、「よくわからないなぁ」と思っていたのですが、なるほど、「状態の徳」なのですね。そう考えると、いろいろなことが納得できると思います。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2002/06/26 10:53

 及ばずながら、書いてみます。

こういった事で良いのかどうか分かりませんが
取りあえずという事でさわりまでに。

 プラトンは「魂」について、自らを動かす力(意思)と定義し、全ての生物に
宿り、それ自体は永久不滅なイデアであるとした。そして魂には、三つの部分が
あると考え、それらを「理性」「気概」「欲望」としたが、それらがより善くあ
る為にはそれぞれに善き徳が備わらなければならないと考えた。
 それらの徳とは、理性については「知恵」、気概については「勇気」、欲望に
ついては「節制」がそれだとするが、それぞれがばらばらに存在するのではなく、
全体として調和している時、更に第四の徳「正義」が成り立つとした。
 これら四つを四元徳と呼ぶと思うけど、アリストテレスはプラトンのイデア論
に対し、対象を人間に特定して、魂に相当する部分を「形相(エイドス)」、肉
体に相当する部分を「質料(ヒューレー)」と再定義し、徳を二種類に分けた。
 それが、「理性的徳」と「習性的徳」で、前者は理論的な徳であって、「観想」
によって得られるとした。これが、プラトンの言う「知恵」の徳。
 次に「習性的徳」は実践によって得られるとしたが、どのような実践かという
と、プラトンの言う残りの徳(「勇気」「節制」「正義」)に「友愛」を加えた四
徳をあげて、「善き状態」を説いたプラトンに対し、アリストテレスは善悪の「中
庸」を述べた。
   
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。よくわかりました。まさに知りたい事を答えてくださいました。
なるほど。知恵が理性的徳で、残りが習性的徳なのですね。アリストテレスはプラトンの四元徳を増やしたのですね。

習性的徳とは、「勇気」「節制」「正義」に「友愛」を加えた四徳だと答えてくださいましたが、よく、教科書や資料集を見ると、中庸についてのいくつかの例が載っています。(「無謀」と「臆病」の中庸は「勇気」、「虚栄」と「卑屈」の中庸は「自尊心」など)これらは徳ではないのでしょうか。
また、「正義」「友愛」の両極端はあるのでしょうか。
もしよろしければ、そこら辺のことも教えていただきたいと思います。

質問が大まかすぎたかなと、少し落ち込んでいたので、回答を下さって大変うれしかったです。ありがとうございました。

お礼日時:2002/06/25 10:02

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