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明治天皇に対立して即位したといわれる徳川幕府側の『東武天皇』(後の北白川能久親王)の天皇としての即位の正当性及び歴史上の天皇としての位置づけについて教えてください。

A 回答 (1件)

北白川宮能久親王は幕末維新当時、輪王寺宮門跡(公現法親王)でした。


代々の輪王寺宮は皇族出身でありながら主に東叡山(上野寛永寺)に常駐しており、幕府との
関係も浅からぬものがあります。
公現法親王も幕府の意を受けて新政府への働きかけを行ったことは事実だと思いますが、
新政府の江戸入府以後の一連の抵抗、例えば彰義隊の上野戦争や奥羽越列藩同盟などは、
旧幕府側の正式な指揮命令系統による組織的行動とは言えないと思います。ですから、
それらに擁立されたとされる公現法親王が、東武天皇などと自称したとしても、少なくとも
徳川幕府の擁立という前提自体が空疎です。
また、天皇としての即位の正当性や、新王朝ではないあくまでも古代以来の天皇の「伝統」の流れを
受け継ぐという立場を主張するなら、中世以降は天皇家の家長の承認が即位の前提であるし、
即位儀礼などの種々の手続きも必要だし、東武天皇がそれらの形式を踏んだとは到底思えない
ですよね。
但し、当時の社会に一定の影響や衝撃を与えたことは事実のようで、いわゆるトンデモ説の類
として片付けるのも問題だとは思います。
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