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大学は昔に卒業しております。
でも、一つだけ、未だに気になることがあります。

それは、現代文(現代国語)の「読解法」です。
予備校講師によって、読み方・解き方が違います。

でも、同じ問題の解答を照らし合わせてみれば、
記号系は、殆ど変わらず解が同じです。
記述系は、若干論点が違いますが、どれも正答と言えそうです。

つまり、目指す山頂(正答)は一つであり、
それを目指すための登山道(解のプロセス)は違う、
という感じを持ちます。

例えば「論理」という言葉一つでも、
講師によって違う感じがします。

私は元代ゼミ出身なので代ゼミに偏ってしまいますが、
酒井敏行 先生=つなぐ・わける(二項対立ベース)
出口 汪 先生=繰り返し(というのでしょうか?)
笹井厚志 先生=傍線部分を分かりやすく言い換える(SぐW)
福田清盛 先生=○○論などの話のパターンを教える
        (昔は、そう教えてましたが、今はわかりません)
など、究極では同じなのか、又は全く違う概念なのか、
分かりません。上記の先生方は、お世話になった恩師です。

質問です。予備校講師の方々が指摘する「論理」とは、
突き詰めて考えると同じなのでしょうか?違うのでしょうか?
又は、「全てこんなの論理じゃない、テクニック」と
思うのでしょうか?

現代文(評論)にお詳しい方のご指摘を
お待ちしております。以上です。

A 回答 (1件)

そうです、そうです、山頂は一緒です。

極端なことを言うと、人生も同じなんです。色んなわからないこと、悔しいことなどもすべて、「無償の愛(与えるだけの愛)」を注げる人になるためなんです。
ミュージシャンと文学者など、異文化と言われる人たちの対談が組まれるのも、結局、どの道を歩もうが、同じ境地に行く(つまり、気が合う)、自分自身の幸せ、充実と、他人の幸せ、充実(共存共栄)、ひいては、人類全体の幸せに行き着くんです。正常に人間が成長すれば。
ちょっと宗教的なテーマになりましたが、「論理」をネット辞書で調べてみました。「考え方や構築の仕方」ということでしょうか。読解法というものがあるんですか。言葉でいわれると考えてしまいますが、要するに、「何をいってるかを理解する」ということですか? また、自分から発信していく? でしたら結局は「人生経験を積む」以外の方法では、本当の意味では、理解、把握、実感することは難しいのではないでしょうか。
「論理」を説明するのに、方法や言葉が人によって変わって来るのは、自然なことです。むしろ、はっきり「こう」と言えないのが、学問の特徴なのではないでしょうか。つまり、感じ取ってほしい、「そういうもの」というものをつかんで欲しいのではないでしょうか。辞書を引いて、「いまいちわからない」ことは、それ自体、「言葉で表現することが難しい」ことでしょうし。例えば「詩って、どんなもの?」と聞かれて説明しても、されればされるほど、相手が混乱するでしょう。むしろ、「詩を見せる」ほうが、早いです。そして、その人自身に詩を理解する心を持ってもらう。「音楽って何?」も同じです。音楽を聞かせる方が早いわけです。ですが、不思議ですね。言葉なのに、言葉で表現しにくいもの、というのは。それは、結局「言葉」が、「名づけるもの」だからではないでしょうか。「りんご」と言っても、イメージのなかで、りんごが浮かぶだけです。りんご自体にはなれない、「それをさすもの」が、「言葉」なのでは。
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