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明治9年の熊本神風連の乱についてですが、
三島由紀夫の小説などでは、彼らは文明開化を嫌い
「電線の下を通るとき扇子を広げたり、紙幣を箸で挟んでやりとりしたりした」
などとありましたが、
明治9年の熊本に電線があったのでしょうか?
まだガス磴の時代ではなかったかと思います。
もしあったとしたら、ダムもあったのでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

もちろん、こんな所にも電信線があるのですから、熊本市内ならばあるはずです。


http://seinan1877.hp.infoseek.co.jp/tabaru3/taba …
(田原坂の写真)

恐らく、出来立ての電信線を見て、空気が悪くなったと思ったのでしょう。また、新政府の紙幣すら気分を害したようです。

徴兵制の導入の際、戦争は武士の仕事だと士族は大反発しますが、
西郷は、詰め寄る士族を前に「俺一人で全ての責任を取る」とがぜん引かず、士族はやむを得ず引き取ります。

ここに万民徴兵制度が遂に完成します。
新政府軍に加わり裕福になる希望が無くなり、廃刀令で遂に士族は各地で暴動を起こします。(武士は全員がだまされたのだ)

そして西郷を旗頭に担ぎあげます。
>「俺一人で全ての責任を取る」

自分の言葉に最後まで責任を取り、
征韓論は、貧困した武士を救いたい。新たな領地を与えたい。
こんな願いがあったような気がします。

鹿児島に戻ったのは、こんな理由があったと思います。
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当時の熊本には電線も電報もありました



新風連は熊本鎮台の司令官・種田少将の妾宅を襲って寝ていた種田を切り殺し一緒にいた妾に傷を負わせて逃走しました

妾は電信受付所に駆け込んで役所に「旦那はいけない、私は手傷」と電報を打ったのは有名な話です

非常の場合とは言え庶民の女性でも電報を打てたのですからテレガラヒはある程度まで普及していたのでは無いでしょうか
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質問者様のご指摘通り、明治9年の熊本に「送電線」は存在しなかったでしょう。

日本最初の水力発電所は、明治21年に稼動したとされています。
http://www.gijyutu.com/ooki/tanken/tanken2003/sa …

一方、明治9年の熊本に、電報を送るための電信線が空中に架設されていた可能性はあります。確実なことは言えませんが。

電報
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%A0%B1
1869年12月25日 : 東京~横浜間の国内電報が開始される。
1871年 : Great Northern Telecom 大北電信会社(デンマーク資本)による長崎~上海、長崎~ウラジオストック間の海底電信線敷設。国際電報が開始される。
1873年 : 東京~長崎間の国内電報が開始。大北電信会社とも接続され、逓信省による国際電報の託送が開始された。以後、国内各地への電信線の敷設が急速に進められた。

1873年は、明治6年に当たります。熊本は長崎から遠くありません。
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http://www.wakhok.ac.jp/~maruyama/hoku99/node2.h …

1871年には、日本の電信は、長崎-ウラジオストク、長崎-上海、それでインドを経由して、ヨーロッパとつながっています。
明治四年には、海外とも繋がっています。

http://park.org/Japan/NTT/DM/html_ht/HT873010_j. …
1873年明治6年には 東京=長崎 が 電信線開通。
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電灯線


ではなくて、電信線の事かと思われます。
1869年の段階で東京=横浜間で電信線が引かれています。

電力供給の意味では
http://www.city.kyoto.jp/suido/sosuirekishi-1.htm
これが日本での最初ではなかったかな?
1891年に発電開始のようです
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