プロが教えるわが家の防犯対策術!

いつもお世話になっております。

皆様が今までにプロレスラーの試合をテレビで、もしくは実際に会場で見た中で、
印象に残っている試合や、想い出の試合などが、ございましたら、
プロレスの試合に限らず、プロレスラーが参加した試合( PRIDEなど )でも構いませんので、
どうぞ御紹介よろしくお願いいたします。

A 回答 (17件中1~10件)

昔では第一回IWGP決勝の猪木失神事件です。

あの猪木が・・・といった感じです。(TVです)
近年ではNOAHの12.23(多分)の小橋対秋山戦です。
エクスプロイダーにハーフネルソンスープレックス・・・技の出し合い、これこそ純プロレス!という気がしました。新日本でもそうはないベストバウト!
その前の秋山の、試合後に小橋にバックドロップをくれて、「よろしくどうぞってことで・・・」というのが忘れられません!!(TV)
さらに個人的なところを言わせてもらえれば、去年の3.18(位)の新日本代々木第2体育館のテンコジ対長州・真壁。真壁のものすごい頑張りようで高角度ジャーマンを2回天山にくれて、あわやタイトル奪取か!?といった試合が印象的でした。
奇襲のスピアなど事前にかなり研究されていたのが伺えました。(観に行きました)
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この回答へのお礼

早速の御返答、誠にありがとうございます。

>第一回IWGP決勝の猪木失神事件です。
 あのハルク・ホーガン戦ですね・・TV中継の前に、一般の新聞の社会面で「猪木、試合中に倒れる」という記事があって、それを見て驚いた記憶がありますね・・・。

>近年ではNOAHの12.23(多分)の小橋対秋山戦です。
 これ、最後は「バーニングハンマー」でしたかね・・・。
 私は「小橋VS秋山戦」は、全日時代に2度ナマで観てますね・・その1度目が、93年の9月24日の「ファン感謝デー」(後楽園ホール)のセミファイナルのシングル戦で(ちなみに、この丁度1年前に同じ後楽園で秋山選手のデビュー戦があり、やはり小橋選手とのシングル戦でした)、小橋選手が「 オレンジクラッシュ」(ブレンバスターの体勢からパワーボムに移行する技)を初公開して勝ちましたね・・・。
 
>その前の秋山の、試合後に小橋にバックドロップをくれて、「よろしくどうぞってことで・・・」というのが忘れられません
これはNOAH旗揚げ戦での出来事でしたね・・私はNOAHの試合は、まだナマで観た事が無いので、ぜひ「生ノア」を体験したいですね・・・。

>さらに個人的なところを言わせてもらえれば、去年の3.18(位)の新日本代々木第2体育館のテンコジ対長州・真壁。
こういうマニアックなのも待っておりました(^_^) 真壁選手の凱旋帰国が、いつになるかも楽しみですね・・・。

お礼日時:2002/07/10 20:09

「この試合は、格闘技として凄かった!」とかはよく解らないんですけど、


私にとっての想い出は、私をプロレスにはまらせたテンコジです。

去年のG1タッグの初戦で負けたときのインタビューで、
「こんなんじゃ、優勝できねーじゃねーか!」とわめく(笑)コジくんと、
「気にすんな。今日は今日だ。明日からまた頑張るよ」と宥める天山。
試合じゃないですが…この2人の絆を見たような気がしました。昔はあんなに喧嘩してたのに…(笑)
結局、優勝しましたしねv

そして、テンコジの新日ラストマッチですね!
あの天山は、当時は批判(? タッチをなかなかしなかった場面です)めいたものもあったようですが、
やっぱり、お互いを大事に思ってるのが見えて! 感動しました。
他の格闘技は殆ど見ないので解らないんですが、
「プロレスって良いなぁv」
ってしみじみ思いました。

あと、余談なんですが、
去年のいつだったか忘れましたが、武藤・馳VS秋山・永田で、
他の人の技を使って挑発をするのを見て、なんだか盛り上がりました…(笑)。

何だか、人様のスレで自分勝手に語ってしまってごめんなさい><
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この回答へのお礼

ご紹介、誠にありがとうございます。

>テンコジの新日ラストマッチですね!
 この2人は、三沢と川田みたいな“永遠のライバル”って感じだったのですがね・・・。

>去年のいつだったか忘れましたが、武藤・馳VS秋山・永田で・・・
 これは昨年10月8日の東京ドームでの試合でしたね・・あらゆる意味で画期的な試合でしたね・・・。 ノアの選手(秋山)が新日の試合に出るのが初めてならば、全日・ノア分裂後、全日の選手(馳)とノアの選手(秋山)が相対するのも初めてでしたからね・・・。     (文中敬称略)

お礼日時:2002/07/10 20:47

試合…というより興行全体として印象的だったのは、


1990年2月10日、新日本プロレス東京ドーム大会。

そう、あの「奇跡の2・10」です。

当時のNWA世界王者、リック・フレアーのドタキャン
により、窮地に追い込まれた坂口社長(当時)の放っ
たウルトラC、それが全日本プロレスからの選手参戦
でした。
全日・馬場社長(当時)もこれを快託、その結果
ジャンボ鶴田、天龍源一郎、谷津嘉章、タイガーマス
ク(=三沢光晴)、スタン・ハンセンの5人の参戦
が電撃的に決定したのです。

しかし、結局テレビ朝日と日本テレビの間で調整が
付かず、TV放送されたのはベイダーVSハンセンのみ。
現在に至るまでビデオ化もされておらず、あの興奮
を味わえたのは実際にドームで観戦していた6万人
のみ…というワケです。
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この回答へのお礼

ご紹介、誠にありがとうございます。

>1990年2月10日、新日本プロレス東京ドーム大会。
って、そういう経緯があったのですか・・・。

 確か、当初は天龍・川田組VS長州・ジョージ高野組の予定だったと思うのですが、直前に急遽、川田から三沢にパートナーが替わったと記憶してます。 鶴田・谷津組は、木戸・木村健悟組とのタッグマッチだったでしょうか( 間違えてたら御免なさい )。

>現在に至るまでビデオ化もされておらず、あの興奮を味わえたのは実際にドームで観戦していた6万人のみ…
まさに“伝説”の大会(興行)だったのでしょうね・・・。    (文中敬称略)

お礼日時:2002/07/10 21:13

 yumesawaさん。

ナイスな質問。敬意を表します。

 私は、アントニオ猪木対国際はぐれ軍団(ラッシャー木村。アニマル浜口。寺西勇)の3対1の試合です。猪木もがんばりましたが、国際軍団もがんばりました。


 それから、アントニオ猪木対アンドレ・ザ・ジャイアント。猪木がアンドレの腕を折った試合です。最近、ミスター高橋が「試合前、俺がアンドレにギブアップするように説得した」と言っていました。青春の思い出が、汚されたような気がします。

 PS マイナーですが、ブルーザー・ブロディー・メモリアルナイト・イン・武道館で、長州力とキラー・カーンの試合をみました。

 また、回答します。
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この回答へのお礼

 ご紹介、誠にありがとうございます。

>アントニオ猪木対国際はぐれ軍団の3対1の試合
 これは2度あったと記憶してますね。1回目は、浜口がリングインした途端に猪木の延髄斬りがヒットしてアッサリやられた・・という記憶が残ってます。 2回目は、浜口が踏ん張って最後まで残り、猪木の反則(フェンスアウト)を誘った・・と記憶してます。

>ブルーザー・ブロディー・メモリアルナイト・イン・武道館で、長州力とキラー・カーンの試合をみました。
 私の記憶では、「ブルーザー・ブロディー・メモリアルナイト・イン・武道館」の時には、長州は既に新日に戻っており、キラー・カーンは既に引退したと思うのですが・・ちなみに「キラー・カーン」の名前を見て「オリー・カーン」を思い出してしまいました(;^^)
 「長州力VSキラー・カーン」は、それより前の「全日本プロレス中継」で見た記憶がありますね。当初、長州とカーンは「ジャパンプロレス」の同胞でしたが、のちにカーンが「カルガリー・ハリケーンズ」に寝返り、この“遺恨マッチ”が組まれたと記憶してます。試合は長州がラリアットの連発でフォール勝ちしたと記憶してます。

 私の記憶にも、もしかしたら間違いが、あるかもしれませんので、間違いがございましたら、ご指摘よろしくお願いいたします。(文中敬称略)

お礼日時:2002/07/10 22:15

確か…15・6年前だったと思います。



長州・谷津vs藤波・木村 IWGPタイトルマッチ 2連戦

私は長州の大フアンでした。右わき腹(ろっ骨)を痛めていた長州。
★1戦目(テレビ中継…いや、東京体育館で観戦したような…??)
 一進一退の攻防にかなり熱くなり、長州・谷津組みの勝利に狂喜しました。
★2戦目(テレビ中継?だったかな??)
 1戦目でさらに痛めたろっ骨、2組の実力の均衡などを考えると
 負けてしまうかも…と半分決めてかかっていました。
 が、1戦目よりさらにヒートアップした試合展開。長州・谷津組み勝利。

2戦目はTV生中継では無かったので、自分の目で見る前に友人から聞かされたとき
感動のあまり泣いてしまったのを覚えています。
長州フアンであるという贔屓目をなくしても、とてもいい試合でした~。
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この回答へのお礼

 ご紹介、誠にありがとうございます。

これは多分、
>長州・谷津vs藤波・木村 IWGPタイトルマッチ 2連戦

ではなく、全日本での
「 長州・谷津vs鶴田・天龍 NWAインターナショナルタッグマッチ 2連戦 」
では、ないのでしょうか・・・?
 1戦目では確かに「長州組、絶対不利」という下馬評だったと記憶していますが、最後は長州のラリアットから谷津のジャーマンで天龍を下してタイトル奪取! 2戦目は結果は詳しく知らないのですが、長州組の初防衛だったと思います。
 
 私の記憶にも、もしかしたら間違いが、あるかもしれませんので、間違いがございましたら、ご指摘よろしくお願いいたします。(文中敬称略)

お礼日時:2002/07/10 22:44

#5です。

すみませんっ(汗)。
自信ありにしては信憑性に欠ける回答になってしまいました(大汗)。

まず確実なことは
1.私が高校生の頃なので15・6年前である。(長州は新日でした)
2.タイトルマッチである。

あやふやな点
1.長州とコンビだったのはマサ斎藤だったかも。
2.2戦と記憶していますが2連戦ではなかったかも。

今調べてみましたが、自分の記憶力の悪さに驚いています。
と、言うよりも、記憶力のなさを恐ろしく感じています。
あんなに感動した試合だったのに~。
いいかげんなこと書いちゃってごめんなさい。

参考URL:http://www.biwa.ne.jp/~kody/njp/iwgp_tag.html
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

で、ございましたら・・・

「 IWGPタイトルマッチ 藤波・木村健悟(王者)vs長州・マサ斎藤(挑戦者) 」
で、ございましょうか・・・。

 私の記憶では、88年あたりだと思うのですが、最後はマサ斎藤が木村健悟を“監獄固め”でギブアップを奪ってタイトル奪取した試合ですね。
ただいま検索いたしまして、
http://www.so-net.ne.jp/njpw/histry/tag_main02.h …
に、よりますと、
「1988年 6月10日 広島県立体育館 」 での試合でしょうか・・・?

お礼日時:2002/07/10 23:39

度々お騒がせしてすみません。


どうやら2つの試合を混同しているようです。

よ~く、よ~く考えました。また違っているかもしれません(泣)。
覚えているのは
1.長州のわき腹に貼られた大きなサロンパスのようなもの
2.東京体育館で観戦した試合は、試合時間も長く、手に汗握るものであり
  観客全員が足を踏み鳴らしたカウント2・8続出だった
3.長州、藤波がらみのタッグマッチだった
上記1.2.3に当てはまる試合に感動しましたが、タイトルマッチだったのか
コンビを組んでいたのは誰なのか、本当に3つとも当てはまる試合だったのか
わからなくなりました(大泣)。

そして、涙したのは長州組が藤波組みの挑戦に勝利したことを友人から聞いた時
であり、実際の試合を見て泣いたわけではないので、IWGPタイトルマッチ藤波
木村vs長州・マサ斎藤ではないのだと思います。

と言うことで、yumesawaさんのご質問には答えられないことに気が付きました(号泣)。
長州vs藤波の試合は、良い試合が多かったと思っていますが、自分勝手な空想
というか、間違いだらけの思い込みで回答してしまったことを反省しています。
何度もお邪魔してすみませんでした。
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この回答へのお礼

深夜にもかかわらず、度々すみません。

>長州のわき腹に貼られた大きなサロンパスのようなもの
の記憶では、やっぱり
「 長州・谷津vs鶴田・天龍 NWAインターナショナルタッグマッチ」だと思います。

で・・ただいま「長州 わき腹 東京体育館」で検索いたしましたところ、
(1)86年1月28日、東京体育館で、
「鶴田・天龍(王者組)VS長州・谷津(挑戦者)」のNWAインターナショナルタッグマッチが行われ、22分21秒、谷津が天龍のパワーボムに屈し、タイトル奪取は、なりませんでした。
(2)その1週間後の2月5日に、“あの”札幌中島体育センターで、
リマッチが行われ、#5のお礼に記した通り、谷津のジャーマンで天龍を下して長州組がタイトル奪取しました。
 その#5のお礼に記した
>2戦目は結果は詳しく知らないのですが、長州組の初防衛だったと思います。
は、(2)の1か月後の3月4日、大阪城ホールでの鶴龍相手の初防衛戦で、“両リン”で初防衛を果たしております。

 以上、新日も藤波も絡んでいませんし、「東京体育館」の試合では長州組が負けてますが、kesisuさんが仰られた“2連戦”とは、この(1)(2)の2連戦の事でしょうか・・・?   (#6ともども、文中敬称略)

お礼日時:2002/07/11 01:56

えーと、謎が謎を呼ぶ長州のタッグ王座戦問題ですが、


ひとつ決定的な事実が判明しましたのでお知らせしま
す。

「谷津嘉章には、IWGPタッグ獲得暦はありません」

東京体育館のインタータッグ戦であれば自分もテレビ
観戦していましたが、状況から判断するに、そっちの
試合だと思いますね…。
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この回答へのお礼

 深夜にもかかわらず、ご指摘、誠にありがとうございます。
 確かに87年春に長州選手が新日にUターンした際、谷津選手は全日に残り、鶴田選手とタッグを組む様に、なりましたからね。

お礼日時:2002/07/11 05:03

やはり、思い出は昔のほうが強く残っちゃいます。


私は5つあり、1つは正規軍VS維新軍の勝ち抜き戦。正規軍の先発に藤波が出て、長州が怒りを露にしてたのを覚えています。でも、谷津の踏ん張りで、イーブンになって、最後は猪木VS長州のシングルで卍固めでレフリーストップ。ギブアップしない長州がすごいと思いました。当時は2週にわたって放送されましたので、1週間が待ち遠しかったのを覚えています。今みたいにネットが無かったし、小学生だったのでお金も無かったので専門紙を買う余裕もなかったのを憶えています。
2つ目は猪木VS長州(蔵前国技館)のシングルマッチ。最高の試合でしたと今でも思っています。
3つ目は猪木VSブロディの初シングル戦。後楽園ホールに運命のテーマ曲で入場してから初対決までの時間、頭の中でいろいろシュミレーションしてたのを覚えています。また、試合後も数日間その余韻にひたっていました。最近はサイクルがはやいので、夢の対決が終わっても、記憶に残っていかないのが残念です。昔は年間通しての本当のビックイベントって少なかったので、その余韻を引きずっていくのもいいもんだったんですがね~。
最後は猪木VS藤原(両国)の新日とUWFの試合や武藤VS高田の新日VSUインターの試合など看板を背負っての試合はいいですね。試合内容はともかく、記憶に残ります。

この回答への補足

 すみません・・“綱引きマッチ”というのは、表現の仕方が悪かったですね・・・。 正規軍(本隊)と維新軍が4対4で、綱を引っ張り合って対戦相手を決めた試合です・・そこで決まった試合では、
  「 坂口憲二の父 VS 浜口京子の父 」
という、今となってはマニアック(?)な対戦も、ありましたね。(文中敬称略)

補足日時:2002/07/11 14:11
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この回答へのお礼

>1つは正規軍VS維新軍の勝ち抜き戦。
 「正規軍VS維新軍」(当時は「本隊」という表現は無かったみたいですね)では、“綱引きマッチ”というのも、あったと思います・・確かメインが猪木VS谷津だったと思います。

>猪木VS長州(蔵前国技館)のシングルマッチ。
 コレは最後は猪木が“丸め込み系”の技でフォール勝ちしたのでしょうか・・?

>後楽園ホールに運命のテーマ曲で入場してから・・・・・・
 このシーンをTVで見た瞬間は衝撃的でしたね・・あのハンセンが突如ブロディのセコンドとして全日に登場した時以上のインパクトが、あったと思いますね(ちなみにハンセンが全日に“乱入”してきた時は、当時の私は彼の名前しか知りませんでした)。

>猪木VS藤原(両国)の新日とUWFの試合
 これは、試合後に前田が猪木に蹴りを見舞った場面しか印象に残ってるシーンが無いんですよね(;^^)

>武藤VS高田の新日VSUインターの試合
 この試合で武藤の「ドラゴンスクリュー → 足四の字」という“必勝パターン”が初披露されたと思いますね。

 沢山ご紹介、誠にありがとうございました。     (文中敬称略)

お礼日時:2002/07/11 11:45

#4さんに続いて、質問者さんに一言!


「ナイスッ☆」
ある意味、書き始めるとキリがないという残酷な質問ですが・・。

詳しい日時などは覚えていないのですが、自分が印象深かった試合と言えば、

藤波と長州がやった三本勝負の試合。
更に言うと、その一本目ですね。
試合開始>ロープワーク>リキラリアート>フォールで速攻で終了したのですが、その時の長州の押さえ込みが本気の押さえ込みだったので。
明らかに藤波は返そうとしているのに、長州は首と足をガッチリと決めて返せないようにしていたのがとても印象的でしたね。

次、前田日明引退試合です。
試合内容以前に「カレリンがリングにあがる」事が衝撃的でしたね。
試合も・・まさかグレコの技術だけであそこまで強いとは・・。
圧巻でした。

次は日時はもちろん対戦相手すら覚えていないのですが、ジャンボ鶴田の試合でした。
正確に言うと、自分がTVをつけた時画面に映ったのは鶴田がジャーマンを決めた瞬間でした。
それだけなんですけど「こりゃすげー」と。
自分がプロレスを見るようになったのはそれからです。
鶴田対天龍はどれも印象深いのですが、特に鶴田がパワーボムで勝った試合が強く残っています。
今まで何百回とパワーボムはみていますが、あんなにすごい(えぐい)パワーボムはちょっと見あたらない・・かな。

最後に、自分の中で「プロレスラーの中のプロレスラー」として記憶に残る選手>ダイナマイト・キッドの試合はもー、すべて、ぐっっときます。
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この回答へのお礼

>その時の長州の押さえ込みが本気の押さえ込みだったので。
 これで思い出したのですが、長州が藤波に初フォール勝ちした試合(何かのタイトルマッチだったと思う)の映像でも、ラリアートを放ったと同時に覆いかぶさり、フォールの際にも顔面を押さえつけてましたからね・・彼の“執念”を感じました。

>試合内容以前に「カレリンがリングにあがる」事が衝撃的でしたね。
 これは私も同感です。カレリンが前田の蹴りに耐えられるのか・・と当初は心配してました。

>鶴田がジャーマンを決めた瞬間でした。
 私は彼の“ジャーマン”は印象がなくて、既に“バックドロップ”をフィニッシュにしてたと思うのですが、その“鶴田式バックドロップ”の初期って、“投げっ放しジャーマン”だった記憶がありますね。

>あんなにすごい(えぐい)パワーボムはちょっと見あたらない・・かな。
 コレは私もTVで見た事がありますね・・彼がこのパワーボムを使い続けてたら、おそらく“天下無敵”になり得たと思うのですが、相手を壊してしまった事で、使うのが怖くなってしまったのでしょうね・・ここに彼の“やさしさ”を垣間見る事が出来ますね・・・。

>ダイナマイト・キッドの試合はもー、すべて、ぐっっときます。
 彼が1度復帰した時の93年夏の武道館の試合は、観に行きましたね・・確かこの時のメインが三沢VS川田の三冠戦で、三沢の投げっ放しジャーマン3連発(?)が衝撃的でしたね。

 沢山ご紹介、誠にありがとうございました。     (文中敬称略)

お礼日時:2002/07/11 12:07

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