この人頭いいなと思ったエピソード

自己愛性人格障害というものがどうしても理解できません。

自己愛性人格障害
 アメリカ精神医学会 DSM-IV

 誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、
 共感の欠如の広範な様式で、成人期早期に始まり、
 種々の状況で明らかになる。

以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。


自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績やオ能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。

限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。

過剰な賞賛を求める。

特権意識つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。

しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。

尊大で傲慢な行勤 または態度。

何度か同様の質問で述べ散るように私は過去に町沢静夫から「自己愛性人格障害」の診断を下されています。

しかし上記に関して言えばひとつも当て嵌まるものはありません。
(そもそもこのような人間が存在すること自体が不可解です)

いったい「自己愛性人格障害」というものは、
このチェックリストにかすりもしなくてもそのような診断が成されるものなのでしょうか?

町沢にこのように診断されて以降このことが頭を離れません。

A 回答 (7件)

変な診断をされたら誰でも頭から離れなくなるのではないかと思います。

医師は明確な説明をするべきですよね。

>このチェックリストにかすりもしなくてもそのような診断が成されるものなのでしょうか?
自己認識というものは結構歪みやすくて、でもそれは多かれ少なかれほとんどの人がやっていることだと思います。だから、自分で自分のことを答える質問紙というものは当然歪みが生じます。そういう意味では、自己診断でかすりもしない診断が実際は正しいという可能性もあると思います。

しかし、精神科の診断なんてほんとアバウトなもので、医師の趣味が多分に反映されるのではないかと思います。

特に町沢さんのような流行に敏感な目立ちたがり屋は(彼自身が自己愛性人格障害のチェックリストに結構はまるのでは・・・)そのときのマイブームに診断名が左右されるのではないでしょうか。解離性同一性障害が流行っていた頃は、彼のクライエントはみんな解離性同一性障害になる、という噂を聞いたこともあります。loser_blueさんが行った頃はボーダーから自己愛に興味が移っていたのかもしれませんね・・・。
まぁ、プラス思考で考えれば、そのような医師にへたに長く関わるよりはよかったのかもしれませんよ。

この回答への補足

人は誰でも己が何者であるかを知るのは困難です。
けれども、世の中で、対人関係で「生き辛さ」を痛感しているものにとって
その原因を知ることは必要不可欠なことと思います。

そこで
>自己認識というものは結構歪みやすくて、でもそれは多かれ少なかれほとんどの人がやっていることだと思います。だから、自分で自分のことを答える質問紙というものは当然歪みが生じます。そういう意味では、自己診断でかすりもしない診断が実際は正しいという可能性もあると思います。

・・・ですが、哲学的な意味でなく、
「自己を知る」ということは一体どのような状態をいうのでしょう・・・

すみません、反論ではなく質問です。

補足日時:2007/08/15 00:15
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この回答へのお礼

snakesoulさん。いつもお忙しい中根気よくお付き合いくださってありがとうございます。

思わず笑ってしまいました。
医者の「マイブーム」とは(笑)

いやあそうかもしれません。
別に冗談でもなんでもなく、あり得ることです。
私をよく知っている友人は、町沢さん自身がボーダーじゃないかと言っています・・・

ええ。結局2年間都心から大船まで通いましたが、
2年目の暮に、今年いっぱいでここを辞めて東京の某病院に勤務することになったから、継続を希望するなら構わないということを言われました。
無論通うのは近くなる訳ですが、もうそれ以前から潮時かなと考えていたので、その時を期におさらばしました。

snakesoulさん仰る通りです。

お礼日時:2007/08/14 23:41

#6です。


>本当の「自己を知る」ということは果たして可能でしょうか?
:言動の拠ってくるところは基本的には無意識によるものと思いますので、「自己を知る」ことはなかなか難しいような気がします。
しかし、知らなくても納得することは可能ではないかという気もまたします。
納得するということは自らの意志を信じることにもつながりそうですが、難しいですね。
また矛盾と捉えられるかもしれませんが、言動の源泉は無意識だが、その無意識に影響を与えうるものとしての意志は存在できるのではないかという妄想も抱いているところです。

無意識は過去の記憶により醸成されますが意志は現在進行形で意識できます。
無論、その意志さえも無意識に左右されているに違いはないのですが、過去を過去として明確に認識することによって無意識を意識化することも可能になるかもしれません。
意識化された過去は現在の意識(=意志)によって乗り越えることが可能になるのではないかという気がするわけです。
 
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この回答へのお礼

未来と過去の関係に絡めてのお答え、ありがとうございました。
いろいろ考えさせられました。
また質問の際にはお立ち寄りください。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/15 23:05

>こういう心理分析において、正しいとか間違いというのはどういう基準なのでしょうか?


:無責任なようですが、細部の分析が正しいかどうかの確信は私の場合全く持てません。
その意味で完全な素人なわけです。
あくまでひとつの可能性を述べているにすぎません。
ただ、大局的な視点というものはあります。

人が生まれてくるということは無から有を為すということですが、その生命はいずれ再びの無(=死)に還元されます。
つまり、人は無に帰するものとして今を生きているわけで、生死両方のエネルギーを内蔵していると捉えるのが自然ではないかと思います。
両方のエネルギーが拮抗状態(バランス)を保ちつつ、わずかながら生のエネルギーのほうが勝っているという状態ではないかと考えられます。
そこには(#3さんもおっしゃっておられるように)少なからず自己愛が存在するわけで、自己愛が皆無ということは死を意味するはずです。
ただ、他者にも自己愛があるわけで、自己愛同士がぶつかり合った際にどのような調整が行なわれるかということだろうと思います。
この自己愛というのは(誰しも持っているわけなので)非常に曖昧な概念で、他者との関係性という点において障碍の原因と判断される場合があるものなのでしょう。

先にも述べましたが、こういった自己愛は人にとって必須の感情のはずです。
人が生得的に持っている愛情エネルギーをリビドーと呼ぶことはご存知かもしれませんが、このリビドーは他者(他物)へ纏綿されることによって満足を得るという方法も必要とするようです。
おそらく自己の存在が他との関係性の中でより成立し得ないものだからではないかと思われますが、この他者への纏綿を阻害する要素として人は種々の抑圧を受けることがあります。
理性、いわゆる超自我による善悪の判断を獲得するために必要な過程でもあるわけですが、適度の抑圧(あるいは禁制)ということが難しいため、往々にして過剰な抑圧を人は体験することになります。
過剰に抑圧されたもの(=リビドー)は、吐き出されなければ生体にとっての危機を招来します。
他者への(肉体的・精神的)暴力となる場合もありますし、内向して神経症となる場合もあります。
無論、昇華という形態をとり文化・文明を生み出す源泉ともなっているわけですが、基本的に全ての人は、程度の差こそあれ暴力者か神経症者かのどちらか、あるいは両方の要素を必ず内包しているものである、というのが私の考え方です。
そういった視点で考えると、自己愛性人格障碍というものがあるとすれば、それは受けてきた何らかの抑圧から自らを解放するひとつの手段としか思えなくなります。
抑圧が過剰であったからこそ、解放されるためには過剰な力(=自己への過剰な愛)が必要になる。
loser_blueさんの場合は、自己に対して強迫的な完璧性を求めているがゆえに、自己への愛が中途半端な過剰性によって彩られることを拒絶し、あたかも自己への強烈な否定であるかのように映る場合もある、ということではないかと思ったわけです。
根拠は先に述べてきたとおりですが、端的に言うと、基本的には本当の意味で自己を否定したいと指向する生命体は存在しないと思うからです。
 

この回答への補足

先の回答にかかれていた

>「見捨てられ不安が強すぎて、過剰な評価を獲得するほどの自分でなければ安心感を得ることができないので、そうなる前の中途半端な自分を強く否定する」といったところでしょうか。

これには大いに考えさせられました。

hakobuluさんだってお暇ではないでしょう、
ところがそれを仕事にしている医師からこのような丁寧かつ鋭い分析が全く為されないと言うのはどういうことなのか理解に苦しみます。
「忙しいから!」っていうなら、一体「何に」忙しいのでしょう?

補足日時:2007/08/15 00:10
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この回答へのお礼

このような「リビドー」説を伺うたびに、頷いてしまいます。
私自身昔から「愛すること」「愛されること」=恋愛と言うことに限定されない人間としての肯定というか愛情のことです。
への欠乏感というものが常に心の奥底に横たわっていたように自覚しています。
本当にこの自己愛の運命を考えると「悲しい」としか言いようがありません。本来他者に向けられるべきものがその対象が不在なため、仕方なく戻ってきて引きこもってしまう。
充たされざる愛情でしょうか?

しかし町沢説は脇に置いておくとしても、

現在のわたしの人間関係の不都合について、
或いは改善の糸口について、
hakobuluさんはなにかご意見をお持ちでしょうか?

或いは本当の「自己を知る」ということは果たして可能でしょうか?

hakobuluさんのご回答は何度も読み返して理解を深めたいと思います。

重ねてお礼いたします。

お礼日時:2007/08/15 00:07

専門家ではありませんので自信はありませんが、単に視点の問題ということとはまた違うのでしょうか。


自己愛性人格障碍のチエックリストを拝見しましたが、共通するのは自己に対する過剰な評価と言えるのでしょう。
しかし、この「客観的な過剰さ」が過剰と認識されていないからこそ「障碍」と位置づけられるということなのだと思います。

ところで、loser_blueさんの場合、そういった過剰な評価を求めるあまり、ご自身が『「過剰な評価を受けるべき自己」として未完成である』という認識がもしかすると無意識的にせよ存在するという解釈は無理があるでしょうか。
つまり、「自己愛が強すぎるあまり、未だ過剰な評価をされるに至っていない自分自身を激しく否定してしまう」
という構図です。
さらに言えば、「見捨てられ不安が強すぎて、過剰な評価を獲得するほどの自分でなければ安心感を得ることができないので、そうなる前の中途半端な自分を強く否定する」といったところでしょうか。

その町沢某なる人物の見立て違いかもしれませんが、そうでないとすればこのような解釈も可能になるだろうか、と愚考してみた次第です。
例によって推測でしか回答できませんがご寛恕のほどを。

器質的精神病とは異なり、あらゆる神経症の芽は誰しもが抱えていると考えるのが誤りを招かない基本的な姿勢だろうと考えます。
つまり程度の差なわけですが、視点の転換によって心理状況はかなり変化するものではないかという気がしています。
 
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この回答へのお礼

いつもご回答ありがとうございます。

私は最近このカテで、同様の問題について、いろいろなシチュエーションでの質問をして、hakobuluさん始め色々な方からのご指摘を受け、
昔町沢氏に言われた「自己愛」云々について、医者からは得られなかった解説をしていただきました。そして、単に「傷つくのが怖い」ということの裏返しだけでない、「プライドの高さ」「気位の高さ」のようなものが潜んでいるのかもしれないと思うようになりました。

hakobuluさんの書かれているような分析はついにどの医者からも得ることはできませんでした。
町沢氏は単に診断名を放って寄越しただけでその背景には一切の説明はありませんでした。
このカテで、みなさんから度々医者では得られなかった適切な分析。解説を受け、色々と自己を省みることが出来ます。

ところで、私はこの回答をかなり鋭い指摘だし、そういう可能性も多いに考えられると思うのですが、

こういう心理分析において、正しいとか間違いというのはどういう基準なのでしょうか?

「有名な」某医師が誤っていて、hakobuluさんが正しかったということだってあり得るわけです。
(少なくとも当人の実感としてはそうです)

差し支えなければご意見お聞かせください。

お礼日時:2007/08/13 22:41

やばいです。


全てに該当しました。

町沢氏(実は誰か知らない)とのカウンセリングをシュミレーションしました。

##########
自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績やオ能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。
-->そんな事言ったって自分にとって自分がこの世で一番重要じゃないですか。

限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
-->理想を持たずに生きている人間がいるんですか?

自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
-->一生自分と向き合って生きていかなきゃなんないのだからこれ以上特別な存在なんています?

過剰な賞賛を求める。
-->だれだって人からほめられればうれしいじゃないですか。過剰といいますが、では適正をどうやって計るんですか?

特権意識つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
-->そりゃだれだって自分の思い通りに人が動いてくれることを望むじゃないですか。

対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
-->だって人間の社会は多かれ少なかれそのようなシステムじゃないですか。

共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
-->共感なんて簡単に言いますが、それが出来れば戦争はなくなりますよ。

しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
-->そりゃ私だってお金持ちになりたいし、今度生まれ変わるならキムタクに転生したいよ。

尊大で傲慢な行勤 または態度。
-->ああそうでしょうよ。私は傲慢ですよ。座右の銘は天上天下唯我独尊ですよ。

#######

こんな感じでした。
心理的な要素(怒り、悲しみ、嫉妬、傲慢、やさしさ、謙虚さ、等々)は誰も似たりよったじゃないでしょうか。
違うのはその要素の強弱であり、この強弱を私たちは個性と呼ぶんじゃないでしょうか。
だから言い換えれば全ての人は”自己愛性人格”ともいえるんじゃないでしょうか。
もちろんそれが他人とのコミュニケーションをするうえで”障害”となれば”自己愛性人格障害”になるのでしょうが、私に言わせればそんなことカウンセラーに指摘していただく必要はなく、自覚によって自分を律していくのでご心配なくって感じですかね。
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この回答へのお礼

shift-2007さんは仮にこれ全てに該当したと言っても問題ないですよ。

>もちろんそれが他人とのコミュニケーションをするうえで”障害”となれば”自己愛性人格障害”になるのでしょうが、私に言わせればそんなことカウンセラーに指摘していただく必要はなく、自覚によって自分を律していくのでご心配なくって感じですかね。

仰る通り!

いつもありがとうございます。

お礼日時:2007/08/13 17:47

再びです。

ども。

私は彼にお目にかかった事はないのでやっぱりよくはわからないし、こうだ!とは言えませんが、私もチェックリスト見てみたら結構あてはまっているのもありました。
(今は「諦め」を自分で覚えたのか制御できている部分があるので、一番乱れていた時だったら境界性に当てはまっていたかも?橋から飛び降りしようとしてイザとなったら怖くてできませんでしたがw)

でも、精神科では「ストレスためないでね~」で終わった私の症状は不安障害なんじゃないのかなーと書籍からも感じましたね。一時は自律神経失調症?という感じもしておりました。とにかくストレスだと感じたらお腹が痛くなったり。頭痛がしたり。

ここの回答者様の方がよく分析してくれたと思っているのでしたら、
「あれは悪夢だったのだ」と町沢氏から投げられた言葉は
極力考えないほうが心のためかもしれませんね。

自分が過ごしやすいように時には都合良く解釈して過ごしてしまうのも、
周りに迷惑をかけないのであれば、アリだと私は思いますね。

私も今、色々と否定されたらまた発狂すると思います(泣)。

素人なため望むような回答はできてないと思いますが、こんな人もいるのかと思っていただければ・・。
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この回答へのお礼

再びご回答ありがとうございます。
あなたも医者では苦い経験をなされているのですね。

確かに仰る通り、医師の診断が絶対であると言うことはありませんからね。
自分が納得できる説明を採った方がいいのかな・・・

確かに藪医者の言い分にいつまでも拘っている必要もありませんね。

お礼日時:2007/08/13 15:55

先日町沢さんのボーダーラインの書籍を読みました。



もしかしたら、自分では当てはまっていないと思っている事が第三者が見ると当てはまっているのではないかなーと思ったりしました。
根拠もなしにデリケートな心の部分について
「病んでいますよ」なんて医師であれば特に言わないのではないかなー?
と思いました。

あまりカッとせず本人に
「どうして自分が当てはまっているのですか?そうは思えなくて気分を害しています」と納得するまで聞いてみては?
あなたが冷静を保っていられれば、説明してくれるかもしれませんよ?
改善へのために言わない方が良いとあちらが判断すれば、はぐらかされるかもしれませんし。

>このチェックリストにかすりもしなくてもそのような診断が成されるものなのでしょうか?
されないと思いますね。

※私は書籍を読んだだけで町沢さんの信者ではないです、私の事を敵だ!なんて思わないでくださいね。
辛いでしょうけど、医師を信頼できるようになると良いですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

この診断が下されたのはも10年ほど前のことです。
当事私は町沢氏の殆どの本を読んで、自分は間違いなく「ボーダーライン」パーソナリティーだ!と確信して、受診したところ、ボーダー説は一蹴されて、「あなた、自己愛性人格障害だよ」と。
現在でも、所謂町沢作成のボーダーラインのチェックリストでは80%に当てはまります。
そして何よりも嫌なのは、こちらが望んでも何故このような診断になるのかの説明をしてくれなかったことです。
「あなたは、自尊心が高すぎんだよ」
こちらは「自己否定感」に悩まされ自分に自信が持てなくてわざわざ遠くまで通っているのに・・・

カッとはしません。
話の通じない相手ですから。

私の自己愛についてはこの「心理学」のカテで一般の回答者の方が町沢氏などより遥かに分かり易く分析、解説してくれました。

それだけに医師の怠慢に腹が立ちます・・・

お礼日時:2007/08/13 15:26

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