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先日なにを見ること無しにつけたテレビで
中山仁さんとか佐久間良子さんとかが舞台劇をやっていました。

一人のせりふがとても長くてたいへんだなぁ~と思いました。
と同時にテレビドラマでない、「迫力」を感じました。

ところで、こおした名のお売れた俳優さんたちは
どうして舞台に出演するのでしょうか?

テレビドラマなら、簡単だしギャラのいいと思うのですが。
ほんと舞台劇てたいへんだなぁ~と思います。

A 回答 (3件)

役者でないので分かりませんが、鑑賞者としての立場で・・・


「朱雀家の滅亡」をご覧になったのではありませんか?
凄かったですね・・・
私は、俳優人の演技力はもとより、三島由紀夫の台詞回しの芸術性に圧倒されて、どういう感性と頭脳を持っていれば、こんな金襴の織物のような見事な台詞が綴れるのだろう、と、心から感服しました。
やはり、昔の知識人というのは偉いものです・・・

テレビ劇と舞台劇といったら、違いは様々あるでしょう。
たとえば、台詞回しの大時代な感じ。
現代劇であるとしても、立て板に水で淀みなく喋り続ける台詞の数々は、長いだけに係り受けも複雑で、一つの役柄が1回の台詞を喋り終えるまで、台詞の意味が分からないほどです。
こんなことは、テレビドラマではありえませんね。

でも、なんといっても、質問者様も感じておられる「テレビドラマでない迫力」、これがその最たるものなのではないでしょうか。
質問者様は、舞台劇をテレビ中継や録画でなく、本当に舞台でご覧になったことがありますか?
もし、なければ、ぜひご覧になることをお勧めします。
そうすれば、たぶん、役者がどうして「舞台」に魅せられるのかが、肌身でお分かりになると思いますよ。

私たち鑑賞者が、舞台に、映像にはない迫力を感じて総毛だつのと同様に、いえ、たぶんそれ以上に、役者は、カメラとスタッフの前でなく、観客の前で、生み出すはしから消費されていく自らの演技というものの瞬時性に、たとえようもない緊張感と興奮を覚えていると思うのです。
放映されて、ホントか嘘か分からない視聴率が出るまで、評価の良し悪しが分からないテレビドラマよりも、たった今言った台詞が観客の胸を打ったか打たないか、間が良かったのか悪かったのか、ウケたかスベったか、全てが瞬時にフィードバックされる舞台劇には、「一期一会」の言葉を待つまでもなく、役者にとって、こたえられない緊迫したエキサイトがあるのではないでしょうか。
撮り直しのきかない一発勝負!
NG!と言われてペロッと舌を出して、ドラマのエンディングタイトルと同時にご愛嬌で流される映像とは違うのです。
甘えの利かない世界。
怖いけど、それだけに、捻じ伏せたい!という意欲をそそりますよね、きっと。

観客が、役者の息遣いを生で聞き、ほとばしる汗を目の当たりに見たい、と切望して舞台に足を運ぶように、役者もまた、観客の生の溜息や啜り泣き、笑い声が聞きたい、観客席の熱を感じたいのではないでしょうか。

それに、テレビドラマや映画の撮影は、セットの都合から、同一セットや衣装を使う場面はまとめて撮る、ということがあるので、ストーリー進行とは無関係に、シーンごと、カットごとに、役者は気分を切り替えて演じなければなりません。
恋人同士が同じ公園でデートしてる場面と別れ話をしてる場面とを撮らないといけないとしたら、たった今までラブラブ気分でいちゃいちゃしていたのを、「はいカット、次、別れのシーンね」というので、いきなり涙声になって、「どうして!?どうしてなの!?私のことは遊びだったのね~~!!!」となるわけです。
・・・シラケますよね^^;
でも、舞台は、ストーリーと演技が必ず同時進行します。
もちろん、回想シーンというのも入りますが、それでさえ、ある程度の長さのシークエンスを保つので、役者は自分の役柄に入り込んで、テンションを維持できるので、本当に役が自分にのりうつったような感じがするのかもしれません。

もう一つには、・・・もしかしたら、俳優としてのステイタスという、ぶっちゃけた身も蓋もない問題もあるのかもしれません。
俳優業の人々は、どこかに、映像俳優よりも舞台俳優のほうが格が上、本格演技派は舞台へ行くもの、という価値観をもっているように思います。
(もともと舞台役者が映像界へ来ると、初めは演技過剰になりがちで、どうしても浮くみたいですけどね^^;)
舞台演劇のごまかしの利かなさ、というところからくるのかどうか・・・
または舞台演劇のほうが歴史があるから、ということかもしれません。
三島由紀夫にしろ寺山修司にしろ、果てはシェイクスピアまで・・・舞台演劇の脚本(戯曲)には、様々な名曲とされるものがありますし、そういうものが、俳優の征服欲をそそるのかもしれません。

映像演劇には、また、舞台演劇にない良さがあります。
納得のいくまで撮り直して演じきれる。
アップの効果を期待して、微妙な表情や目の演技が生かせる。
繰り返し鑑賞されることを前提として、2度目、3度目に見て初めて「ああ、こういうことだったのか!」と了解されるような弱く繊細な複線を張れる。
芸術性を追及しやすいのはむしろ映像演劇かもしれませんね。

でも、俳優が舞台に情熱を燃やすのには、上記に幾つか示したことや、そのほかにも、舞台にしかない良さがあるからなのでしょうね、きっと。
俳優業に限らず、どんな仕事でもそうですが、お金がたくさん儲かってラク、という仕事にだけ、人間は喜びを見出すのではありませんね。
やりがいというのがそういうことなのでしょう。
困難な仕事だからこそ自分の力でやり遂げてみたい、捻じ伏せてみたい。
お金がたくさん入るかどうかなんてどうだっていい。
そんな意欲を掻き立てる仕事に出会えた人は、それをやらずにはいられないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

まず、あなたの素晴らしい回答文章に驚きました。
この人は、いったい何者だろうかと。
(多分大学の教授なのでしょう)

そして舞台俳優が舞台に立つ理由やたち続ける
エネルギーがなんなのかが理解する事ができました。

もうすでに、名が売れていて、こちらから勝手な思い込みでしょうが
食うに困らないような俳優がどんなインセンティブがあるにせよ
あれだけの演技台詞が出来る事はたいしたものだと思いました。

あの番組の時は、他に見たい番組があったので
ほんの数十分くらいでチャンネルを変えちゃいましたけど・・(^^ゞ

今度機会があれば一度舞台劇を生でみてみたいと思わせるには
十分な迫力でした。(チケットが高いだろうなぁ~(笑)

また、どうしてもテレビドラマの方を下にみちゃいますよね。
中には、これはと言うようなテレビドラマも数少ないですが
あるにはありますが・・・
白い巨頭とか・・

私的には、そうしたテレビドラマの安ぽい物に
出演している俳優なんかを
はたして「女優」と言うのに値するのかとさえ
思っています。

やっぱりあの舞台をみたらあれが
俳優だと言う感じがしますよね。
今の時代にヒットするしないは、あんまり価値観としては
関係が無い気がします。

お礼日時:2008/02/23 13:29

舞台は、同じ芝居を1ヶ月間公演するとしても、


毎日が、いえいえ、毎公演がちがいます。
役者自身のコンディションもちがいますし、
気持の微妙なちがいが、セリフのちょっとした言い回しに
出てしまったりします。
また、そのときそのときのお客様と共有する空間の空気が
役者には、とても大きいと思います。
お客様との「あうんの呼吸」でしょうか。
そういった意味からも、
舞台は「生き物」なんです。

それが、役者にとっても、その公演にかかわるすべての人にとって、
醍醐味であると思います。

お客様からいただく拍手は、役者にとって、スタッフにとって、
「あぁ、役者をやってきて良かった!」
「舞台に生きてきて良かった!」と
感動と共に思わせていただけるものです。
だから、一回一回の舞台が真剣勝負。

一度、お客様からの拍手をいただくと
「舞台はやめられない!」って言いますものね♪
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
だいぶ分かってきました。
楽して?稼げる仕事より、むしろ 有名で実力のある俳優ほど
舞台にやりがいをみいだすのでしょうね。

お金が全てに優先すると考えていた
自分を訂正しないといけないと思いました。

お礼日時:2008/02/26 15:04

こんばんは



そうですね、簡単に言うと
舞台でしか得られないものがあるからです

舞台は魔物ですし
生ものです
それが怖いところでもありますが、他のテレビドラマや映画では得られないものがあるんです

それが役者にとっては経験と言うものになります
失敗も成功も経験ですね
それを繰り返して成長していくわけです

それともう一つですが
舞台の場合、役者もスタッフも一つの家族と言う感覚が強くなります
テレビドラマですとそこで出演がない役者さんは現場に居ませんが
舞台の場合はみんなそろっていますよね
そこで、横のつながりが出来てきます
そうすると、そこからのツテで他の仕事につながっていくことも
十分ありますので
その分のメリットもあるでしょうね

ご参考までに
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ギャラよりも仕事のやりがいとか感動が
最大のインセンティブなのですね。

お礼日時:2008/02/24 16:30

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