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北方領土問題の原因は、
(1)サンフランシスコ条約第2条の千島列島の領有権の記述で、日本が放棄した千島列島の範囲が不明確だったのが最も大きな原因であると考えて良いのでしょうか。

(2)第2条の千島列島の記述は、サンフランシスコ講和会議をソ連代表が脱会した後にアメリカが書き加えた、というのは事実でしょうか。

(3)アメリカが千島列島の範囲を曖昧に記述した理由は、将来日本がソ連に接近しないように、将来日ソ両国間に領土問題が発生するよう問題の火種を植え付けておくのが目的だった、と考えて良いのでしょうか。

A 回答 (3件)

下記はあるサイトからの引用です。

参考になれば幸いです。


終戦前から始まっていた米ソの確執は、1950年6月の朝鮮戦
争勃発を境に明確な対立となった。米国は日本を共産主義の防
波堤にすべく、サンフランシスコ講和会議において対日講和を
希望する国すべてを集めて、一括締結するという戦略を採った。

この時に、米国全権代表ジョン・フォスター・ダレスが採用
した戦略が、日本側に千島列島を放棄させておいて、しかもそ
の帰属先を決めない、という巧妙なやり方で、日ソの間に諍い
の種を蒔いておくというものだった。

アンドレイ・グロムイコ・ソ連全権代表は、ダレスの策略に
乗って、講和会議には出席したものの、北方領土におけるソ連
の主権が認められなかった事を不満に、講和条約には調印せず
に帰国してしまった。

逆に日本側は、吉田茂全権が受諾演説において、主権放棄し
た千島列島には、日本固有の領土である4島は含まれない、と
の指摘を行い、講和条約に調印した48カ国のどこからもこれ
に関する異論は提出されなかった。

ソ連側は、その後、北方領土領有の根拠として、ヤルタ協定
と並んで、このサンフランシスコ講和条約を上げるが、この条
約はソ連自体が調印しておらず、また4島が含まれていないと
いう日本側指摘にどこからも異議がなかった事から、その主張
には国際法上の根拠はない。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2007/12/20 00:01

 最大の原因は日ソ中立条約を無視して侵攻したことでしょう。

侵攻してこなければ対してこじれることはなかったと思います。裏には、ヤルタ協定でのソ連の対日参戦の条件としてアメリカが南樺太の返還と千島の引渡しを約束していたことがあげられます。
 サンフランシスコでは、吉田茂は歯舞・色丹までが北海道の一部であると表明したはずです。その後、日ソ共同宣言の交渉等のなかで、当初、歯舞・色丹のみを返還するとしていたソ連側の回答に対して、日本は国後・択捉も返還するように要求します。少なくとも手元の辞書にはそうあります。
 もう一つの原因は千島列島の認識の差ではないでしょうか。ソ連側としては千島列島に国後も択捉も含まれるとしたいのでしょうが、日本としては、日露和親条約にて国境が定められたこと。つづく樺太・千島交換条約で千島に国後や択捉が含まれていないことなどから、国後も択捉も日本の国土であるという認識があるのだと思います。私は日本人ですので、日本の国土であるという認識でいます。
 またアメリカはこの辺りをどう認識しているかは知りませんが、千島列島の放棄はソ連への配慮等もあったのでしょう。これはヤルタ協定・ポツダム宣言に基づくものだと思われます。これらの前段階をないものとして、あらたに書き加える必要性を私は感じません。また、ソ連が接近しないようにというのも、ポツダム宣言で千島列島の日本軍はソ連に降伏するよう定められた時点で、ソ連の占領が始まってるわけですから、理由としては希薄に感じられてなりません。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2007/12/20 00:02

北方領土の問題は、明治以前にロシアが勝手に自分の領土を拡張したのが、原因です。

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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2007/12/20 00:01

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