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大名夫人の名前に疑問があります。系譜などを見ると大名・武将名の隣に夫人名が「○○氏女」とあることが多いのです。
また、「○○院」など仏門に入ってからの呼び名が通例となっていることが多いと思います。
「とし」「まつ」「ちよ」などの呼び名はどこの誰が伝えたのでしょうか?またその信憑性はいかがなものでしょうか?

A 回答 (5件)

信憑性はない


昔の小説で使われたものをそのまま使用とか
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。小説で有名になったからなのでしょうか?それだけで全国区の知名度になるものなのでしょうか?

お礼日時:2007/06/06 22:19

現存している手紙などに書かれているものもあると思います

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この回答へのお礼

秀吉正室の「ねね」も「おね」が正しいと聞いたことがありますが。
手紙で有名な毛利元就は大河ドラマのような呼び名(みい)で呼んでいたのでしょうか。たしか「妙きゅう」とあったような・・・これって法名ですよね?一例を挙げていただければ幸いです。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/06 22:24

その当時の女性の本名を読んだり、記したりする習慣が、なかったということです。


とし、まつ、ちよは、すべて、怪しいとされていると、思います。
仏門に入ったり、死んでしまえば、名前が明らかになる可能性は、高いです。
信長の正室の名も怪しいですし、優秀な子を含め、十人からの子を産んだ、毛利元就の正室の名も、不明かと思います。
忌み名のような、意味合いで、女性は、たやすく、他人に名を呼ばれないようにしたという仕組みがあったのでは、ないでしょうか。
例に挙げられた女性は、つきあいも、エピソードも多い女性です。
他家の記録に残ったかもしれません。
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この回答へのお礼

「ほうしゅん」「みょうきゅう」「ほうじゅん」など、よくある呼び名は死後のもの、もしくは旦那様(つまり大名)が死去し、剃髪して仏門に帰依したのちの呼び名であるのではないかと。
<他家の記録に残ったかもしれません>なるほど。
そういう例をご存じの方おられますか?
通常「北の方」「お方」など名前で呼ばない習慣があったのかも。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/06 22:30

#1の小説(講談)起源のものや#2の手紙起源のものもありますが、おそらく戦国末~江戸初期くらいだと一番多いのは「藩翰譜」だとおもいます。


信憑性はあまり高くありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。読みがわからないのですが「はんおうふ」
?は当時の小説の類でしょうか?調べてみます。

お礼日時:2007/06/06 22:33

ハンカンプ


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A9%E7%BF%B0% …
基本的には、それぞれの大名家からの自己申告です。
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この回答へのお礼

「はんかんぶ」拝見しました。資料ありがとうございました。あの「女子」というのは後世つけたものではない、と言うのはわかりますが、ではなぜ伏せたのでしょうか。奥方の名前はあまり公にしたくなかったと考えて良いのでしょうか?その割には手紙などで(生存しているにもかかわらず)法名で出てくるのはなぜなのでしょうね。毛利元就の手紙に
「妙きゅう」と出てきていたような・・・当然元就も夫人も生存していたにもかかわらず。秀吉が「おね(ねね)」と手紙に書いていたのとは対照的で、謎なのです。(単なる元就と秀吉の性格の違いでしょうか?)
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/07 21:46

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