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最近ニュースなどで話題になっているチベット問題ですが、どういう内容なのかイマイチ理解出来ません。
チベット問題について詳しく教えてください。

A 回答 (10件)

 西欧のゲルマン移動から十字軍、大航海時代を通って、列強の植民地分割主義、物質的近代文明の嵐の被害や影響はアメリカ大陸からインド、中国、そしてアジアと地球全体に広がってきました。


 勿論功罪両方ではありましょうが。その中でよかれ悪しかれ、中原の中国も大きな波に洗われました。
 でも国と権力の強大な影響力問題点の反省は第二次大戦やその戦後における状況から認識しなければなりません。
 中国もやはり、中原を本体として、周辺の小民族には協力互恵の関係が強く望まれます。
 チベットの曽っての社会状況や支配状況については勿論近代的観点からは問題があろうが、だからといって、その中に乱暴な介入をしていくことは避けなければならないと存じます。
 中原中国は、異質・異文化だからこそ、そして中原中国の強大な力を考えてもっとソフトな仕方が望まれて已みません。
 尊敬する文化と思想の中原中国が、落ち着きと冷静さを取り戻して、世界の中で東洋の素晴しさ、文化と思想の担い手として機能していくことを望みます。
 チベットにはもっと大国としての思いやりさが欲しいと存じます。
 でも大きすぎる領域と人口をまとめていくために、いろいろおかしなことが執り行われているのです。もっと自分の本拠の戻ってもらいたいのです。そして硬直的な○○主義に固守しないで開いてもらいたい。
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サンデー毎日4/13号:


本当に怖いのは「ウイグル』のテロリストだ!
の記事は
真実性があるように思えます・・
ダライ・ラマは
口では中国との平和的共存を訴えてるが、
彼の指示の下で動く、
亡命者らは
中国への攻撃活動をし続けている・・・

密教、イスラム教が
いつの間にやらカルト化されてしまった組織ではないのでしょうか・・

昔の映画でのチベット仏教僧は
とても経験で慎み深い物腰をされてるのに比べると・・
このダライ・ラマは
アヘン戦争時、
日本が朝鮮や清に
要請もあってお手伝い参戦するときに
インド・アヘンで大儲けした英ジャーディン・マセソン商会の母国イギリスと協定を結んでる・・

かなり・・
謀略家の国、宗教を衣にはしてるものの・・

気をつけないと、
また、、大やけどをさせられてしまう・・

桑原桑原・・
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チベット問題を理解しようと思えば、まず、今で言う「中国」が他民族国家だということを頭に入れとかないといけません。

イメージ的にはヨーロッパ全体が(今いる移民の人たちも含めて)ひとつの中央集権国家に属しているような感じでしょうか。
中学や高校の歴史で習ったように、中国は当初「中原(黄河中流域の内陸部)」だけで国家として成立してたのが、歴史を下るに連れてどんどん膨らんでいって、日本では武士が実権を握る頃から近代にかけて、元・明・清と地中海に通じるほどの大きな軍事国家に成長しました。
チベットの悲劇は、周辺の朝鮮やベトナムと違い、チベット仏教(チベットの支配者)そのものもが、元・明・清歴代王朝の支配者とべったりくっついてたことに起因しているように思います。チベット仏教はチベット人ばかりではなく、モンゴル人や満州人の心を深くとらえ、現在の主流派は中国の支配階級をパトロンとして彼らと一体となり、その力を背景にチベットでの内部抗争を勝ち抜いて、チベット内での権力を確立しました。だから漢族中心の国民党や共産党にとって、チベット支配者は清朝の異民族支配と一心同体の敵なんですね。当然、打倒の対象になりました。
ところが、清朝も終りの方になるとイギリスやらがインド方面からチベットに手を出してきて、チベットも独立を宣言したりして、話がグチャグチャになってきます。同じチベット仏教を信仰するモンゴルが、ロシアの素早い侵攻でモンゴル共和国になってしまったのと対象的に、イギリスはインドの独立やらで大変、アメリカは何とかしたいけどちょっと都合が、、、とか色々事情が重なって、結局は人民解放軍が侵攻して支配してしまいました。その後は冷戦時代の中国包囲網とかあって、ダライラマ師もアメリカの切り札みたいに政治的に利用されたりして、いまだに混乱が続いています。チベットの宗教指導者と貴族が支配していた時期も、決して民主的でも何でもない農奴制宗教国家みたいなもんやから、ダライラマ師が帰国して地域を治めれば解決するような単純なものではない。
そやけど、中国もこんだけ貧富の差が大きくなって、社会的不公平・不平等がはびこると、暴動も起きますよ!前回のチベット「騒乱」は、天安門事件と同じような時期だし、単純な宗教問題・民族問題でないのは確かです。
チベットの人たち、がんばって!
今回の暴動はとっても効果的だったけど、お寺の坊さんや漢族資本家・共産党官僚たちに騙されないで、平和な安全な民主的な自治を手に入れてください。信仰と政治は別!
書くのくたびれましたので、この辺で終わります。
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ANo.4さんの答えについて。


ほぼそのとおりだと思いますが、
高度な自治とは、外交・軍事以外の全てであって、「独立」ではありません。
現在、中国は、「ダライ・ラマは嘘を言っていて、本当は独立を企んでいるのだ」と主張しています。つまり、「高度な自治」は断る口実にはなっていないのです。
本当に中国は「高度な自治」すらも受け入れられないのか、
それとも、本当に「ダライ・ラマは嘘つき」と信じているのか、
それはわかりませんが、ひょっとしたら「高度な自治」ならば
受け入れるかもしれません。
チベット亡命政府が正式に「独立」ではなく「高度な自治」を目標に変更したのは、90年代後半だったように記憶しています。
現在のチベット亡命政府の主張は、ダライ・ラマ法王日本事務所のサイトがあるので、そちらのサイトを見たほうがいいでしょう。

その他、書籍を読まれることをオススメします。
「ワイルドスワン」(チベットにも多大の被害をもたらした「文革」がわかります。) 
「雪の国からの亡命」
など。

ネットなんぞは、「嘘を嘘と見抜ける人」でないと、騙されますよー。

参考URL:http://www.tibethouse.jp/
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一部の回答に、中国共産党の模範解答がありませね。


アメリカ政府が存在を公表した、中国政府傘下のネット監視組織の人でしようか?
この理論で考えると、現在の中国は「モンゴルの領土」となりますが・・・。

そういえば、パンチェン・ラマは何処にいるのでしようか?
中国政府は、厳重な保護下にある!との回答ですが・・・。
外部との接触を絶ってまで、保護する必要があるのでしようか?
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to ANo.1


無知にも限界があると思うが。。。

<1949年 中国が独立国であったチベットを侵略

チベットは、唐代~宋など、確かにある意味では独立した国と言えるが、清朝以後、つまり琉球王国が明治政府に強制合併される300年前、すでに中華帝国の民となったのである。


<1951年 中国がチベットを武力制圧・併合
1951年、毛沢東政府と14世ダライがいわゆる17条協定を結び、
ダライ地方政府の役人など(寺院および貴族など)の地位および利権を保障する代わり、ダライ・ラマ様が投降するという内容でした。
(チベット語と中国語で記されているものもあるが、
当然ながら、貴方様にはわからないでしょうね)

<1959年 チベット首都ラサでの平和的デモを武力弾圧
    チベットの指導者ダライ・ラマ インドに亡命
ダライ・ラマ様がインド逃亡のきっかけは、
チベット住民が寺院のラマたち、
及び貴族たちに恣意的にかつ残虐的に(たとえば、反抗した奴隷の頭に、生きたまま、穴を明けて、綿の糸を入れて灯すという罰、また、同じく生きたままの奴隷を縛ってチベットならではの鷲に食べさせる罰、などなど)
殺される、という報告が当時の中国中央政府に、次々と上げられ、
貧乏人の見方と標榜する共産党政府がつい、17条協定を廃棄したことである。

 中国共産党はチベット人を弾圧
  ・7000あった寺院を45まで破壊
  ・15万いた僧侶を1400人程度になるまで虐殺
  ・チベット人の1/5以上 128万人を虐殺、または餓死


ーーーどこからの数字でしょうか、
02年のチベット人口(中国の国勢調査)はおそらく
280万と記憶してますが、






 <以上の問題が基本多くの国&国連が放置して
そして中国の虐殺を正当化している問題です

なぜ今回 反対されるのか、
次を探してみましょう
ーーーー相次ぐ聖火リレーの妨害抗議 なぜ中国は反発されるのか
(田原 総一朗)
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最近、やはりホットな話題なようで、関連質問が幾つか既に立っていますので、そちらもご参考に。



http://okwave.jp/qa3894180.html
http://okwave.jp/qa3893857.html
http://okwave.jp/qa3931803.html

その上で、簡単に私見ですが参考までに。
まず、チベットは歴史の中で中国に併合されたり独立を保ってきたりといった歴史を持っています。
しかし、標高が3000メートル以上もあり、他の平地なんかと比べて厳しい環境でしたので、ある意味では「孤立」していた地域といえます。
そんな中で、仏教の中でも特殊な宗派でとなる「チベット仏教」を中心とした独自の文化を育んできました。

ところが、清朝が滅亡して中華人民共和国(今の中国政府)を建国する時に、武力でもって実行支配しました。
(チベットに地下資源があるからとか、国土防衛の戦略的な意味からとか理由は色々言われています)
しかし、文化の差から衝突しました。
特に「チベット仏教の否定」が大規模に行われ、チベット人は抑圧されていきました。
その結果、ダライ・ラマが国外(インド側チベット)に亡命して「亡命政府」を樹立しました。
そこから、「高度な自治(≒独立)」を求め運動しています。

しかし、非常にデリケートな問題であり(中国は、高度な自治も独立も許さないから。)、チベットを独立させるより中国中央政府との関係を重視した国際社会からは、長いこと見てみないふりをされてきました。
ところが、オリンピックイヤーなので国際社会が中国に注目していることから、今回のチベットでの大規模なデモの様子が世界中を駆けめぐりました。
結果、「人権意識」の高い欧米のメディア・国民を中心に中国への批判が高まっています。(欧米各国の政府は、こうした民衆の動きを無視できないので、中国を批判せざるを得ない状況です。その一方で、これから経済的に重要な国である中国との全面的な衝突も避けたいのが本音でしょう。各国首相は、高度な舵取りが求められてますね。)

因みに、ダライ・ラマが求める「高度な自治」ですが、中国からしたら認めることは出来ない話です。
これは、所謂台湾との関係でわれる「一つの中華」と「一国二制度」の話とリンクするのです。(そして、一貫して「一国二制度」に否定的な中国政府の主張を見ていれば、ダライ・ラマの「高度な自治」を中国側が認めようとしないのは、分かると思います)

・・・と、非常にデリケートな問題なんです。
ただ、こういった問題はどこの国でも抱えているモノです。
こうした問題に鈍感な日本が特殊なんですね。

そうそう、コソボの独立に中国とロシアが反対していますけど、これも自国内で「独立問題」を抱えているからなんですね。
と、メディアはなかなか「解説」してくれませんが、国際ニュースは色んなところで繋がってるんですね。
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http://www.tibet.to/mondai/what.htm

このサイトが凄く簡単です。
チベットの成り立ちから説明されています。
その上で下記サイトをご覧下さい。
これで相当分ります。
ただ、指導者のダライラマ氏はチベットの独立を求めてはいません。
チベット自治区は中国の一部として認め、あくまでも高度な自治を求めているのです。

http://www.tibethouse.jp/situation/index.html#01
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他国が五輪をボイコットするなどの批判運動をしているにも関わらず、


中国側は一向に非を認める気配がなく、
「われわれは正しい」
の主張の一点張りです。

中国は社会主義なので、
自国の都合のいいように国民を洗脳していますから、
中国国民は、
自分たちの国が、いかに間違った行動をしているのか分からないのです。
なので、
欧米人が聖火リレーを妨害したときに、
的外れにも怒っているのです。
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1949年 中国が独立国であったチベットを侵略


1951年 中国がチベットを武力制圧・併合
1959年 チベット首都ラサでの平和的デモを武力弾圧
    チベットの指導者ダライ・ラマ インドに亡命
 中国共産党はチベット人を弾圧
  ・7000あった寺院を45まで破壊
  ・15万いた僧侶を1400人程度になるまで虐殺
  ・チベット人の1/5以上 128万人を虐殺、または餓死

 以上の問題が基本多くの国&国連が放置して
そして中国の虐殺を正当化している問題です
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