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小学校の広報誌を校正している時に「男子」や「女子」
といった表現は差別用語と見なされるので使わないよう
にと注意を受けました。

私はそれについて聞いたことが無かったため戸惑って
しまいました。

実際、新聞や放送などではこれらの表現も差別表現と
解されるのでしょうか?

A 回答 (15件中1~10件)

補足ですが、放送では概ね「注意を要する言葉」とされています。


「表現上、不適切なものとならないようにする。」ということで、「男尊女卑」とならなければ全く問題なく使われる言葉です。
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言葉そのものは差別用語ではありません。

「使い方に注意しなければならない言葉」です。
「男女同権」「性差尊重」の「考え方」によります。
学校であれば、例えば学校行事などで、男女同じことをするのであれば、「児童」「生徒」、一方、健康診断などで、男女を分けなければならない場合などでは、「男子児童(生徒)」「女子児童(生徒)」と明確に使い分けます。
問題となるのは、「男子~」「女子~」などの「表現」です。例えば「男子は掃除がきちんとできていない。」「女子は授業中私語が多い。」などの表現が問題となります。たしかに性差により、こうなる「傾向」はありますが、だからといって、それぞれが皆、そうではありませんから、このような表現は「不適切」とされます。
差別表現は一つ一つの言葉によるものは少なく、言葉の使い方により形成されるものがほとんどです。使い方によっては問題となる言葉「注意を要する言葉」を合わせると、優に5000語を超えます。
NHKより、「NHKことばのハンドブック」という、アナウンサー向けの本が一般発売されています。一読されることをお勧めします。
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> 放送や報道では「男子」及び「女子」という単語を一律に規制する


> という基準があるかどうかという事について具体的に知りたいので
> それについての情報を引き続きお待ちしております。

下記ページを見る限り、そういうものはなさそうですね ( ^^

朝日新聞社 - ルーヴル美術館展 フランス宮廷の美
http://www.asahi.com/louvre08/guide/
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差別語だと迄は捉えませんが、そもそも"子"でなく「男性」「女性」で代替可能なのに「何故敢て(性ではなく)子に拘るのか?」との印象は抱きますね。


因みに[教えて!goo]の文章検索機能を使って検索した処、http://oshiete1.goo.ne.jp/qa98065.html の政治のカテでのNO7さんが奈良女子大の例に触れておられたので、念の為同女子大のHPをググって見ました。
その結果URLはhttp://www.nara-wu.ac.jp/ となっており漢字表記の場合のみ女子としているものの、"wu"をURL組込んでいる点で女性と同義なのを認識しているのは先ず間違いないと確信を得ました。(苦笑)

何れにせよ、「(差別の視点との観点からではなく)時代の趨勢との観点からは言換(or書)換えは多少なりとも進むのではなかろうか?」とは私自身としては思込んではいます。

寧ろ、"整合性を持っていそうではないと、の捉え方からすると病院の医療機関の婦人科を女性科にするのが先!!"と思えてならぬですが、如何でしょうか?

尚他に、http://oshiete1.goo.ne.jp/qa55638.html その他(社会)のカテで「女子なんか」という云々とのタイトルのと質問がなされていたのを付記して、今回のカキコみを閉じます。
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断じて差別用語ではありません。

差別用語なわけがありません。
「男子100メートル競走」「女子バレー」「男子トイレ」「女子更衣室」など無数に使用されています。

前後の文脈から「男子」「女子」を区別する必要がないため、「六年生の男子児童から~という意見が提出されており、学校側で検討した結果~」という文章の中の「男子」を削除するのは、いわゆる「推敲」「校正」の話であって、「差別」かどうかは無関係です。No.6様のご回答にあるように、文脈次第では、意見を出した生徒の性別が重要な情報になることもあります。

ですから、無駄な表現を整理整頓して、簡潔な文章にするという趣旨のご指摘であれば受け入れられますが、理由が「差別」となると話は違います。

「差別」といわれると穏やかではありません。徹底的に反論すべきです。そうした指摘をする人は多少なりともジェンダーフリーのイデオロギーの影響を受けていることが多いです。とにかく「差別だ」というと相手は黙ると思っているのです。イデオロギーの押し付けほど不愉快、迷惑なことはありません。

まず、そのご指摘の中でいうところの「差別」の定義(意味)を説明してもらいましょう。辞書的な意味ではなく、「ここでいう『差別』とはどういう意味ですか?」ということです。そこで支離滅裂な定義付けをしていたら、「その定義自体がおかしいのでは?」と反論しましょう。この手の人は、放っておくとどんどんエスカレートしますから、注意が必要です。特に教育界には多いです。

この回答への補足

多くの方に回答頂きまして大変感謝しております。

実はその後に他所で校正を受け、「男子」「女子」を省いた文章では
問題点が明確にならないため「男子」「女子」の表現を的確にして
下さいと言われました。

つまり省いてはダメという事でした。

一般的には状況や文脈などで差別的な表現とされるかどうか分かれる
とは思いますが、一律では無いため難しい問題だと思います。

私が今知りたいのは「放送の具体的対応基準」です。

放送や報道では「男子」及び「女子」という単語を一律に規制する
という基準があるかどうかという事について具体的に知りたいので
それについての情報を引き続きお待ちしております。

宜しくお願い致します。

補足日時:2008/03/18 10:42
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こんばんは。



呼び方が問題ではなく、その使われる言葉のコンテクスト(背景)によりますし、「差別用語」として、単なる言葉狩りをしても、それを殊更に肥大化することで、物事や人間関係がギクシャクするのではないかと思います。

小池百合子氏の「女子の本懐」と言うように、「男子」「女子」の子は、子供の「子」の意味ではなく、接尾辞です。男・女が、肉体的な性を表すなら、男子・女子は、社会的な性を現すものだといえます。

学校の性別差別撤廃というのは、「ジェンダーフリー」という運動のひとつに出てきたと思います。

その運動として、

男子と女子の名前の順序を、男子が先で女子が後に言う順番をなくす。
「○○くん」「○○さん」という性別による区分けをなくす。
男子たちだけ、女子だけの授業をなくす。
また、良く言われる着替えの男女同室というのも、あるように思います。(最後のは、「ジェンダーフリー」と関係があるのかは知りません)

ただ、子供の世界も、性徴によって、性別(ジェンダー)というものは、微妙な問題に発展してきますから、あまり、教育者たちが、イデオロギー(本人たちは思っていないでしょうけれども)としている考え方を、子供たちや、その親たちに発表したり実行するのは、軽率の誹りは免れ得ないと思います。

子供たちにも、一定の年齢を過ぎると、子供たちに逆に負担を増やしてしまうのではないか、と思っています。

私も、ある会報紙は読んではいたのですが、それは、一種の理想論ですし、それは、大人の世界(教職員の労働者としての権利)の問題と子供の世界の問題とは同じにはならないと思うのです。それを、「男子」や「女子」の表現は差別用語だとするには極端すぎますし、常識からは外れていると思います。

ジェンダーは、また社会的性といわれるように、残念ながら、社会的にはどちらかに割り振られるものです。そういう点で、それを教育者たちだけの世界で、ジェンダーのない(Free)世界をあえて作ってしまうということには、非現実的で私としてはチュウチョします。だからと言って、一部の「ジェンダーフリー」反対論者のような極端な批判をするつもりはありません。

確かに、この日本の社会では、先進国の中では、非常に女性の社会的に進出や動向に対して、差別的であるのは言うまでもありません。しかし、それと、教育の現場の「ジェンターフリー」の本質に、男女差別の撤廃にあるとしても、一体、そのような言葉狩りに意味があるのでしょうか?一体、どのような説明が出来るのでしょうか?

「男子」「女子」とまとめてくくられて、どこがいけないのでしょうか?私は、一部の大脳生理学の研究者が言うような脳の性分化論を鵜呑みにするつもりはありませんが、しかし、社会生活における性別意識(ジェンダー・アイデンティティ)自体は、否定しようがないものなのだと思うのです。その意識の始まりは、もう小学校に入る前から出来上がってきているのです。(一部では、議論があるようですが)

大人の現実の世界を、子供たちに直接、見聞きさせることは出来ないとしても、彼らが否定しても、現実離れした、自分たちのイデオロギーを教育の場で実現させようとしているしか思えない実態に、教育の外にいる人間としては、非常にギャップを感じてしまいます。
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広報誌ということは、想定する読者は主として児童の保護者だと思います。

多分問題はそこでしょう。

何しろ今は、「義務教育なのだから給食費を自治体が負担するのは当然」として、堂々と支払いを拒むことさえ可能?な世の中ですから、保護者のすべてが常識人であるという前提に立つことは、学校側にとって非常に危険であると言えます。不用意に「男・女」等の記述を用いると、どこから男女差別だなどと言いがかりが付くか分かったものではありません。ですから、仮に「必然性がない限り性別に関する言葉の使用を避けよ」とのお達しが出たとしても、何等不思議はない気がします。

【以下余談】
私の小学生時代、悪さを働いた児童にぴんたを食らわせるのは、先生の大事な仕事でした。そうやって子供達は社会性や公徳心などを身に付けて行ったわけで、何度引っ叩かれても先生を逆恨みするような子供はほとんどいませんでした。もし罰を受けた子供が家に帰って親に不満を訴えてみたところで、「当たり前だ!」と一蹴されたし、下手をすれば、その場で更にもう一発食らうのが落ちだったでしょう。それが今では‥(笑)

現代の教育現場に携わる人々の苦労は、並大抵ではないと思います ( ^^
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差別表現になるわけがありません。



頭でっかちで、事なかれ主義で、フェミニズムを表面でしか理解せず、人を教える立場にありながら物事を本質で考える能力がなく、差別とか人権とか平等とかいった言葉遊びが大好きな教師がいる学校に、あなたは通っているということですね。
残念ながら。
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男子、女子が差別語なら、父と母も、兄と弟も、姉と妹も、男と女も、生徒と先生も、部下と上司も、師と弟子も、子供と大人も、新幹線と鈍行も、高尾山と富士山も、福田や麻生や小泉や安倍と一般庶民も、大きいと小さいも、狭いと広いも、金持ちと貧乏人も、幸せと不幸も、不味いと美味しいも、安全と不安も、遅いと早いも、正常と異常も、悪徳と正義も、太めと細めも、汚いときれいも、上と下も、右と左も、東と西も、前と後ろも、老獪と若さも、古いと新しいも、骨董と新品も、ビールと甘酒も、梅干しと蜂蜜も、砂糖と塩も、酸いも甘いも、妻と夫も、貴方と私も、、、数限りなく差別語でしょう。

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>「六年生の男子児童から~という意見が提出されており、学校側で検討した結果~」という文章の中の「男子」がマズイという事でした。


>本文中の内容ではなく「男子」「女子」という言葉の表現が性差別であるという指摘でした。

 男子児童から寄せられた意見の内容が、児童の性別が関係したり、読者にとって児童の性別があったほうが理解しやすい場合には、「男子児童」としたほうが良いですが、そうでなければ単に「児童」としたほうが良いと思います。
 例えば、男子児童から寄せられた意見が、トイレの改善や体操着の着替え、健康診断に関するものであれば、「男子児童」としたほうが相応しいように思います。
 他方、寄せられた意見が、図書室の蔵書に関するものや、運動場や体育館の施設に関するものなどについては性別は重要ではないので「児童」としたほうが相応しいと思います。

 「男子」「女子」という言葉自体は差別用語ではありませんが、不必要に性別を記載しているようでしたら、それは性差別をしていることになると思います。
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