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中国、韓国には科挙という官吏登用制度がありました。
日本にこれとどうような制度があったのでしょうか?
なかったとしたらどうしてなかったのでしょうか?
中国の制度を取り入れるのが多いのですが。

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

日本の場合お家制度がありましたからね、


と思って調べてみたら日本でも平安時代に導入されたことがあったみたいですね。
でもたいした成果もなくすぐに廃れてしまったようです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E6%8C%99
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同様な制度がありました。


菅原道真は、方略策という最難関の官吏登用試験に合格し、
そして右大臣にまで出世しています。

律令国家が形成されるに従い、官僚組織も大きくなって官員を養成する機構・大学寮が
できました。
「近江令」に大学寮の名がありますから7世紀後半の話です。
大学の卒業試験に合格した者が官吏になる資格試験を受けて官員になっています。
試験に合格した者全員が官員になれたわけではなく、就職活動が大変だったことは、
「枕草子」にも出ています。

この制度は、律令国家の衰退とともに形骸化し、やがて消えてしまいました。

試験制度は「秀才試 明経試」「方略策」で検索してください。

枕草紙 第二十三段 すさまじきもの「除目」
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/makuranosousi. …
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こんにちは。

 #2の方が試験について書いておられます。 これを受験しようとして挫折した人の話を書いてみます。

空海というと日本における仏教の聖人として崇められていますが、最初から仏門に入ったのではありません。 おじさんを頼って京都に行き、《明経道》を学び、明経試に合格し官吏になろうとしたのです。 ところが二年で挫折し、大学寮を出て、今で言うヒッピーになって国を放浪しています。 

30才になった頃、おじさんから招きがあり、京都に行きます。 遣唐使として長安に行けとの命令でした。 本来はおじさんに遣唐使の辞令が出ていたのです。 ところが気が進まず、おじさんは無視していました。 それは東シナ海を横断する旅が当時の日本の航海術では危険だったからです。 

おじさんは自分の代わりにヒッピーでゴロゴロしていた甥の真魚(まお)さん(空海さんの俗名)を推薦しました。 人生に目標を失っていた真魚さんは危険な航海でしたが、これに賭けてみようと応募し、遣唐使になりました。 その後は誰でも知っている僧侶空海さんの人生です。 

日本において文官登用の制度が衰退したのは、武士が台頭し、権力が武士の手に握られたからです。 中国や朝鮮では科挙の制によって優れた官吏が育成されて来ました。 ですから、現在でもこの両国は優れた外交官を多く輩出しています。 

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B5%B7
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