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東野圭吾氏の「白夜行」と「幻夜」を読みました。
様々な感想をネット上で読んだのですが、自分には「雪穂=美冬」
ということが結局最後まで分かりませんでした。。
この本の中で「雪穂=美冬」だと思われる部分がどこにあったのか
どなたか教えてください。
読み終わった今、どうしてももやもやした感じが取れなくて
気持ちが悪いです。。
よろしくお願いします!

A 回答 (2件)

ちょっと違った観点から。

『幻夜』の文庫解説は黒川博行氏ですが、この最後の部分、東野氏との会話が載せられています。
ネタバレになるのでちょっと引用できませんが、『幻夜』の続編について東野氏は黒川氏に「書くべきや」と勧められています。
この部分で僕としては、黒川氏の想定(「雪穂」=「美冬」)を東野氏が暗黙のうちに肯定しているのではないか、と読みました。
つまり、ややぼかしてはいるものの、この二人は同一人物である、ということでいいのかな、と。しかし、東野氏の性格からいって、これも確実とは言えません。なぜなら、全て承知の上で「似ている別人」として描き、読者が同一人物かどうか推理するのを楽しんでいるかもしれないからです。
つまり、#1さんのお示しになったサイトにもあるように、どちらとも取れる、というのが答えになります。
また、上記のことを一切考えず、僕個人の感触をそのまま表現するなら、『白夜行』と『幻夜』はテーマが違い、よって別人であると感じます。
『白夜行』は、心情を描かないというのをガジェットにしています。ということは、逆に言えば『白夜行』に描かれた「雪穂」の生き方からは、「描かないほうがより伝わりやすい(効果がある)心情」が浮かび上がってくるはずなのです。
あれを読んだ人はおおかたが、雪穂と亮司に感情移入するでしょう。そして、「孤独」と「悲哀」が伝わってくると思います。
ここには、狂気のごとくありながらも、紙一重で狂気に堕していない人間が書かれている、と考えます。
(つまり、そういう微妙な心情こそ、描かないほうが伝わりやすく、「狂気」という実態こそが、描いたほうがわかりやすい、ということなので)『幻夜』の「美冬」では「狂気」がテーマとして「描かれている」と思うわけです。
確かに『白夜行』以降の「雪穂」が狂気に堕すこともありえますが、あれほど強く結びついた二人が、あのくらいで『幻夜』的狂気に堕ちる(または昇りつめる)ことがあるでしょうか。
また、ラストのシーン(引用できないのでページ数を言うとpp.764-70)に見られる「美冬」の姿は、徹底的なまでに『白夜行』を超克しようとしています(作者がそう意図しているように見えます)。
それは、前作の延長としての超克ではなく、別のベクトルとしての描き方であるように思えてなりません。特に「トラウマ」云々のセリフなど、作者の主張であるのが明らかですし、「太陽」なども意味深です。(前作は「白夜」がテーマでした。これは違和感のあるセリフです)
……と、色々考え方がある、というお答えしかできませんが、ご参考になりましたでしょか。
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こちらはお読みになりましたか?



http://from1985.pekori.to/keigotaku/byaku_gen/by …

明確な記述というよりは、周辺の状況などから推察できるとの結論です。

参考URL:http://from1985.pekori.to/keigotaku/byaku_gen/by …
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