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マザーテレサとナイチンゲールの生き方における共通点と言ったらどんなものが
あるでしょうか?
どなたか2人について詳しい方いらっしゃいませんか?

A 回答 (5件)

蛇足ながら付け加えます



弱いからかわいそうなのではなく、最初から弱くない、奉仕する対象は神そのものだと見ているのです


と言いましたが、神は弱くも強くも表れます

個人的にも、社会的にも、強さや弱さとして表現されるのは事実です

しかし2人はそれを越えたので、その差異を見て迷うことはなかったと私は見ます

そのためにやるべき事をやれたのでしょう

「わたし」と「あなた」の区別や別離を愛によって統合できたのだろうと思うのです
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全ての人に神を見たところだと思います


目の前の人が神の表現となって現れていると「本気で」感じられたところでしょうか

基本的に、宗教はそういうものを教えているのですが、修行しないと、本心では「わたし」と「あなた」の感覚を越えにくいです

ナイチンゲールもマザーも生ける神の姿を弱い者に見たことで、神の心を地球上に表した、聖者なのだと思います

弱いからかわいそうなのではなく、最初から弱くない、奉仕する対象は神そのものだと見ているのです

だから、あるべき状態(ナイチンゲール的には、生命力が人体に適切に働いている状態とされる、マザー的きは神そのものとして人が愛されている状態とされる)に戻す方法として、2人は奉仕(バクティを行為の形にしたもの(カルマヨガ))を選択したということになると思います

新しい何かを始めたのではなく、(地球を、社会を、人を)あるべき状態に戻そうと働きかけていたことが、神の使者としての2人の共通点だと思います

あるべき状態を神に見たのでしょうね
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おおむねNo.2のasterさんの回答でOKかと思いますが、


一部補足します。

>テレサとナイチンゲールの共通点は、「神の使命」を
>果たしたということです。ナイチンゲールは、参考ページ
>に簡単に触れられているように、「神の召命」を受けて
>います。テレサの方は、修道女となり、更に、伝道者と
>なったことで、神の召命を受けたということになります。

マザーテレサの伝記によると、彼女も啓示を受けて召命
されています。
神からの啓示だと私は記憶していたのですが、参考URL
の記述によると、イエス・キリストからの啓示であるよう
です。

ナイチンゲールについてはまだまだ勉強不足なのですが、
マザーテレサがカトリックという超巨大宗教組織の中で
組織的活動がうまくできていなかったということは、私
もそう感じていました。

マザーテレサは「神の愛の宣教者会」を設立しますが、
ほとんどの活動はこの彼女が作った組織でなされていた
ようで、ローマ教皇庁と密接なつながりがあったという
痕跡はあまり見られません。

推測ですが、組織の中で人間関係の軋轢の中で行動する
のではなく、神を信じて自分の道を進んでいたというよ
うに感じられます。

参考URL:http://rainbow.hotspace.jp/charity/missionaries. …
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まず、この説明は、キリスト教というものの基本的な考え方の或る面を把握しなければなりません。キリスト教には、世界宗教として、誰でもが納得できる部分と、そうでない部分があると、わたしは個人的には思っています。

誰でも納得できるというか、普遍的な「意味」を持つのは、おそらく、イエズスが「山上の垂訓」で述べた言葉にあるような、「貧しい者、悩んでいる者、苦しんでいる者、悲しんでいる者、迫害されている者」……そう言った人々にこそ、「救い」は必要で、神の恵みと救いはそう言った人々にこそ、意味がある。

また、イエズスの語った、神は、太陽の光を、悪しき者にも善き者にも分け隔てなく恵んでくださる、という「恵み」の平等の教え、救いの平等の教えが重要でしょう。それは、差別や社会的身分や民族や、実は、宗教をも越えて、人は平等に救われ、慰められる存在だという教えです。

キリストを信じない者にも、キリストを信じる者にも、神の恵みは平等にある、というのがイエズスの教えのエッセンスであったと思います。

テレサとナイチンゲールの共通点は、「神の使命」を果たしたということです。ナイチンゲールは、参考ページに簡単に触れられているように、「神の召命」を受けています。テレサの方は、修道女となり、更に、伝道者となったことで、神の召命を受けたということになります。

神の召命を受けるということは、神の使命を果たすために、自己のすべてを捧げるということです。「献身・奉仕」は神に向かい行われるのですが、神は、それを貧しき人、悲しんでいる人、苦しんでいる人に捧げよ、と使命を託しているので、つまり、世の苦しんでいる人に対し、献身し奉仕するということになります。

ナイチンゲールの場合、イギリスにおける衛生教育や知識の普及や、看護の技術や有効性の普及に、実践において、理論において献身した人で、キリスト教徒で、イギリス人の傷病兵を対象にしたようですが、国際赤十字のデュナンが評価しているように、その活動には、国境を超えたものがあり、実際、ナイチンゲールの理念や実践の規範は、後継者によって、世界の民族・宗教を超えた苦しんでいる人々の救済へと向けられています。

テレサは、西欧人ではなく、インドの貧しい人々に、心の平安を与えるため、民族・宗教の枠を超えて、イエズスの語った、「平等と恵み]の教えを実践したのだと言えます。

貧富の差別、民族の差別、宗教の差別を超えて、「人が人としてあることで、誰でもが、恵みや慰めや、人である尊厳を尊重される権利がある」。これはキリスト教の持つ普遍宗教としての教えですが、二人は、「人間の尊厳」を、尊重する活動に一生を献身し、平等にして侵犯しがたい「人間の尊厳」を、実践を通じて明らかにした、ということが共通しているのでしょう。

相手が誰であるかを区別することなく、困っている人のために尽くしたということは、人類の平等や融和のために尽くしたということです。

ただ、奉仕するだけなら、アメリカの軍人は、アメリカという国家の利益に奉仕し、ヒロシマに原爆を落とし、ヴェトナムで空爆を行うのです。あるいは、キリスト教の宣教師は、宣教先の異国の文化や宗教をキリスト教によって邪教として、教会や神に奉仕したとも言えます。

軍人も宣教師も、国家や教会のため、命を捧げて奉仕したといえますが、そこには、人間の平等や、すべての人の尊厳というようなものはありません。マザー・テレサに対しては、キリスト教伝道の教会の方針を無視する個人的行為が多すぎるという批判がありました。

テレサは、組織とは相性がよくなかったのです。フローレンスは、組織の構成者ということになりますが、テレサもフローレンスも、人間の平等と尊厳を明らかにし、そのために生涯を献身したということが共通でしょう。

>マザー・テレサ、愛と献身の生涯
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news2/mother01.h …

>ナイチンゲール(1820-1910)
http://www.ffortune.net/social/people/seiyo-mod/ …
 

参考URL:http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news2/mother01.html,http://www.ffortune.net/social/people/seiyo-mod/ …
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奉仕の精神じゃないでしょうか?



キリスト教的な考え方ですね~。
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