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従来,江戸時代は強固な身分制のもと,百姓,町人間の移動は困難だとう認識が強かったと思いますが,実際に百姓,町人の身分間の移動は法令等で禁止されていたのかなという疑問がわいてきました。単なる民衆の「慣習」として「身分は変わることはできないと」と認識されていたのか?それとも法令では禁止されたのか?
「帰農令」等,改革で百姓(農民)を江戸から農村にかえすような命令も出ているので結構移動していた可能性があると思うんですが,これは人別帳などは書き換えず,不法に移動してたのでしょうか?

そこで質問ですが
(1)百姓,町人の身分間の移動は実際には法令等で禁止されていたのか?
(2)たとえば百姓から町人(逆の場合も)なるときには正式にはどのような手続きがなされたのか?もし法令等で禁止されているのであれば,不法に身分を変わっていたのか。
このことについて詳しい方ぜひ回答をよろしくお願いします。

A 回答 (3件)

ご質問の答ですが、


(1) 禁止されておりません。
(2) 特に手続きなどはありません。大名や旗本に正規の武士として召抱えられ、あるいは御家人以上の幕臣に登用されれば、出身が百姓だろうが町人だろうが「自動的に武士身分を獲得」しました。この身分は世襲されます。
「御家人株を買う」というのは、実際は「カネを出して、御家人の養子になる」ことを指します。町人や百姓の出身者を武士が養子にすることは禁じられていませんでしたので、これが可能であり、俗に「御家人株の売買」と言われていました。

質問者様は既にご存じのようですが、「江戸時代は強固な身分制のもと,百姓,町人間の移動は困難」という歴史認識は既に過去のものです。明治時代に、江戸時代を暗黒時代に見せるためにそのような歴史教育がなされたようですが、実態は異なりました。江戸時代というのは、現代人が想像する以上に風通しが良く公正な社会でした。

そして、
「百姓が、『御家人株を買う』などの『裏技』を使わなくても、実力と運があれば、正真正銘の武士になる」
ことすら可能でした。その実例を紹介します。

江戸の訴訟 御宿村一件顛末
高橋 敏 (著)
岩波新書
http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81 …

という本があります。これは、相模国のある村の名主が、村で起きた事件について江戸に出て訴訟を起こし、目的を達成した経緯を詳しく書いた本ですが、この本の中には

「その庄屋の兄は、その土地の領主である旗本、
本郷泰固 (訴訟の当時は将軍の御側衆。後に若年寄に上り、1万石の大名となる)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%83%B7% …
の用人を務めていた」

ことが記されています。

「旗本家の用人」というのは「大名家の家老」に相当する地位であり、この事例のように「御側衆を務める旗本の用人」であれば、諸大名の江戸留守居役や江戸家老と対等に交渉し、陳情を受けます。そのような地位に「百姓出身者」が就いているわけです。この用人が、どのような経緯で領主である旗本に仕官し、用人の地位まで出世したのかは既に歴史の霧の彼方で知る術がなく、この本にも記載がありません。
※ 歴々の旗本であり、若年寄にまで昇って大名に列せられた本郷泰固の子孫も現在では不明である旨、前掲書に書いてあります。

この回答への補足

大変詳しい回答をありがとうございました。
武士になるには手続きはないとのことですが,百姓→町人(またはその逆)ではおそらく人別帳や宗門人別改め帳などの書き換えが生じるのでは?と思うのですがどうなんでしょうか?

補足日時:2008/01/20 15:18
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 ご質問の趣旨は「百姓←→町人」の身分移動が自由であったかということだと思います。

 
 そのものズバリの「百姓←→町人」の身分移動はダメという法令、禁止令の類はないと思います。しかし、【幕府や諸藩の基盤は、農民からの貢租に立っています】。ですから、それの確保のためにいろいろな分野で農民を統制し、事実上、身分移動は大変難しくなっています。
下のURLは「大城村郷土史」ですが、この村の歴史的史料からも、その辺のところが、伺えます。
http://snkcda.cool.ne.jp/ohokisi/main.html
●「田畑永代売買禁止令」・・・寛永二十年幕府より発令。農民の移動困難。
●「分地制限令」・・・寛文十三年幕府より発令。効果は上に同じ。
●質入・書入・寄附地の制限・・・土地の処分がしにくい→農民の移動困難。
●耕作物に対する制限
●移転転職の自由に対する制限 
●生活上の制限 働け、節約、旅行制限、無益の遊民の存在を調査してその処置
●連帯責任制度 村掟オキテや五人組制度の制定
●宗教の統制 寺受制度 寺社奉行のもとへ在方よりは毎年人別帳・踏絵・誓紙を改めて提出した。人別帳などはキチンとその都度修正されていたと思います。
小商人について「村は不具病身者に限り終身之を許し他に許さす」と史料にあって、農村に商人の居住を禁じ続けたなかにも、こうした特殊な境遇のものには終身許すようになって行ったらしいです。
しかしながら、だんだんと趨勢に抗しがたくなったということでしょう。
こういう、しっかりとした郷土史をじっくり読んで、小さい村の実態を見てみてみると、当時の感じが伺えますでしょう。
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この回答へのお礼

郷土史を読み込んでいくと言う方法もあるんですね。
ありがとうございました!

お礼日時:2009/01/24 14:54

身分移動は禁止されてはいません。


百姓から町人になるのは簡単でした。町に住むことを認められれば町人です。
また村の百姓が足軽や中間などになるのもよくあることでしたし、江戸などでも渡り奉公人などは雇用されていれば武士階級、失業しているときは町人です。
手続きといっても雇用されて武士身分として把握されているか、町人・百姓として把握されているかの違いにしかすぎません。
武家奉公人よりもっとちゃんとした武士である御家人クラスでも株として売買されていましたし、この場合は株を買って支配頭に届け出れば終りです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
武家奉公人となれば武士になるので確かに移動はできたと言うことですよね。

お礼日時:2009/01/24 14:55

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