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ローマの支配は宗教的にもとても寛容だったと記憶しているのですが、それなのにどうしてキリスト教は迫害されたのですか?
ネロ帝による迫害だけなら民衆の不満逸らしという気もしますが、迫害をしている皇帝はネロ帝だけではありません。ディオクレティアヌス帝もしていますし…。何かもっと理由があるような気がします。
中世ヨーロッパのカトリックの横暴を考えれば、確かに弾圧して然るべきだったのかもしれませんが、当時の為政者たちはそこまで見越して迫害していたのでしょうか。

A 回答 (6件)

ローマ帝国では、帝国に反感を示さない限り、宗教には立ち入らない方針を貫いていました。


そのため、ローマ帝国内には、エジプトのイシス神が大ブームを引き起こしたり、オリエントのミトラ教が広く信仰されたり、ギリシャ哲学の流れを組むオルフェウス教などが広まっていました。
ローマによるユダヤ滅亡においては、ユダヤ人がローマに反抗したために起きた事件で、ユダヤ教を弾圧したわけではありません。
マニ教やイスラムの弾圧は、キリスト教がローマの国教となってからの話で、当時のローマ帝国には存在していませんでした。

その中で、キリスト教だけが絶えず迫害を受けていました。
これは、キリスト教が当時の貧民層に広がっていったためです。
従来の宗教が、現世の利益をもたらす事を説いているのに対し、キリスト教は、死後の安泰を求める宗教でした。
現世において苦境にある貧困層にとって、脱出できない現状を捨てて、来世に望みをつなぐキリスト教は、当時唯一縋れる宗教だったため、貧困層に広まっていったと思われます。

現世よりも来世に望みをつなぐ宗教は、当時の為政者には不都合なものでした。
死を恐れないキリスト教貧困者は、為政者のいう事を聞かず、反感や暴動などに簡単に参加する事になります。
こういった危険な宗教に対しては、払底的に弾圧して消滅させるか、体制内に取り込むかしかありません。
コンスタンティヌス帝以前は、弾圧し消滅させる方向でしたが、弾圧せせきれないほど大きくなってしまい、最後には体制内に取り込む事で、キリスト教をコントロールする事になります。

キリスト教の弾圧を行ったのは、
ネロ帝(64年)、ドミチアヌス帝(95年)、トラヤヌス帝(107年)、ハドリアヌス帝(118年)デキウス帝~ヴァレリアヌス帝(250年~260年)、ディオクレティアヌス帝(303年)が、年表に記載されています。
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この回答へのお礼

とても詳しい説明ありがとうございます。

ローマが宗教に寛容なのは知っていましたが、そこまで宗教に富んでいたとは知りませんでした。
ギリシアが流行るのは、内容的にも民族的にも自然なことだと思いますが、ミトラ教やイシス神まで流行っていたとは驚きです。

マニ教やイスラムの弾圧はキリスト教国教化の後なんですか。
納得です。
きちんと歴史を勉強していなかったので(学校のテストという意味でなく)、何故宗教に寛容なローマが弾圧など…と思っていたら、キリスト教が国教化していたんですね。

それにしても、弾圧をした皇帝は多いですね。
ネロ帝、ディオクレティアヌス帝くらいしか知りませんでしたが、こんなに多かったとは思いもしませんでした。しかも、結構有名な皇帝ばかりですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/29 05:40

国家に仇名す謀反人だから。


日本のキリシタン弾圧と似たようなものでしょうか。
理由は一緒で、国家に対する謀反人だから。
別にやってる事は一緒なので、この時代でも江戸時代でも大差は無いと思いますよ。

何故ネロなのか?は彼自身が謀反に敏感な人間だったから。
そして徳川家康も謀反に敏感な人間でしたからね。
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この回答へのお礼

そういえば、幕府は何故キリスト教を禁止したんでしたっけ…;
もちろん、禁止して然るべきだったとは思いますが…

お礼日時:2008/05/29 05:43

実はこの件については「クリスチャン側の問題」の方が大きいのです。



ローマは元々多神教国家ですから、国民がどんな神を信仰しようが迫害したりしません。その為にローマではゲルマンの神々とギリシャの神々と言う全く由来の異なる神が習合され同一視される事まで起きている位です
例:ギリシャ-ヘルメス&ゲルマン-オーディン→ローマ-メルクリウス

ではなぜキリスト教ばかりが(正確にはユダヤ教も)迫害されたのか。

それはユダヤ-キリスト教が「一神教」だからです。

ローマ皇帝としては国民が何を信仰していようが、国民の義務さえ果たしていれば問題ではありませんでした。国民の義務、すなわち納税や兵役、それから「神の代弁者として皇帝を指示する事」、「他の神々を信仰している民を尊重すること」などです。
しかし、クリスチャンはこれらを拒絶しました。特に初期クリスチャンは原理主義的(当たり前ですが)ですから、ヤハウェ以外の神を是認する事、一国家の旗に敬意を表す事、ましてやヤハウェ以外の神を信仰している民を尊重する事など、考えられなかったのです。
※事実、何度もキリスト教を懐柔する皇帝からの布告が出されています。

何度形だけでもこれらの事を行う様にと言う皇帝からの布告を無視し続けた為、国民からの圧力に屈する形でローマ皇帝は「キリスト教を迫害せざるをえなくなった」のです。この迫害は当然ですがキリスト教が少数派でなくなるまで行わざるをえなかったのです。

どんな国家の専制君主であっても、国民の支持が無くては政治を行う事は出来ません。国家元首と言うのは「良くも悪くも国民の代表者」なのです。
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この回答へのお礼

納得しました。
というか、以前似たようなことを本で読んだのに思い出せなくて困っていたのですが、全く同じことを書いてくれたのでとても助かりました。

1つの神しか信じないというのはやはり治安上好ましくないですよね。
事実、キリスト教徒のせいでギリシアの叡智が失われたわけですし、オリンピックも禁止になりましたし…

ただ、皇帝の布告が実は市民からの圧力というのは初めて知りました。
独断でなく、半ば圧力、市民からの要望によるものだったのですね。

もやもやがとれて、すっきりしました。
ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/29 05:27

現在の支配勢力がキリスト教なので、キリスト教(だけが)迫害されたように記述されているだけです。



宗教で言えば、仏教もイスラム教もマニ教もみんな迫害されています。すべての新興宗教(キリスト教も含めて)は既存宗教から迫害されます。新興宗教というのが既存宗教の否定から始まるわけですから、既存宗教サイドにたてば、「シンジラーンナーイ」ということになりますから。
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この回答へのお礼

ほかの宗教も迫害されていたのですか。
それは初めて知りました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/29 05:16

私も世界史を少しかじっただけですが、現代の政治でも似たような事例はあります。



ローマ帝国では、当初、キリスト教は庶民に広がった新興宗教です。
そのため、支配階級や帝国への忠誠や社会秩序に対立しかねない状況に陥ったからではないでしょうか?
しかし、ローマ帝国はキリスト教を公認し、それ以後のヨーロッパ世界ではキリスト教は、当初の姿から権威に変わっていきます。なので、同じ宗教でも政治的、社会的な役割が大きく違っている点に注意するべきです。

基本的に中国の法輪功への迫害も似たような理由です。また、中国がカトリックを管理し、ローマ法王の権威を認めない信者組織を作らせたのも、共産党や政府の権威を無視する信者を作らないためです。
まぁ、法輪功がキリスト教ほど広がるとも思えませんが。。。
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この回答へのお礼

確かに、信者が増えれば脅威と感じるかもしれませんね。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/29 05:17

以下のURLを参考にしてみてください。



  http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~tamaki/joyama/joya …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/29 05:12

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