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 哲学は全く無知でして、カテ違いかも知れませんがよろしくお願いします。

 うまく表現できないのですが、「現代の私たち人間って、どんなシステムの下に生きているのだろう?」と疑問に思います。

 具体的には、生きていても苦しいのです。
 生活費を稼ぐために仕事をしていても、企業は限られた社員数でもっと生産性を上げないといけないので、残業や休日出勤は当然のようになっています(そうでない企業もあるかも知れませんが)。で、休みを削ってまでガンガンに仕事をすることで疲労もストレスも溜まりますので、それを少ない余暇時間で解消しようとすればどうしてもお金で時間や娯楽を買うようなことになってしまいます。それをやろうとすることで更に給料が必要になったりしますよね。
 企業も、生産性を上げていけば今の時代は環境破壊や資源枯渇の問題にも影響がありますから、(本来は全く相容れない方向性なんでしょうが)生産活動を亢進させる一方で、CO2排出量の削減枠なんかをお金で買っちゃう必要が出てきたり。それでまた、企業も社員を益々働かせて利益を上げないといけないでしょう。
 「こんなことなら、もう経済成長なんか諦めて、サスティナビリティって奴で、平坦な経済活動を維持していけばいいじゃん!」って思っても、最近ニュースで将来の年金制度を維持するためには毎年1%程度のGDP上昇を前提に考えないと試案すら成立しなそうなシビアな予測で、とても「今の経済水準を維持できれば・・・」なんて言ってられなさそうです。

 もちろんこういう出口のない状態は日本だけではなく、現代は世界規模で経済が循環していてもっと複雑なのでしょう。
 
 つまり、今の私たちの生活は、全てが金に牛耳られているのではないか?という疑問です。(例えば数年前は、アメリカの武器製造会社が政府に賄賂を渡して中東に武器輸出し、それが内紛だかテロだかの温床になっているとかいう報道があったような気がします。お金儲けという経済原則の前には、世界平和だって相対的に貶められるということだと思いました。)

 私たちが今生きているこのお金から逃れられないサーキュレーションって、これが「資本主義」というヤツですか?資本主義社会が高度に発達していくということは、こういう歴史的な必然をたどるのですか?

 軍事すら、政治すらお金の力には勝てません。とすれば、この今の社会のシステムというか枠組みを止めて新しい枠組みを模索したい。
 もし今の枠組みが「資本主義」なのであれば、それに代わるものといえば「社会主義」くらいしか思いつかないのですが、社会主義ではお金に換わる私たちの生活の価値の基準って何になるのですか?そしてそのことで、今のようにお金の消費に常に追いまくられているのにも関わらず更にお金を追い求めなければ持続しないというサーキュレーションから逃れられますか?

A 回答 (9件)

さて、困りましたね。


このようなご質問に対して、明快な回答を書く事の出来ない、自分の無能力さに腹立たしい思いと苦痛がのし掛かってきます。私も教えてもらいたいものです。

最初に言い訳がましいことを申し上げれば、資本主義・社会主義・共産主義といった言葉で表現される観念とか概念は、純粋に理念的な存在で、実際に存在するのは、色々な資本主義と色々な社会主義・共産主義を目指した個々の国家があった、と言う事です。例えば一般に日本という国は資本主義と定義されますが、小泉改革以前は、社会主義的要素も結構有ったわけです。国有企業や生活保障制度とか累進課税制度ですが、こういった制度は社会主義的な制度と言えるかもしれませんね。それが最近、「小さな政府」と言う資本主義的な政策に大きく舵を変えたのは記憶に新しいところです。

同様に社会主義の制度と言っても、色々な考えが有ります、そしてこの社会主義的な制度はある意味ではまだ完成しなかった、と言っても良いのかもしれません。社会主義の歴史を考えても色々な人がいます、モーゼス・ヘスと言う人は「貨幣体論」において、有機的共同体を想定して、諸個人を商品化する貨幣は、有機的共同体の中では必然的に消滅すると考えました。ヴァイトリングは「労働時間」を伝票のようにして交易をすることを考えました。また、貨幣そのものを廃止するのではなく、貨幣の使用自体に利益が伴うわけですから、使用料を取る「減額するスタンプ貨幣」はセルジオ・ゲゼルと言う人の考えです。そのような訳で、実際の社会主義的な制度の中で「貨幣」をどのように扱うかは、ケースバイケースです、急進的左翼は貨幣を廃止しようとしますが、市場社会主義者は一部に市場の原理を利用できると考えているようです。

最近の議論の中では、ワーキングシェアとベーシックインカムの制度が検討されていますが、これも、経済学者や哲学者または社会学者等々の個々の立場で色々と考え方が違います。例えばベーシックインカムは「最低生活保障制度」とほぼ同義ですが、支払いを物質にするか貨幣にするか、その額をどの程度にするか、支給の対象をどう限定するか、色々な考えがあるようです。

ところで、貨幣の循環からの脱出の可能性を模索されるようなご質問の意図が見受けられますが、私たちの目的・手段の循環は、ある意味で断ち切ることが出来ません、そもそも生きる目的もなく、その都度、手段と目的が交差するようなものです、また、社会学者の今村仁司は「形式としての貨幣は廃棄不可能である。なぜならそれは、人間関係に内在する暴力の制度的回避の装置であるからだ。」としていますから、社会で交易して生きるしかない私たちには「価値尺度」と言う形式は、どうしても必要になりますね。したがって、資本主義でも社会主義でも、ご質問の循環自体は、程度の違いはあっても本質的には残ってしまうような気がします。

なお、資本主義の矛盾や論理的な整合性に関しては、アナリティカル・マルクス主義者、市場社会主義については、ジョセフ・カレンズ、このあたりで検索すると、もっと正確な情報が得られるかもしれません。

最後に蛇足ながら、個人的見解を述べさせて貰います。

ソ連の崩壊や中国の市場経済の導入と言った事実は、資本主義を擁護する立場から、社会主義の失敗として記述されることが多いです。私の狭い知見では社会主義的立場から、ソ連の崩壊について、因果関係を詳しく分析した考察を拝見する機会には恵まれていないと言った現状です。だからと言って、社会主義が失敗したから、資本主義しかないのだといった、二者択一の議論とか、適応的選好形成(AよりBの方が簡単に利用できるのなら、AよりBの方が優れていると判断してしまう非合理的な選好心理)の落とし穴に嵌って、キツネさんの「すっぱい葡萄」の理屈に納得し、問題の解決から目をそらすのも如何なものでしょうか。

「しかし、社会主義はうまくいかなかった。ソ連、中国、タンザニア、ギニア、北朝鮮など多くの国で試みられたが、すべて失敗に終わった。これをもって、市場経済の勝利、資本主義の勝利と考える人が大部分だが、それは見当はずれである。社会主義は、社会的不公平をもたらす資本主義を打開する方策として考え出されたのだから、敗北したのは人類、あるいは人知である。」(『人間性はどこから来たのか』 西田利貞)

根本的に、もしユートピア主義者でないなら、あなたはまぬけでしかない。
ジョノソン・フェルドマン
↑ご質問者様や他の回答者様に関してではなく、あくまで一般論として、長文失礼しました。
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この回答へのお礼

 素人相手にこんなに詳しくご親切な回答をいただきまして本当にありがとうございます!感激しています。

>ところで、貨幣の循環からの脱出の可能性を模索されるようなご質問の意図が見受けられますが~

 こちらの一節、これだけでも私がそもそもモヤモヤしていた疑問の核心を突いた回答でした。
>そもそも生きる目的もなく、その都度、手段と目的が交差するようなものです。
 仰る通りです。そもそも生きる目的があればこそ、生きる目的と手段が交差するという事実は矛盾する訳です。目的などなければ、それは謂わば「生きるために生きている」という走り方であって、なるほど現実と一致しています。

>「形式としての貨幣は廃棄不可能である。なぜならそれは、人間関係に内在する暴力の制度的回避の装置であるからだ。」

 こんな言葉があったとは!!私の疑問をすっきりさせてくれました。
 アンケートのカテゴリーでも質問させていただいたのですが、人間社会を序列づけたりコントロールしたり支配しているのは、貨幣と暴力のどちらがより根源的なのだろう?と、以前から疑問に思っていました。理論的に考えれば当然暴力なのですが、現実をみると現代は経済力が軍事力に影響を与えているのが事実なので、納得いかなかった訳です。
 しかし経済とは「暴力の制度的回避の装置」とは、なんという慧眼かと驚きました。確かに現実の事象を説明できています。

>社会で交易して生きるしかない私たちには「価値尺度」と言う形式は、どうしても必要になりますね。したがって、資本主義でも社会主義でも、ご質問の循環自体は、程度の違いはあっても本質的には残ってしまうような気がします。

 仰っていただいたこと、とてもよく理解できました!納得です。社会主義でも、価値尺度が貨幣という形を取るかどうは別として、価値が循環するすることが生きること、あるいは社会そのものであるというのが理論的に理解できました!

 本当は、他にももっと深い気づきを与えていただけた箇所がたくさんあるのですが、書ききれません。
 いただいた回答の大部分を占める、いろいろな学説(?)に驚きました。本来回答者様が答えになるだろうとお教えくださった様々な学説は、今の私にはもちろんとても高度なので、これから少しずつ調べていこうと思います。

 大変勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/26 11:44

私なんかは哲学だけでなく学問全体的に無知ですから本当は参加させていただける者でないのですけれど


>もっと単純に資本主義と社会主義の違いを知りたかっただけでした。~何か私の質問やお礼が回答者の皆さんを苛立たせているように思います。
 やはりカテゴリー違いということで、不愉快でいらっしゃったのでしょうか?そのような印象を与えてしまったのであればお詫び差し上げます。

こう仰るのが気になり思い切って投稿させていただいただけですので、お気楽に気分転換くらいの感覚で読み流してくださいね。決して高度なことは申し上げられません。

政治体制や主義の違いなどは、その方面のサイトなり書籍なり御覧になったほうが、ここで質問されるよりずっと有益かもしれませんが、当御質問自体は私は良い御質問と思います!ただ、純然たる形而上学的問題とは違った意味で、答えを出すのが難しいなあ、もしも、こうした問題について優れたアイデアを提案できる人がいるなら、それこそ歴史に残るほどのことなのではないのかなあと思います。
>具体的には、生きていても苦しいのです。
息苦しい…。
リストラ・ブームなるものからこっち、労働環境は、ますます厳しさを増し、悲鳴のような声すら聞こえてくる昨今ですね。
私、企業って、それも大手の企業ほど巨大なマグロを連想してしまうんです。
「我が社存亡の如何は、ひとえに弛まぬ前進の持続にかかっている!停滞は死に直結する!変化しろ、常に変化し続けねばならない!!」
ある大手有名企業内で毎日のように連呼されるスローガンですが、止まったら死ぬという鮪みたいでしょう?

明け方起きだしてギュウギュウ詰めの電車に揺られ、他の社員に負けるものかとばかり一刻を争うように出社した頃には、すでにヘトヘトの体を鞭打って連日のサービス残業。食べるものから種々の娯楽、癒しの類を手っ取り早い手段に頼ってしまうのもしょうがない。もちませんもの。。。お金で済むのが一番ラク。「地獄の沙汰もカネしだい」ってコトバ思い出してしまいます。悪循環に陥ってるんじゃないかという実感もないとは言えません。

ただ、じゃあ、資本主義という枠組みを諸悪の根源と見なして社会主義あるいは共産主義なら画期的に救いが望めるのかというと、私も、やはり主義そのものとしての欠陥を言うより、社会主義、共産主義といえども、その弱点というのが結局は人間本性の根幹に関わってくることであるのは資本主義と同じじゃないかと中学生の頃から感じていました。社会主義、共産主義なんてものは人間に腐敗という現象があり得ないものという幻想のうえに成り立ってるんじゃないか非常に管理主義のようでいて、それは人間性に対するオメデタイまでの楽観主義を当然の前提としたうえに打ち立てられた思想じゃないかと。

人間は、かわいい自分が損する側にまわっていると感じると、全き平等を要求する。でも自分が優遇された立場にいると感じるなら、その格差を、むしろ維持したがる。届かぬ平等性を希求し、達せられた平等性のなかでは格差に憧憬する。そんなことには決してならないだろうか?
王侯貴族の豪奢な建築群や宝飾品、圧倒的な格差が残した歴史的遺産のかずかず。
右を向いても左を向いても皆おなじにしたはずなんだけど完全な同じなんてあり得るのだろうか?競争に駆り立てる格差のタネなんて、そこらじゅうに見つかる。確かに欲望は人間に努力を促すけれど欲望の持ち方を誤ると努力の方向性も誤ってしまう。では正しい欲望って、誤らない努力って?どんな人ならできなくて、どんな人ならできるのだろうか?

もう何年前になるのか大分以前のことになりますが、お名前ちょっと失念してますけどコピーライター出身のかただったと記憶しています或るコメンテーターが、これからはカネより時間を選ぶ時代、「貧乏ヒマあり」だ、というキャッチフレーズを、しきりに掲げておられました。
それからスペイン型ライフスタイルとかいう提案もあったと憶えています。そのあたりの関連で、オランダにおける労働政策『パートタイマー奨励制度』または『ワーキング・シェア・システム』のことについて述べられているホームページを見ておりました。
しょせん日本人旅行者の傍観に過ぎないから、結構な面ばかりがクローズアップされてるのかなと思ったんですがデメリット面についても、ちゃんと記述されていました。(但し 2003年6月現在)
このホームページは、サーフィンが御趣味の日本人夫妻の世界漫遊記といった感じで、とても読みやすく楽しい内容です、ちょっと御覧になってみてください。私は自分の日常生活と引き比べて羨ましく、とてもマネしたくなってしまいましたが、勉強にもなりました。

私個人としては、おカネとヒマ、どっちとるかと問われたら、どちらかと言えばヒマ重視かな?「とにかく、おカネ!できるだけ、たくさん!」という人には、んじゃガンバッテね~という感じなのですが、人間が、おカネを二の次にして満足できる、「足るを知る」ライフスタイルって、どんなふうなものかな、やっぱり自給自足、物々交換といった原初的形態に、ある程度でも戻らざるを得ないだろうか、おカネに頼らない精神的満足感って、、、精神的満足感というと、なるほど宗教のことも挙がってくるわけだ、でも、それだけじゃないはず、とか、ご紹介したホームページの内容を見てて、いろいろ考えました。

ちょっとヘンな喩え方かもしれませんが、家屋自体は至って質素でも、豊かな緑と咲きこぼれる花々に彩られた家は、優雅な趣きに包まれる。。。こんな感じかな?
でも実態は狭いバルコンの鉢植えの花にも、じゅうぶん目をかけてやれずに枯らしてしまったり。。。
貴方とともに考え続けていきたいと思います。
                      

参考URL:http://www.go-style.com/worldtrip/mail105.htm
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。

 私の場違いな質問にも本当にご親切に回答をいただき、感謝しております。

>人間に腐敗という現象があり得ないものという幻想のうえに成り立ってるんじゃないか

 仰るとおりですよね。他の回答者の方も『欲』と書かれていた通りです。
 ここでいろいろな回答をいただけて改めて感じたのは、やはり経済や社会を考えるということは、(当たり前だと笑われそうですが)必ず人間というものは何かを考えることを通過するものだなぁ、ということです。
 社会主義が理想論的な性善説でないと成立しないのと同様に、やはり資本主義社会でも人間の欲や腐敗で本来のシステムが想定どおり機能しないことって、沢山見てますよね。
 私にはあまり形而上学的なことは分からないのですが、質問者様のように地に足をつけて日常を観察されている方からの視点をいただけて、なるほど他の回答者様がなぜ精神や心の問題を答えてくださるのか知ることが出来ました。

 数ヶ月前に結婚し、退職をして今は次の仕事をしようかと考え中のお気楽な身です。
 お金はないですがこんなに時間をもらって、これまでの自分をイヤでも振り返るようになりました。
 今思うと、私は少々仕事依存症ぽかったな・・・と思います。ですから質問者様が仰ってくださったような、他の国などではどんな働き方があるのか、そんなことも全く目に入ってきませんでした。
 でも結婚して、自分さえ仕事に逃避していれば幸せだと自分を納得っさせて済む時期は終わったのだと思い、次の生き方を探しています。主人はやはり仕事に追われて、過去の私を見ているようです。
 主人の働きがあるからこそ今私はこうしていられますが、疲れきった主人を過去の私のように自己欺瞞の仕事の喜びで疲弊させたくないです。そう思うと、そのためにも私は新しい視座が必要なのかもと思えます。

 教えていただいた、様々な生活スタイルのことも調べてみます。
 自分の話になり失礼しました。回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/26 12:09

>マルクスの理論は単純な経済学のひとつではなくて、


>時代に大きな影響を与えた思想でもあると思っていたので、

そうですよ。後一息で解に到達するといったところですね。
マルクスは資本主義が成熟してくると社会主義的になると説いているのです。
したがってあなたの考えはほとんど正しいのですが、
資本主義の延長線上に社会主義があるのがみえていないようです。

この社会主義とは老人、子供、低所得者層の弱者を救済し、格差を少なくすることで
この理想を一番実現できている国家は日本、及び北欧だといわれています。

今から200年後の世界は人類が宇宙に進出し、家事などはロボットがやってくれ
その結果人類は十分な余暇を享受し、・・・とあなたの理想通りになっていると予想されます。

こうした状態になるには科学の進歩が必要不可欠で今ではまだ実現できません。
また、こういった未来でも努力した人間にはそれなりの対価が与えられないといけないので
資本主義的な考えが淘汰されるとも考えていません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

 確かに、過去にちょっと読んだことのある社会主義についての概説書では、「資本主義」→「社会主義」→「共産主義」と社会は歴史的に発達していく必然なのだというように書かれていたと思います。

 最近たまたま、祥伝社新書の「超訳『資本論』」という本を読みした。
 それすら難しかったので誤解しているのかも知れませんが、資本論によれば世界の隅々まで資本主義は敷衍されるようになり、その後労働者が国家を超えて世界的に連帯することによって社会主義が実現するというような理論と理解しました。ですが、今のところ企業の労組すら不活発なところが多くて、正直マルクスの言っているような世界的連帯になるということが実現するとは想像しがたいのです。
 それとも、まだ現代は世界が資本主義から社会主義に塗り変わるまでの過渡期ということなのかも知れないですね。

>今から200年後の世界は人類が宇宙に進出し、家事などはロボットがやってくれ
その結果人類は十分な余暇を享受し、・・・とあなたの理想通りになっていると予想されます。

 私の質問が個人的な嘆息をぶつけたようになっていますので、このような将来が私の希望であると思われても仕方ないのかもしれません^^;。いえいえ、言い訳がましいですが、決して今の資本主義社会が良いとか悪いとか言っているつもりではなくて、資本主義でも構わないので会社のペースではなく、もっと働く人の生きるための自然なコストに応じたペースで仕事できないものか・・・というくらいの意味なのです。

>資本主義的な考えが淘汰されるとも考えていません。

 はい。他の回答者様のお答えも参考にし、理論的にやはりそうなると納得しました。

 大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/26 11:07

#5です。

お礼を読ませていただく限り、特に誤解があるようには思えませんでしたが、念のため、もし、よろしければ、以下の点について、お考えをお聞かせいただければ嬉しいです。

以下の(1)は問題だけれども、(2)は問題にならないと考えておられるように思いますが、それは何故ですか? 酸素は努力しなくてもふんだんに得られるからでしょうか? もし、そうだとすると、酸素の代わりに「食物」を置き換えたらどうなんでしょうか?


(1)市場とはお金が常に流れていなければ、お金の流れが止まってしまえば謂わば死んでしまうものだということは、漠然と知っていますが、お金に人間が流されつつあるように思えたりもします。

(2)自然界とは酸素が常に流れていなければ、酸素の流れが止まってしまえば謂わば死んでしまうものだということは、漠然と知っていますが、酸素に人間が流されつつあるように思えたりもします。
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この回答へのお礼

 再度回答いただきましてありがとうございます。

>(2)自然界とは酸素が常に流れていなければ、酸素の流れが止まってしまえば謂わば死んでしまうものだということは、漠然と知っていますが、酸素に人間が流されつつあるように思えたりもします。

 これを私が問題にならないと考えているかということでしょうか。
 からかったり揚げ足を取ったりしているつもりはないのですが、「酸素に人間が流されつつある」という意味はどういう意味なのかにもよるかとは思うのですが。
 酸素に流されるというのは、物理的に流されるという意味ではないですよね?酸素(というか空気)は今のところ無償で身の回りに存在していますから、それを得るためにあくせくすることはないと思うのですが・・。

 酸素がもし食物なら、やはり自給自足できる人を除いてはお金を稼いで買っているのでしょうから、お金がなければお金を稼ぐよう努めると思います。

 私の質問は、もっと単純に資本主義と社会主義の違いを知りたかっただけでした。ただマルクスの理論は単純な経済学のひとつではなくて、時代に大きな影響を与えた思想でもあると思っていたので、哲学のカテゴリーで質問させていただいたのですが、何か私の質問やお礼が回答者の皆さんを苛立たせているように思います。
 やはりカテゴリー違いということで、不愉快でいらっしゃったのでしょうか?そのような印象を与えてしまったのであればお詫び差し上げます。

 私も自分の質問を整理できたら、改めて違うカテゴリーで質問させていただくかも知れません。
 ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/25 14:10

物質的に必要以上に豊かになること。

物質的に必要以上に便利になること。

この2つに対して、現実的には「NO」と言えない。それが問題だと思います。

「NO」と言えない背景には、”精神文化”の衰弱と貧困があると思います。特に、日本は、太平洋戦争で敗北し、それまで培われてきた日本独自の精神文化を抹殺せんとするアメリカの占領政策が奏功したため、その傾向が強く現れていると思います。衰弱しているとは言え、日本よりは元気なヨーロッパの精神文化は、同じ資本主義と言っても、「アングロ・サクソン流市場経済、新自由主義」とは一線を画した世界を構築していると思います。

我々は物理法則から自由ではないのと同様に、市場経済の中で生活している以上、市場経済の原則から自由であることは不可能です。しかし、物理法則から自由でないから、人間は自由でないとは言えないのと同様に、市場経済の原則から自由でないから、人間は自由でないとは言えないと思います。”精神文化”を強化することで、より多くの人間的自由を確保できると思います。

例えば、科学技術が発達する以前の中世においては、人間が自然を克服できるとは誰も考えていなかったと思います。黒死病で人口の三分の一を失った14世紀のヨーロッパでは、自然は人間を圧倒し、人間はそこから自由になることはできませんでした。しかし、ルネサンスによる人間中心的な精神文化を契機として、人間の自然に対する考え方は大きく変わってきたのだと思います。やがて産業革命を迎え、人類は現実的に自然をコントロールできるようになりました。でも、だからと言って、物理法則そのものを変更したわけではありません。精神、知識、智慧のありようが変わったのだと思います。

市場経済の原則が支配する世界は当分続くと思います。何故なら、人類の中で、「餓死しない」「治療すれば直るはずの病気で死なない」という恵まれた環境にあるのは、まだ、日本を含む先進国などごく一部に過ぎず、世界はまだまだ物質的に生き延びるための戦いの中にあり、その戦いを勝利に結びつける現実的手段としては、「市場経済+民主主義」が最も有力な手段と考えられているからです。

このように、我々は市場経済の原則からは当分の間、自由になることはないでしょうが、精神文化を再構築する事により、人間としての自由を確保することは必ずできると私は思います。

例えば、日本は年間6000万トンの食料を輸入し、その三分の一の2000万トンの残飯を廃棄していますが、この残飯量は世界1で、世界の食料援助額の2.5倍だそうです。

確かにその背景には、食料の供給不足による機会損失よりも、過剰供給による廃棄の方を選択せざるを得ない経済原則が支配しているとは思いますが、決して、それが唯一の原因ではありません。何故なら、日本は世界で最も人口が多い国ではないからです。

我々一人ひとりが、もっと”精神文化”に目を向け、「物質的に必要以上に豊かになること。物質的に必要以上に便利になること。」に対して「NO」と言えるようになれば、人間としての豊かさと自由を確保できるようになると思います。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。

 ご丁寧な回答で恐れ入ります。

 やはり私の質問が誤解を招いているようで失礼しました。

 仰るように、精神の自由は何にも縛られないので可能性がありますし、外界を認識する主体である意識活動そのものですから、それが“豊か”になるのが今のパラダイムからの脱出方法だというのも理解できます。

 ただ、私個人の狭い経験でしかありませんが、自分の場合は精神的な自由を得ようとする上で、例えば本を読んだり、普段違う世界で生活する友人と会ったり、環境が違う土地へ旅行したりと、やはり具体的に毎日の思考を解き放つための活動が必要でした。何をやるにも、やはり大なり小なりお金はかかるもので、「電車賃と交通費を使って友達に会っても、せいぜい数百円だろう」というのは事実ですが、金額の問題ではなくそういった謂わば“労働力の再生産”にもお金の流れが不可欠であるという事実があります。

 市場とはお金が常に流れていなければ、お金の流れが止まってしまえば謂わば死んでしまうものだということは、漠然と知っていますが、お金に人間が流されつつあるように思えたりもします。

 今は貨幣が価値の指標で、価値が流通することで私たちの分業社会も成立しているのだと思いますが、価値が人間を凌駕することのないパラダイムはないのか、それが知りたかったというところです。

 失礼いたしました。

お礼日時:2008/05/25 12:34

資本主義の性質をあらかた分かっているのならば、あとは現実を受け入れるだけではありませんか。

逆にシステムの仕組みを利用して、資本家を目指せばいいのです。マルクスが説いた資本主義の問題点を「経済革命や宗教革命」で変える壮大な構想は思いつきません。改革には力が必要です。

無論、資本家になれば、資本家は労働力を売ることから解き放たれて幸せになれるかもしれませんが、当然ながら多くの労働者が涙を流して生活しているやもしれません。そしたら資本家が持つ剰余価値を彼らの救済に活用するにはどうすればいいのか?資本家の自分に問えばよいのですよ。

それが現実的な捉え方ではありませんか。サラリーマン(労働者)は資本主義システムの1つの制度に過ぎません。彼らは自らの労働力で得た価値を社会/他者に還元することを考えうる人間がどれだけいるでしょうか?その精神的な部分を問わずに貨幣経済や剰余価値を否定をすることはできないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

 私の質問がうまくなかったのだと思いますが、私個人の生活をどう変えようかというご相談ではなく、社会主義になればどのように経済が循環するのか?どのような仕組みで資本主義の問題が解決されるのか?といった、社会主義の仕組みを知りたかったつもりでした。
 失礼しました。

お礼日時:2008/05/25 12:21

>>生きていくとはこのままこうやって資本主義経済原理で強者弱者の競争に勝ち抜いていくだけの世界なのかなぁと、少し悲観的になってしまいます。



学生のときに試験の成績で競争して、社会にでては出世競争する。女性の場合は、仕事で負けても、敗者復活戦の「どっちが高収入・高学歴男をひっかけて結婚するか?」って競争やってますからね。あるいは、ダンナはどーでもよくて、女どうしのファッションとかエステなどの戦いやってますよね。

でも、どんなに努力して、他人を蹴落として、ワナにハメて、勝利をつかんでいったとしても、80才を過ぎれば、シワクチャのじーさん、ばーさんです。最後は、死んでゆきます。どうがんばっても、最後は死ぬのですからね。だれでも、そこまで考えれば普通は悲観的になりますね。
それをごまかさないで、しっかりと見つめるとき、人は宗教を知ります。

現在は忙しすぎます。たぶん、そういうふうに忙しくしていないと、真実を求める心のうずきに気づいてしまうので、それを防ぐために忙しくしているんでしょうね。

>>しかし、私なんかは無神論者なので、そういった超越的存在に自分も服従するのか?っていったらちょっと疑問なんです。

それは当然でしょうね。でも、ユダヤの嫉妬する神のように「我の言うことに従え!そうでなければ不幸になるぞ!」っていうのは、レベルの低い神です。神にもランキングがあって、昔の時代はOKであったことでも、現代では、教えを守っていたら社会不適応な人間になってしまう宗教も多いです。時代遅れの事を押し付ける神ってところでしょうか?
また、神はイスラム教の経典に複数形で登場するように、たった一人ってわけではありません。また、一枚岩でもありません。そうだったら戦争なんて起こらない・・・。

ところで、海外の人からみると、無神論者の場合、「神を恐れない奴だな。どういう価値基準で行動しているのかわからない不気味な奴」っていうふうにみられることもあるようです。現実には、日本人の場合、仏教の教えに従っているケースが多いと思えるので、実態は、無神論者ではない気がしますけどね。

現在の日本の政治を見ていても、羅針盤を失って、迷走しているようにしか見えません。「もう私たち政治家・役人では、どうしていいかわかりません。どうぞ、政治・経済・福祉についてお教えください」って宗教家にすがる日も近いのでは?なんて思ったりしています。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。
 お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。

 ご丁寧な回答恐れ入ります。
 人間も種のひとつに過ぎませんから、過去にも絶滅していった種がいるように、その存在そのものが生態系を壊していずれ存続できなくする絶滅が運命付けられた(って悲観的すぎますが;)生き物なのかも知れませんね。

 そう考えれば、やはり人知を超えた超越的な存在が必要なのかも知れませんね。

お礼日時:2008/05/25 14:17

20世紀後半から、21世紀初頭の今日は、人類史上もっとも幸福な時代と言われています。


なぜかというと、人類史上初めて全世界で人口が必要とする量よりも食料の生産量のほうが多い年が続いているからです。

もちろん、世界にには飢餓に苦しんでいる国もありますが、そのような国は自国の生産性よりも政治的な理由で飢餓に陥ってることが多いのです。

>このお金から逃れられないサーキュレーション
逆にいえば、社会がある程度整備されている国にあっては、昔のように旱魃による飢餓とか政治的理由による飢餓に苦しむことはほとんど無く、「より豊かに生活する」ためにお金のサーキュレーションがある(経済的に作り出されている)といえるのではないでしょうか。

このような富の分配における不公平感を無くそう。基本的な生活をは平等にしようという観点から社会主義・共産主義の思想は生まれ実験的な国が生まれました。
社会主義的な国といえば、サッチャリズム以前のイギリスが有名ですが、手厚い福祉のための重税があだになり経済が停滞したため、所得の差が開くのを承知で改革し、現在の英国景気は息の長い成長を続けています。
共産主義国といえば、旧ソ連・中国があります。どちらも国民の平等のために私有財産を原則的禁止し、国(共産党)による計画的な富の創出と分配を行おうとしましたが、ソ連は崩壊、中国は資本主義経済の導入といずれも失敗しています。

結局上記の失敗からいえるのは、人間が困難に打ち勝つためには「欲」が必要だということです。
その意味で、ある程度の市場介入性をもつ資本主義制以外に、社会の富を増幅させながら各個人の公平を図る・弱者への福祉を行う、ということを持続させる仕組みはまだ見つかっていません。

今後、資源の減少・環境悪化などで富の再分配の仕組みが変化することは合っても、人の欲望を原動力にした資本主義がなくなることは無いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>、「より豊かに生活する」ためにお金のサーキュレーションがある(経済的に作り出されている)といえるのではないでしょうか。
>結局上記の失敗からいえるのは、人間が困難に打ち勝つためには「欲」が必要だということです。

 どちらも現実をとても踏まえた答えと思います。
 つまり、引用2つ目の文章で書かれている「欲」とは、引用1つ目の「より豊かに生活」したいという欲求も含んでおり、それが
サーキュレーションを生んでいるのだろうということと思います。
 けれども、単純な事例で恐縮ですが、質問文にも書きましたが、今や将来の社会保障制度を機能させようとすると、そのシステムを維持するにも経済成長が必要なんですよね。「退職後の老齢期も収入が欲しい」という願いが、「欲」なのか「福祉」なのか?

 仰る通りで、老人のこのような希望を「福祉」と取るならば、まさしく経済の増大は「福祉」よりも社会機能維持のためのエッセンスなので、あくまでも経済成長があった上での富の再分配ですよね。

 しかし、老人のこの希望を「欲」と取れば?仕事のない老人も収入が欲しい。この「欲」が、経済を成長させることって、ないのでしょうか?

 自分なりに資本論の啓蒙書を読んでみても、さっぱり分かりません。ただ漠然と、世の中に貨幣価値が増大していく仕組みは、労働力と資本の掛け合わせで余剰価値が生産されていくからだろうなぁ、という風に理解しています。
 上に書いた例で言えば、そういう老人の「欲」って、余剰価値を生み出そうとする源にはなり得ないんでしょうか。
 それとも、世の中に貨幣価値を生み出すためには「労働力」が必要であり、体力もしくは精神力のどちらかが資本を加工して余剰価値を生み出すに足りなければ、いくら「欲」があっても経済発展には寄与しない、ということなのでしょうか?

 そして素人考えですが、私たち労働者は質問にも書いたとおり、労働力を使い果たした後それを再生産するために貨幣で娯楽や慰安を買い、再生産する。それを元手にまたそれを上回る余剰価値を生産し、それにより貨幣で贖いを得、それを市場で使ってまた労働力の再生産をする・・・という循環ですから、世界には貨幣価値がどんどん溜まっていくと思っていました。
 けれども今、主に先進国で経済成長が停滞しているのは、何でなのでしょうか?

お礼日時:2008/05/24 16:00

とりあえずは、



>>もし今の枠組みが「資本主義」なのであれば、それに代わるものといえば「社会主義」くらいしか思いつかないのですが、

については、社会主義、もしくは共産主義が人間に幸福をもたらすか?という大いなる文明実験を、ソ連や中国を実験の場として、過去長期に渡って行い、それらは悲惨な結果をもたらすという結論が得られたと思います。(中国等はまだ継続中ですが・・)

>>これが「資本主義」というヤツですか?資本主義社会が高度に発達していくということは、こういう歴史的な必然をたどるのですか?

そうだと思います。なので「資本主義でOKか?」といえば、ライバルの社会主義・共産主義の敗北により、そこで主張されていた「労働者保護」「人権尊重」という圧力が減り、資本主義の初期にあったような過酷な労働環境の再来になっているようです。そのため、小林多喜二の「蟹工船」の小説がベストセラーになったりしています。

じゃあ、どうすればいいか?ってなるわけですが、個人的には、たぶん宗教のもたらす価値観をベースに経済活動を見直す必要があると思っています。また、戦争の原因の根底には宗教対立があります。既存のキリスト教やイスラム教、仏教までも傘下にしてしまう宗教勢力の登場で、世界平和をもたらすことなる気がしています。

ただし、こうした大変動・大改革は、なんとなく大規模天災も伴って来るのではないか?という感じもしています。

「夜明け前が一番暗い」といいますけど、夜明けにむけて、世の中は暗さをさらに増すかもしれませんし、私を含めて、夜明けを見ることなく力尽きるかもしれません。それでも、自分の人生の価値を高めるために、がんばりましょう。

って、回答になってないか・・・?
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。

 今回の質問をする前に、もっとこなれていない形でアンケートの方でも質問させていただきました。すると、やはり「宗教」という答えがあったんです。
 しかし、私なんかは無神論者なので、そういった超越的存在に自分も服従するのか?っていったらちょっと疑問なんです。

 名前は忘れてしまいましたが、言語で言えばエスペラント語のように、何か世界政府とか世界政治を実現するための共通システムを研究するような学問領域があったと思ったんですが、そんな話も今やとんと聞かないし、やっぱりうまくいかなかったのかも知れない・・・と思うと、生きていくとはこのままこうやって資本主義経済原理で強者弱者の競争に勝ち抜いていくだけの世界なのかなぁと、少し悲観的になってしまいます。いつも勝ち続けてなきゃのたれ死んじゃうなんて、疲れますよね・・・。

お礼日時:2008/05/24 16:20

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