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社会の中のコミュニティーで多い様に感じるのですが、「何々が嫌いな人もいるのだから止めて下さい」といったように、時には禁止化、時にはマナー化してそれを強要される場面が我々の生活の中で遭遇します。

例えば共同住宅などでペットを飼って良いのかの是非。最近のマンションではペット可のマンションなども出てきています。

例えばタバコの喫煙についての是非。近年は特に顕著になっています。条例化して禁止している自治体もあれば指定した場所での喫煙の強要(企業などで多い)、外でタバコを吸う時には携帯灰皿を持つべきだといったようなマナー化の強要などがありますね。

例えば公衆浴場。最近は大型銭湯、所謂スーパー銭湯などで多くお目に掛かる事が多いかと思いますが、「刺青が入っている方は入浴できません(結局のところ門前払いですね)」「湯船に浸かるには必ず体を洗ってから入浴してください」というような個人のライフスタイルを一切無視した禁止化、マナー化がまかり通っています。

その他にも例を挙げていけば色々と事例が出てきそうですね。

こうやって例を陳列していくとぶち当たるのが、禁止およびマナー化に至るまでの背後には、必ずといっていいほどそのコミュニティー内の人々の中でそれが嫌い、あれも嫌いという一種のクレーマーが存在することも絶対条件です。多数派なら納得もいくかと思いますが少数派でもそれは成立する。

私は、これらの例を挙げてみて自分なりに考えた時、社会福祉政策としての『弱者の擁護』に当てはめて考えると、意外とあっさり問題は解決するのかなと思いました。
だからといって、制限されている側が強者というわけではないと思います。

企業にとってみれば『リスク管理』の一端でしかないことも社会にでて、まず勉強したことです。

私は社会学に関しては殆ど知識が無いといってもいいでしょう。
だから皆さんの意見が必要不可欠だと思いました。

しかしこのまま私の持論を結論付けるとするとなると

~が嫌いな人=社会的弱者(仮)と定義付け、その救済措置としてのライフスタイルの制限化、禁止化、マナー化の強要が、当該コミュにティーの中で発生していると考えてしまいます。

私は弱者だからといってそれをどうこう言う資格はありません。国の施策ですから、なるほどと頷くしかないのです。

こんな現状を理解するためには上記のような弱者化して社会を捉えることが本当に真であるのか、自信が無いのでどうか皆さんで意見をいただきたく質問させていただきました。

長文駄文で申し訳ありません。

A 回答 (4件)

以前、三歳の子供が近所の喫茶店に勝手に入っていってしまうので、一緒に入って、喫茶店で珈琲を注文していたことがあります。


あるとき、店の店員さんに言われました。「従業員の中にも子どもの嫌いな人もいるので・・」それ以来、子供がせがんでも、店には行きませんでした。
現在、その喫茶店はつぶれて、店の前にはぽうぽうと草が生え放題です。

社会的弱者を装って、拒否すると、自然の流れや人の流れは向きを変えます。批判を加えると、その人たちとの関係は終わり、繁栄するものも繁栄しないのです。
社会的弱者を装うことは、社会に負けたことに近いでしょう。
人との関係において、できたらお願いはしないほうがいいのはありますよ。
近所づきあいでもそうですね。騒音で、うるさいから、といいに行けば、確かにそのときから、気をつけてもらえるだろうけれど、段々向こうも批判の目でこちらを眺めるようになります。
結果として、逆にこちらの家の事で苦情を受けたり、悪口を言われていづらくなったりします。
まあ、大人なら哀願はやめたほうがいいでしょう。
子供がいやなら、お子様お断り、と張り紙でもすればいいことです。
自分たちの趣味の範疇でやっている仕事だから、うまく行かなくなるのでしょう。
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この回答へのお礼

早々のコメントありがとうございます。

>「従業員の中にも子どもの嫌いな人もいるので・・」

これはまさに良い事例ですね。

私はこの手の強要には誰かしらの主観的独断が含まれているように感じます。

個人を尊重しようという風潮のなか、制限を加えることについては個人のライフスタイルを干渉するものに過ぎません。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/14 00:59

寂しいのは分かりますが、”釣り”は止めましょう。



>共同住宅などでペットを飼って良いのかの是非。

鳴き声、臭い、修繕、などでのトラブルがあるからです。
嫌いとか弱者云々は関係ありません。
(そりゃ、オーナーが動物嫌い、と言うのはあるでしょうが、話しが違います。)

>例えばタバコの喫煙についての是非。

嫌い云々、ではなく健康被害があるからです。
例えばダイオキシンを撒き散らす施設が近所にあったら抗議しますよね?
同じことです。
(まあ、ダイオキシン大好き、不健康で結構。という方には通じませんが)
それをライフスタイルと呼ぶの?

>例えば公衆浴場

これについては笑止です。
個人のライフスタイルはマナーを守って上で存在できるものです。
マナーを守らないで「ライフスタイルだから」と押し通すのはただの無法者です。
(チンピラですね。)
入れ墨(たとえタトゥー(笑)であっても)他の人が嫌悪感や恐怖を感じるのであれば、
銭湯の経営者の判断で拒否できます。(客を選ぶ権利があります。)

ま、これも無用なトラブルを避ける為ですが。

体を洗って云々は・・・(笑)
自分の家の風呂でやってください。


なお、あなたの持論(笑)である『弱者の擁護』は至極当然の事です。
(少なくとも強要ではありません。)

ペットは一戸建てで買えばいいし、タバコは自分の家で吸えばいい、
風呂は自分の家に設置して、かけ湯もせずに好き放題入ればいい。
入れ墨を体中に入れるのも自由です。

ただ。人とのかかわりをもつ以上、マナーは守れという事です。


構ってもらいたいのは分かりますけどね。
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この回答へのお礼

参考にします

お礼日時:2007/10/14 02:20

然るに。


どのドメインレベルでどういうルールにしようかという。
また、そのファクターに「リスク」がある場合、
・全く影響なく生きたい人の権利をどう考えるか。
 その脅威から逃れる選択が可能かどうか?
・その「リスク」をあえて行使したい人は、どこか別場所など
 個人スペースでは行使できるかどうか?
それだけの話であるような気がします。

例えば、繁華街での路上喫煙禁止。
これはOKでしょう。私は喫煙者ですが、煙を吸いたくない人が
吸わない権利。重要だと思います。
昨今は医療技術の発達で、他の病気で死ににくくなってますから。
喫煙死亡者数などの数字が上がっているのでしょう。
国家が成長した成果であり、いい傾向だと思います。

石綿の問題や、耐震建築の問題、ディーゼルエンジンの問題や
飲酒運転の問題なども然りでしょうか。

要は、好き嫌いではなく「それをしたくない人が、逃れられるか」と
言う視野で見たほうがいいと思います。


別途、入浴施設の刺青の問題などは別だと思います。
これは、ドメインが小さいのでどちらかというと「製品ブランド
戦略」の考え方です。
その施設は、刺青のお客様を除くことでの安心感を売りとし、
ご老人や子どもなど幅広い年齢層をターゲットにしているのでしょう。

これは、高級レストランで「ネクタイなし禁止」とか。
「一見さんお断り」のレベルであり。
風呂に入りたければ、家の風呂に入ればよし。
レストランで食べられなければ、別の店や、自宅でシェフを呼べば
いいのだと思います。

パブリックドメインの論理では「強者」「弱者」ではなく。
リスク回避性の問題。
クローズドドメインの論理性では「強者」「弱者」ではなく。
「ブランド戦略」「ポリシー」。

この違いだと思いますので、マクロとミクロを両方を同一視する
ことは、正しくないような気がします。

某団体で、アニメの1シーンを上げて「世界の終末」の理論定義に
上げていましたが、あれと同じになっちゃいますよ?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。理路整然として抜かりのない回答、感服いたしました。

>好き嫌いではなく「それをしたくない人が、逃れられるか」と
言う視野で見たほうがいいと思います。

私も大きく頷いてしまいました。私はまだ視野が狭かったようです。お恥ずかしい。

やはり今の時代、キーとなっているものこそがリスク管理なんですね。
会社でもよく言われております。コンプライアンスがどうのだとか。

「製品ブランド戦略」についてもよくわかりました。そういった束縛が店にとっては安心感を取得できることにも繫がるわけですね。

>某団体で、アニメの1シーンを上げて「世界の終末」の理論定義に
>上げていましたが、あれと同じになっちゃいますよ?

よろしければ詳しく教えてください。

お礼日時:2007/10/14 02:33

No.3です。



>やはり今の時代、キーとなっているものこそがリスク管理
この視点も深く考えてみましょう。
ちょっと認識が違います。もっと深いです。

「リスク管理」はあくまでも広告の一種で宣伝です。
以前の昭和の時代を考えますと。
1970年以降の「三種の神器」「大量生産」の普及。
1990年以降の「IT革命」をはじめとする情報媒体の普及。
コンビニも派遣労働法も、男女機会均等、中国の市場開放もそう
ですかね。
ま、簡単に言えば大化の改新と、江戸幕府確立と、黒船来航ぐらいの
ビッグイベントがここ数十年にシレっとおこり。
これらが揃ったことで、我々は万人「生活不便」から安価で救われ
るようになりました。

そうして、皆様が暇になったので。
モノも揃ったので。揃える見通しもつくので。
ニーズがズバリ「個人の安全、安心、健康、多様性」への時代に
シフトしてます。
ここを忘れてはいけません。

私はIT業なので企業さんと接し感じ、よく感じますが。
「リスク管理」ってのは、あくまで「弊社はちゃんとしてますよ」と
いうだけの単なる社内外へのアピールであり宣伝です。
リスク管理なんて情報を集めなければしなくていいんです。
でも、お客を知るために、One To One マーケティングをする
必要があって、仕方なしにやっていると考えたほうがいいでしょう。

単にモノを作っても売れない成熟・老年・IT社会に対し、
・いままでのモノだけの提供をしようとするので売れない。
・そもそも個人嗜好やブランド(印象)でモノが売れる時代なので
 販売が安定しないから雇用が安定できない。

だからリスク管理や情報化でお金を使う必要があり。
国は国民に禁煙だ、飲酒運転だ、年金だと、今までの不健全性を
改めるアピールをする必要があり。
雇用不安以外の不安として、ご自身やご家庭以外の悩みが皆様
希薄である。
そういう話だと思います。

宮崎県の県知事の昨今のご活躍は、今の時代を表わすいい一例
でしょう。


さて。一方で。
>某団体で、アニメの1シーンを上げて「世界の終末」の理論定義に
>上げていました。
これについては、某有名宗教系団体が「風の谷のナウシカ」の最後の
オウムという虫に助けられるシーンを持ってきて、「目覚めよ」と
昔にやっていたことがありまして、パンフをもらったことがあります。

アニメのシーンはあくまで芸術の表現というドメイン。
世紀末とか云々というのは現実というドメインです。
思考のドメイン(範疇)を誤りますと、いろいろな意味で危険です。


結びとして。
我々はどうしても過去の経験知から行動して違和感を感じてしまい
ますが。もう、昭和は終わってるんですよね。

だから、
・生活から解放されたので晩婚化は起こる。
・ブランド戦略で多種多様なポリシーを持った店舗もできる。
・路上喫煙から飲酒運転まで規制される。
・派遣でしか経営が成り立たなくなる。
・テロ組織や企業を含め、世に影響を与える団体規模が小さくても
 なりたっている。
・セキュリティなどが注目される。
・本サイトのように「見ず知らずのどこの奴か判らん人への
 公衆相談ができる
・ビリーザブートキャンプが流行る(笑)

ま、数々の昭和では考えられない新しいことがおこるわけなんですね。
けど、これは環境変化による当たり前の結果であります。

さて、この先、
・地上波デジタル化などをはじめ無線通信の整理が進み、
 無料電話、移動体通信が普及する。
・がんなど慢性疾患の死亡者数が減り、長寿社会に対する
 ビジネス的な破たんの危機が迫る。
・地震の予測など新たなコンテンツが生まれている。
・温暖化懸念から自動車産業、エネルギー産業は変化を求められる。
…などなど、多くの変化が待っています。

このように何がしか変化が起こるとき。
かつてであれば30年前の論理で物事を片づけて、いいの悪いの
批判してもよかったのですが。
今は、そういう論理自身が時代遅れ。

30年前は「江戸時代」程度に思ったほうがいいかもしれません。

私ども含め皆様も、こういう論点で物事を見ないと。
今の政治やマスコミのように、インターネットなど自由情報思考に
どんどこ置いて行かれますよということだと思います。

久々の夜更かしついでに考えてみました。
ご回答まで。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。

ここまで親切丁寧に教えてくれるひとなど、なかなかいませんでした。

私は頭が固かったようですね。

何度読み返しても参考になります。

>雇用不安以外の不安として、ご自身やご家庭以外の悩みが皆様
希薄である。

この辺りなんかも頷けますね。

私も自分ひとりで熟考してしまう癖があるので、客観的事実を知ることができて本当に良かったです。

再度お礼を言わせてください、ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/14 18:27

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